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書いてみりゃわかるさ


こんにちは。細々と創作活動しているわたりどり通信でございます。
Note では主に小説と詩のようなものを投稿しています。
一度でも読んだことあるよ、という方、ありがとうございます。
スキもしたよ、という方、愛しております。

公募生活も今年で5年目になりました。
結果の出るもの出ないもの、まちまちです。 
三年前から毎年応募してしている小説現代新人賞は
二度一次通過したものの、どちらも二次で落選。
すばるにいたっては一次も通らない。
群像は二次までいったけど三次で落選。
コバルト新人短編小説は三度挑戦して一度だけ「もう一歩」に名前が掲載。
今年のノベル大賞も一次通過でフィニッシュ。
北日本文学賞も二年連続一次通過のみ。
その他にもポプラ新人賞、林芙美子、やまなし、木山捷平、太宰治と
あらゆる文学賞にのべつまくなしに応募していずれも玉砕。
もう止めりゃいいのに、ようやるわと自分でも思います。アホちゃうかと。

しかーし、なぜ応募を続けているかと申しますと
四年前にとても悔しかった心残りがあるからです。
もうなくなってしまったのですが青森県の地方雑誌「ゆきのまち通信」が
主宰の「ゆきのまち幻想文学賞」というのをご存じでしょうか。
第31回まで開催されていたのですが、その審査員をやられているのが
作家の夢枕獏氏と少女漫画の神である萩尾望都氏でした。
実はミー、萩尾望都先生を師と仰ぐほど大ファンなのです。
出版物として世に出た作品で読んでいないものは多分ないでしょう。
同じ漫画でも定型版、愛蔵版、傑作集と出る度に買うマニアっぷり。
にもかかわらず、萩尾氏がそんな賞の審査員をしてることを
31回目を迎えるまで全く知りませんでした。
見つけたのは、年明けに熱が出て寝込んでいた時です。
非常に無粋ですが楽してお金が欲しいなあと考えていて、
小説でも書いて賞獲ればいくらかもらえるんじゃないかと
手頃な公募を探していた時にたまたま目に入ったのです。
なにー!こんなものがあるのかあー!!と
えらい興奮したのを覚えています。熱も吹き飛んだほど。
締め切り一週間前ぐらいだったかな?
原稿用紙10枚。ひとり10作までOK だった気がする(定かでない。すいません)
雪にまつわる幻想的な物語であることが規定。
それで大慌て書き出し、締め切りギリギリで5作を送った。
最優秀は30万円の賞金プラス表彰式に無料で招待。
つまり最優秀に選ばれれば30万円もらえるに加えて
萩尾氏にも会えるのだ。こんな盆と正月あるのか。ヒョエー。
結果は封書で届くので、それからは暇があればポストを覗く毎日。
郵便屋さんのバイクの音が聞こえると犬のように走り出す。
たまにフライングで覗いてる最中に来ることもあり、恥ずかちいので
ポストの下にしゃがんでいなくなるまで息をひそめている。ふふふ🌚
そうして待ちに待った2ヶ月後
ポストを開けると、なんと茶封筒が寝そべっているではないですか。

こいつだ↓


キターーーーーーーーーーーーーーー❗

そうして封筒を開くとこれが入っていたのです。

火事場の馬鹿力というように浮かれのダンスとでもいうのか
踊れなくても祭りがはじまれば踊れるものです。
(遅ればせながら、公募の際「渡鳥うき」というペンネームでやってます)

しかしながら入選であり、残念ながら最優秀には選ばれませんでした。
けれど表彰式には出席できるわけです。
大好きな萩尾望都先生に正当な理由でお会いできるのです。
絶対サインをもらおうと、どの本を持ってゆこうかと嬉しい悩み。
だがあいつがこの夢を打ち砕きました。
コロナです。
三年前なのでまだソーシャルディスタンスが提唱されており
延期に次ぐ延期でとうとう表彰式は中止になってしまい
翌年には「ゆきのまち幻想文学賞」自体が消滅してしまいました。
 
ひゅうううううううう…🍃🍃🍃うう…心が寒いぜ…。
こんなことがあっていいのか。
わしゃこれからどうしたらええんや。
あつひろやー、めげないでーの声も聞こえない。
(分かる人にだけ分かればよいです)

