見出し画像

作品よ行っておいで


自分の書いたものにあまり執着がない。

世に発したらもう自分の手は離れたと思う。

成人した子供が実家を出て一人暮らしを始めたような感覚だ。
自分の役目はこれで終わり。
いちいち詮索しないし、どこで何をしてようと気にしない。
元気ならそれでいい。可愛がってもらっておいでという感じ。

ここ最近書き手さんの朗読が流行っている。
そしてご自身の作品より他の書き手さんの好きな記事を選ぶのが多い。
とても素晴らしい交流だと思う。
紹介しながら自身の別の顔も見せることのできる新しい表現だ。

かくいう自分も一度朗読して頂いた。読み手は静森あこさん。
不穏でけだるいエロティックな世界を堪能させてくれる作家さんです。
嫌なストーリーですが静森さんの可愛いらしい声が中和してくれてます。
是非お聴き下さい。

実は以前にも拙作を朗読して頂いたことがあります。
昨年公募ガイドさん主宰のコンテスト「小説でもどうぞ」のコラボ企画で
女性アーティストのmaica_nさんに作品を朗読して頂き
第17回「家」の応募作「愛しい人」を読んでもらいました。

まだ23才とは思えない落ち着いた声。ハスキーボイスが素敵です。
聞いている時、不思議に自分の書いたものという気がしませんでした。
なんだかアルバムを捲っているよう。
この作品はもう過去のもので自分の手を離れたんだなあと思いました。
もっとこうしてほしいと全く思わずに聞けました。

maica_nさんが受けた作品の印象。登場人物のイメージ。見えた景色。
書いた自分と違っているだろうし、違っていたって構わない。
maica_nさんは彼女が思い描いた世界を表現してくださったわけで
もうひとつの「愛しい人」が誕生したことの方が嬉しく思えた。
作品とはプレゼントみたいなもの。
あげてしまえば相手がどう使おうととやかく言うことではない。
ガラス作家をやっている知人がいるのだが、
旅行好きの彼は全国あちこち出掛けており、
金がなくなるとその地でアルバイトをして旅を続けていた。
一度愛媛のみかん農家さんの家に一週間ほど泊まらせてもらい
収穫のお手伝いをしてきたことがあった。
戻ってきてからお世話になったご家族に金魚鉢大の花瓶を作って贈ると
先方さんはそれをお婆ちゃん手作りの紫蘇ジュース入れに使用していた。
赤紫の液体がなみなみ入った写真を見て一緒に大笑い。
「好きに使ってくれればいいよ」
彼に同感だった。贈ったなら相手のもの。こちらの理想を押し付けない。
自分もそういうスタンス。
書いてて楽しくて面白いと思ってもらえればそれで儲けものだ
自分の作品に固執しないのも作家にとって必要な要素だと思う。
自分はこういうつもりで書いたけどそっちはそう思ったの。へえー。
うまく騙せてんなしめしめと愉快だったり、深読みにびっくりが楽しい。
花瓶だけど紫蘇ジュース入れにちょうどよかった、でOKだ。
エッセイであっても「昨日の自分など他人」とどんどん脱皮してゆけば
皮の形の批評などどうでもよくなる。
作家はあくまで脚本、演出、舞台監督の裏方。主演はすべきでない。
全部を一人でやれば批判も全部受けなければならない。しんどすぎる。
「書いたのあてえどすけど中の人物は他の誰かですから」
そのぐらいの無責任さもないと自分で自分に縛られてしまう。
人間は変わるもの。その変化を見る方が返って楽しい。
子供は世に出て育つ。ハイジのようにのびのびさせてやればいい。
ロッテンマイヤーさんは正しいけれど正解ではないのです。
作品など川に放流する鮭の稚魚のように「行ってこいよ」と放ってしまえ。
遡上して戻って来たときに「よう頑張ったな」と褒めてあげればいいのだ。

これを書いてる時に愛知の移動動物園から脱走したフンボルトペンギンが
45キロも離れた海岸で2週間ぶりに発見されたという記事を見て感動。
自分で餌を捕る訓練をしてなかったので飼育員さんも諦めていたとのこと。
けど見つかったフンボさんはとても元気で自分で餌を捕っていたらしい。
素晴らしいぜ。頑張ったな。
生き延びるためなら自分で学習する。これっすよ。見習いたい逞しさだ。 
 


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?