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「すべての子どもの権利が尊重される世界へ」小児科医 山口有紗さんが自身の体験を経て、いま伝えたいこと

児童相談所で小児科医として働く山口有紗さん。

その傍らでこども家庭庁に勤務。さらに子どもに関する専門家のプラットフォーム「こども専門家アカデミー」も主宰している。また、国内外の研究や子どもたちの声を政策につなげる方法を学びたいと、米国ジョンズホプキンス公衆衛生大学院に留学し、修士号を取得した。

彼女は高校を中退後、単身英国に渡り、帰国後は夜の街での就労などを経て大学に進学。その後、医学部に編入するという異色の経歴の持ち主だ。

そんな山口さんに、これまでの歩みと活動への原動力、これからのビジョンについて伺った。

息苦しかった思春期

中学2年生頃から精神的な不調に悩まされ、毎晩のように家を飛び出していたという山口さん。うつや自傷、家庭内暴力、摂食障害のために入院した。

「なぜそうなったのかは今でもわかりません。強いて言うなら両親の不和だったり、幼少時から人間であることへの罪悪感を感じる繊細さを持って生きていたこと、いろいろな要因が組み合わさったのだと思います。診察時に不登校の子どもに話を聞いても、明確な理由はわからないことが多いんです」

高校も次第に不登校になり、高2でやむを得ず中退することとなってしまった。

「外に出て人に会うとヘトヘトになるんです。頑張ってるんだけど、いろいろなことが全てうまくいかない。そんな自分が許せなかった。理想の自分と折り合いがつかず、苦しみました

引きこもり生活から単身渡英へ

当時は親とも関係性がうまく築けず、精神科の医師に相談したうえで一人暮らしをすると決めた。

「そのときの精神科の先生が良い先生で、私に心から関心を持って接してくれました。一人暮らししたいことを相談したら『環境を変えてみてもいいんじゃない』って言ってくれて。親は驚きましたが、多くのことを約束したうえで許してくれました」

しかし、一人暮らしを始めたものの、ほぼ引きこもりの生活が続いた。光さえも怖く、カーテンを閉め切り、窓にガムテープを貼った部屋のなかで一日中寝て過ごしていた。

そんなある日、ぼんやりテレビを見ていると衝撃的な映像が目に飛び込んできた。旅客機が超高層ビルに突っ込んでくる。ビルは炎上し、やがて崩れ落ちた。アメリカ同時多発テロのニュースだった。

「飛行機の中の人たち、そしてコックピットでハンドルを握り突っ込んでいった人たちはどれぐらい怖かったんだろう、どうしてこのようなことが起きているんだろう、とかいろいろな思いが浮かびました。世の中の矛盾やひずみ、人の苦しみ、平和への思いなど、この事件からメッセージを読み取れるような気がして。報道から知るだけではなく、もっと正面から向き合わなければといてもたってもいられなくなりました」

今すぐ渡米したいと親に伝えたが、もちろん反対された。それでも根気強く説得を続け、米国ではないがテロの後の議論が激しく行われていて、かつ滞在した経験のあるイギリスならと許可が出た。親は大学費用として貯めておいてくれたお金を渡してくれた。山口さんが17歳のときだ。

「安心して悩んでいいよ」

せっかくイギリスまで来たのだから、何か人の役に立てることをしたい。思いついたのは「折り紙」だった。「リハビリに生かせるのではないか」。片っ端から病院に電話をかけ、断られ続けるなか、ようやくインド人のリハビリセンターのボランティアに漕ぎつけた。

「インドのローカルな言葉を話す人がほとんどなので、コミュニケーションは基本ボディーランゲージ。折り紙をしたり、ありとあらゆる種類のカレーを一緒に食べたり。私の居場所が見つかった気がして、穏やかな気持ちになれました

リハビリセンターでヨガの先生と出逢ったことは運命的であったと山口さんは言う。

「私は幼い頃から『人間であることの罪悪感』を抱えて生きていました。戦争をする、嘘をつく、傷つけたり裏切ったりと、人間の邪悪な面ばかりが浮かぶのです」

悩みを正直に彼に話すと「それは当たり前のことだよ」と言ってくれた。

「説明が難しいのですが『大きな世界の中で、全てのことは起こるべくして起こっている。私が抱えている悩みもそう。大きな世界に身を委ねて、この「生」のなかで安心して悩んでいいよ』と言ってくれて、ストンと腑に落ちました。誰にも理解してもらえないと抱えていたしんどさを、真正面から受け止めてもらえた貴重な経験でした」

個人の努力だけでは這い上がれない

2年間に渡るイギリス滞在後に帰国、京都で一人暮らしを始めた。生活費を稼ぐため就職しようと思ったが、中卒の履歴書では面接にすら呼ばれない。そのため昼は児童養護施設のボランティア、夜はホステスで生計を立てた。この暮らしの中で見えてきたものがあると山口さんは語る。

「児童養護施設出身で繁華街でバイトをしていたのに突然来なくなり連絡が取れなくなった青年や、10代で子どもが2人いる夜の世界で働く女性など様々な人がいました。彼ら彼女らだけが悪いわけではない。たまたまこうならざるを得なかった環境にいただけかもしれない。それなのにほとんど外に頼れず、自分の力だけで解決していくしかないこの社会って何なんだろうと疑問に思いました」