その空白たるや、なにをやっても埋められない。
テレビで青森県が映るだけで寂しさが込み上げてくる。
しかも入選作品をまとめて本にしてくれる特典もなくなった。

ものすごくガッカリしながらも
でも書いてる時は楽しかったなあと思い出していました。
拙作ながら高名な夢枕獏先生と萩尾望都先生のお二人が選んで下さった。
読んで頂けただけでもすごいことなんだと前向きに考えることで、
書いていればいつかは誰かの目に止まるのだ、それはすごいことだと、
そこから「読んでもらえるための」創作を始めました。
あらゆる文芸誌、地方文学、文頭にあるように応募しまくってました。
そうなると同じ志を持つお馴染みのお名前も度々お見かけする。
昨年創作大賞で見事デビューを果たされた秋谷りんこさんも
ある新人賞の一次通過者に何度かお名前があった。
秋谷さんはその頃から文章の巧みさを褒められていましたね。
基礎があって、資質があって、書き続けてこられた。
納得のデビューで、面識もないのに「頑張ったねえ」と嬉しかったです。
(心の声です。誠にすみません🙇)

そうしたお名前があるとちょっとやる気が出るのですよ。
この人またいる。この人もまた挑戦してるんだと、
ライバルだけど仲間のような気持ちになって
自分も諦めずにやらねばと、気を引き締めて画面に向かうわけです。


とはいえよくて一次通過。もらえる講評には
「設定は面白いが心理描写が足りない」
「文章は達者だが何を言いたいか分からない」
と、ズバズバと芯と突かれ、相当メンタルやられるのですが
これが後々になってちゃんと薬の役目を果たしてくれるのです。
次回作からは指摘された所を意識して書くことで、書きやすくなります。
目覚ましく上達するわけではありませんが、つまらないこだわりが
なくなり、読者が読みやすい方を優先するようになるからです。
どうしても入れたいエピソードがあっても伏線回収に時間がかかりそうなら
別の展開を考えたりとか、欠点を見直すことで選択肢が増えました。
なのでいつかデビューを夢見てる人はどんどん応募した方がいいです。
きつい言葉もありますが、講評は必ず自分のためになります。
ただで添削してもらえるチャンスですから存分に使いましょう。

こうして続けてきた公募生活。分かっていても壁は厚い。
長編は向いてないかもと悩んでいた時に
雑誌「公募ガイド」が主宰で、作家の高橋源一郎氏が審査員をしている
「小説でもどうぞ」という短編小説の公募を見つけました。
短編は「坊っちゃん文学賞」では全滅
しかしながら「ゆきのまち幻想文学賞」では入選。
書くのは好きだけどどこまで通用するのかが未知数。
月ごとにお題があって、枚数は原稿用紙5枚。
面白そうだからやってみよと書いてみたお題が「家」
10作品まで応募できたのですが、8作しか書けなかった。

これは正直少し自信がありました。どれかは分からないけど
ひとつは絶対引っかるはずと。枚数はばかにできないのです。
若い頃は詩を書くのが好きで、選出された詩を本にしてくれる
コンテストで、応募数規定なしと書いてあったため68作書いて送りました。
すると主催者の人から電話が掛かってきて「こんなに書いてくる人ははじめてだ」と褒めてもらい、イベントなどに呼んでもらえたりもしました。
今思えば読む方は迷惑だったでしょうね。けど書くと止まらないのよ。
そうして数で稼いだ結果、初投稿で最優秀を頂きました。


 不特定多数の方々に読んでいただけた最初の作品です。
発表を見た時は再び踊りました。猿のように。いや蜂のように。
それからは長編を書いている時以外は、頭を整理させる訓練として
応募を続け、ありがたいことに一年でこれだけ選出してもらいました。
高橋源一郎先生、門井慶善先生、中村文則先生とそうそうたる面々。
的確な講評も頂きまして、本当にありがとうございます。
おかげでますます短編が好きになりました。精進いたします。





