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じいじ 保育士を目指す! 保育士の専門性

大学院では

 保育学の講義で、この専門性について学んでいる。

 全ての人が保育士の専門性を認識していないのは、このnoteを見てもわかる。それは、我が子の育児を自宅保育とか、孫保育という事でもわかる様に自宅や自身の孫達の世話をする事が保育だと思っている人が一定数いるという事がその証左だろう。

 ここで書いた通り、子育てイコール保育ではないという認識がないから、育児を外部委託するという意味でしか保育を認識していない。つまり、お金を払って預けるという認識で保育園に子どもを通わせている訳だ。

 が、そもそも保育は子ども達の育ちを、遊びと保育園という環境によって子ども達と保育者の相互の関係性の中で生み出されるモノである事。保育がその相互関係によって生み出される行為自体が、子ども達個々に対応し、その相互作用を的確に捉えて個別対応ができるという、まさにその部分が専門性の源泉なのだ。

 子ども達の遊びを的確に捉えて、その遊びを邪魔しない。子どもがまさに成長を自身の興味で、自身の体と頭を使って日々行う活動(遊び)が成長(育ち)であり、子ども達相互の関係性と子ども達と保育者の関係性という他者との関わり、他者との生活を通して、他者への思いやり(他者存在と他者への眼差し)や友情、大人との関わりを学んでいく。

 これらは、家庭でおこなわれる育児とは別の育ちだ。この家庭と保育園の連携と相互の関わりが子ども達の育ちを効果的に促す。

 こういう行為が自身の育児との違いをわかりにくいモノにしている。子どもの個々との関わりの中で相互作用を生み出し、適切な関係性を生み出していく行為が子どもと保育者の中で起きる起こす、まさにその状態を生み出す事、それこそが保育の専門性であり、外部の人々から保育が子どもと遊んでいるだけと思われるという保育の相反した専門性の姿なのだ。

 子ども達の育ちを保証し学びを保証するその行為は、その時々に保育者と子ども達の意識的な関係性と保育者の判断によって生み出されるリアルタイムな関係性の連続による日々の積み重ねによってもたらされる(専門的な行為の)結果として生み出されるもの。

 的確に、そして内面でおこなわれる変化が保育による“成長”というモノであり、我々はその育ちを保育者として適切に促す。まさにそれが保育というモノである事を学んでいる。

 だから、私は世間に対して保育が子育てを保護者と共に行う専門家である事を伝えていきたい。保育者は、保護者の子ども預かり委託先ではないという事を。

さて、今日はこの辺で。

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