人生でひとつでもつまづくことがあったら、転げ落ちてそこから這い出せなくなる怖さを感じた。個人の努力だけではどうにもならない。周囲に頼りにできる人や環境などのリソースがいくつもあれば、救いになるのではないかとそのとき強く感じた。

今の私にできることは何だろうか。さまざまな機関に連絡を取った。しかし、中卒ということもあってか取り合ってもらえない、あるいは「大切なことですね」と流されることが続いた。専門的な知識を学ばなければ何もできないと思った。高卒認定試験を受け、大学に入学し勉強に打ち込んだ。卒業後は社会問題に関わり続けたいと思い、マスメディア、NPO法人などへの就職も考えたが、選んだのは医師。子どもの現場に専門知識を持って寄り添い、そこでの学びをより大きな仕組みに反映させたいと思ったからだ。そして猛勉強の末、山口大学医学部に編入した。

子どものこと、本当に理解できてる?

医学部卒業後、研修医を経て小児科医としての道を歩み始めた。充実した日々が続いていたが、次第にある疑問が湧いてくるようになった。

「子どものこと、私は本当に理解できているんだろうかと。小児科医になったら、もっとできることがあるはずと期待していました。しかし診察室で聞くのは子どものほんの一部、身体や心の状態のみ。育った環境とか、病院を出た後のご家族とのやり取りとか、学校の様子などはわからない。専門分野の色眼鏡だけで子どもを見ていて、全体像が見えていないと感じました

周囲の保育士や学校の教員にこの思いを話したところ、彼女たちも同じような歯がゆさを持っていると教えてくれた。それと同時にわかったのは、保育士や教員のような「子どもの専門家」であっても不安を抱えているということだ。

「子どものことは知ってて当たり前として見られてしまうプレッシャーがあると聞きました。だけど、自分の専門外のことは当然わからないことも多い。頼れる人がたくさんいると知るだけでも、専門家たちも心が楽になると思うんです」

「こども専門家アカデミー」設立へ

専門家たちが強みを持ち寄るだけではなく 「どうしたらいいかわからない」と言えるような「弱さでつながるネットワーク」があってもいいのではないか。このような思いで設立したのが「こども専門家アカデミー」だ。緊張しなくていい、わからないことを素直に聞ける「いつもそこにある会」しようと決めた。

専門家が自身の取り組みについて話したり、ときにはゲストスピーカーから学んだり、グループで悩みごとを話し合ったり。「アットホームな雰囲気で、ざっくばらんに何でも話せる会」と山口さんは微笑みながら語る。

専門家だけではなく、子どもに関心を持っている人なら誰でも参加できる。最初は約10名の参加者だったが、この活動に共感してくれる人が次第に増え、始動から8年を経て、のべの参加者は1000名を超えた。

「わからないから教えてと言えることが、こんなに絆を生むものなんだというのが大きな学びでした。自分の専門外での相談先があるとわかると、子どもの声を深くまで聞いても大丈夫と思えます。専門家であっても、もっと周りに頼ってもいいのです

いわゆる「問題行動」を前に、大人が子どもにできること

子どもの周りには「あなたのことを知りたいし、興味があるんだよ」と純粋な関心を持って接してくれる人が複数いることがとても大切だと山口さんは語る。

専門家たちが繋がることで、一人の子どもを多くの大人たちで見守る環境が作れるというメリットもある。

「大人が子どもの問題行動を無理に止めようとする理由のひとつは、対処方法がわからないからかもしれません。子どもは行動することで、心の状態を示しています。大人ができることは、子どもをコントロールすることではありません。『この行動は何の意味があって、何の役に立つのか』と関心を持つことです。

親子だけがいわゆる”問題”を抱えるのではなく、専門家も一緒にチームで子どもに寄り添うことが子どもの心の回復に繋がります

子どもたちの権利が当たり前に認識される社会へ

最後に今後のビジョンを尋ねると、山口さんはこう語った。

子どもたちに、『この世界は子どもの権利が守られ、尊重される場所』だと伝えたい権利の実現のために起こせる行動を、子どもたちと一緒に考えていきたい

日本が国際条約の「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」に批准したのは1994年。子どもに関する法律の国内法としては、児童福祉法をはじめとして様々なものがある。令和5年4月1日にはこども家庭庁が発足し、子どもについての政策のあり方などを包括的に定めた「こども基本法」が施行された。一方で、子どもやその周囲を含め、法律の認知度は低いのが現状だ。

「どのような形にすればより伝わるのか、子どもたちと一緒に考える場を作っていきたいと思います。大人が行いたい形で子どもの権利の実現を目指したり、参画を行ったりするのではなく、本当に子どもの最善の利益となるものを、子どもと大人がパートナーとなって創造していけたら。マスメディアとの連携も重要です。将来的には、子どもの権利が楽しく伝わるような子ども番組や、子どもや周囲の大人たちが身近に触れる製品作りにも携われたらいいですね」

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