お時間があればどれかひとつでも見ていって下さい。
ちなみに家の落選作品7作品もあります。

 さらに暇で暇でしょうがないという方は「愛しい人」を読んだあとに
note 内に投稿している「ルッキングフォー」をお読みいただくと
何かを発見します。そ~れ~が~な~に~か~は~お~た~の~し~み~。
こちらも佳作以上になりますと高橋源一郎氏から講評がもらえます。
長編を書いてるけどうまくいかないなという方は是非挑戦してみて下さい。
短編は話をまとめる技術がつきます。
お題があり、枚数もある。枷があってこそ余計な贅肉が削ぎ落とされる。
特に短編は説明過多になりやすいので、もっとタイトにするための言い回しを考えたりして語彙力もつき、発想力も鍛えられます。
もしこれから応募してみたいという方に、僭越ですがアドバイスを。
回によって応募可能作品数が変わるのですが
ひとり3作までなら絶対3作書いた方がいいです。
ひとつめは、お題を見た時に最初に浮かんだ話をそのまま書く。
ふたつめは、ハッピーエンドのものを書く。高橋先生がいい話が好き
というのもありますが、5枚でハッピーエンドって結構難しいんです。
多少のひねりも必要だと設定に迷うし、だからこそ腕が試される。
みっつめは、自分らしくないものを書く。普段SFが主ならあえて恋愛もの
純文学が得意ならちょいオカルトなど。つまりは遊ぶのです。他人になる。
ヤケクソで書いたものが案外選ばれたりします。正直「よき妻」が選ばれると思わなかった。この時小池真理子さんの短編を読んでいて、自分も嫌な話が書きたくなって、勢いで書き殴っただけだったので、ビックリしました。
絶対の傾向と対策ではありませんが、色々試してみるとインナーマッスルが鍛えられます。選ばれた理由も含めて学習しますからね。

 色々書きましたがミーもまだまだ発展途上ざんす。種は撒くが実りは少ない。早く収穫の喜びを味わいたいっす。その時は「サマータイム」を歌う。
現在も三本執筆中で、その中のひとつに創作大賞に出すための作品である
「いいかげんで偽りのない僕のすべて」を書いています。
 正直最後まで書ける気がしない。応募作品が多すぎて完全に埋もれていて、もういいかな…という気持ちになりつつある。でも自分では好きな話で、ラストも決まっているのでなんとかゴールまで辿り着きたい。無事完結した際は是非読んでみて下さい。宜しくお願いします。
 
 それにしても凄まじい応募数の創作大賞。自分も含めてですが、スキの数を少しでも増やしたいと思うと、創作大賞のハッシュタグ付けて目に止まりやすいようにしてしまうのよね。貪欲だわさ。永遠終わらぬスクロール。けど他の方の作品を読んで、それがめちゃくちゃ面白かったら、影響受けそうなので今は読む余裕がない。短編はちょこちょこ読ませて頂いてるけれど。
 人にはそれぞれ宇宙があるんだなと感じます。好き嫌いはあっても、誰かにとっての特別な場所を否定したり蔑むことはしません。息づくものがあるかぎり、その場所は必要とされているからです。例え架空の世界でも。
 自分もそこしか居場所がない時もあるぐらい、創作はいつも一番側にいてくれる親友です。うまく話せないことでも創作というフィルターを通せば伝えられたりします。そうすることで別の角度からの解釈も発見したりして、今日も教えてもらってありがとうと感謝もできます。日々成長。日々悶絶。
 
 頭の中では傑作という言葉があるように、誰でも名作を思い付くことはできるのです。けど書き始めると全然思い通りにいかない。文章は暴れ馬で言うことを聞きません。本当はこういうことを書きたいのに、そこに到達するまでの過程がうまくいかなくて、どんどん迷走する。よくあります。もう何度も経験済みです。 恋愛ものが最後はミステリーになってるとかね。そのぐらい創作というのはペンを持っている本人も振り回される奇妙な現象。けどだから面白い。単なるネタのメモを書いてただけなのに、筆が乗って10ページぐらいの話ができてたりする。風呂の蓋開けっ放しなのに止まらない。
 出来不出来はともかくとして、いつかはなにかに使えるだろうととっておくと、別の話で行き詰まっていたときに「そうだ、あれがある」と思わぬ活躍をしたりします。エピソードの再利用。ネタ切れと呼ばないでん。

 なので今日も書いています。傑作か駄作か。この際どうでもいい。
 書いてみれば分かること。
 その先の景色を知りたいからミーは毎日書き続けているのでございます。
  (でもやっぱり萩尾先生にお会いしたかった…💧)



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