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じいじ 保育士を目指す! 学費

このnoteを読んでいて

 東京大学の学費値上げ検討の記事が何件か論じられていた。

論点としては、世界的な状況で特にアメリカから比べれば安すぎるから、当然値上げという考え方と、そもそも国立大学が値上げするのはどうか?という論。

既に値上げしている国立大学

 があるが私の考えは、国立大学がそもそも存在する理由は、国民の知的財産として高等教育へのアクセス保障を行い、近い将来無償化を果たすべきであって、値上げというのはおかしな話だと思っている。

 そもそも、効率化係数というふざけた制度を導入した法人化制度(小泉政権)自体が間違っていたからこそ、この値上げ問題が発生し、この国の文教政策の失敗したという現状をよく表していると考える。

 この国の未来を担う者に、高等教育を受ける機会を全ての望む子ども達に与えるというのは、この国が少子化に向かって国力としてそのサポート能力がある内に実現し、子ども達を支えていく事こそが唯一この国の没落を防ぐ手立てだと考えている。

 私は、幼児教育、保育学が専門であるが、この国の教育は全ての子ども達にそれぞれに望む事を与える、個別対応が可能な段階に既に来ていると考えている。

 つまり、幼児教育が個々の子ども達の状況に応じておこなうという事が前提であるその状況が義務教育段階においても可能な状況になっていると考える。

 それは、マス教育方法(量的な教育)から質的な個別対応教育へのシフトをすべきだという意味だ。

 高度経済成長期の教育方法を今すぐ見直し、子ども達の個別の状況に合わせた教育を受けてもらう教育システムと、選別的評価方法による高等教育システムへの選抜(例えば入試)を取り払って、望む者が望む場所で勉学を進める。もちろん、勉学をしない者には卒業を与えない。学ぶ意志がないなら、退去してもらう。

 そういう大学評価システムに切り替えて、望む子ども達には全て進学を保障する文教政策に政治は動くべきだと考える。

 この国の国力がそれらの教育システムを支えられる余力がある内に実現し、この国の子ども達の未来を明るい方向にシフトさせる為に必要な事だと私は考える。

 既に、この国の若年人口はそれ程に少ないという意味を理解すべきで、その中で過去の大量教育システムを支える意味がない事を知るべきだと思う。

 国立大学側が言うべき事は、値上げでなく法人化制度のそもそもについて問題提起する事こそが論点だと考える。

つまり、ちゃんと正面を向いて反論し、子ども達を守りなさい!という意味だ。

さて、今日はこの辺で。

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