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『ハマヒルガオ』第3話:二つの種族


第3話:二つの種族

 
 阿泉(あずみ)家は、御宿の町を裂くようにして走る清水川のすぐ傍にあった。清水川を辿る先に御宿海岸があり、月の砂漠と呼ばれる浜辺に立てば、目の前には網代湾が広がっている。

 ご先祖様が代々住み続けているという家は、昔ながらの大きい屋敷であった。家の外はいつも、御宿海岸の沖から吹き付けてくる潮風の匂いが充満していた。綺麗に刈られた芝が生える庭は、二十台分くらいの車は停められる程の広さがあった。低木、中木、高木、花木、果樹とさまざまな植木があり、時期になると柿や蜜柑、金柑の実をとって食べることもできた。庭の隅には先祖の遺品などを保管した蔵もあり、そこには敗戦で紙切れになった南満州鉄道株式会社の債券とか、鉄兜や、戦時中に使われていたのだろうか、毒ガスマスクなどがあったが、取り立てて価値あるものが置かれているわけではなかった。

 六夏が幼稚園に通っていた頃には、その庭でよく、弟の睦斗(むつと)や、近所の子供らと一緒になって、かくれんぼや戦隊ヒーローごっこなどをして遊んでいた。無駄に敷地が広かったので、子供たちにとっては格好の遊び場になっていた。野球やフットベースができるくらいの広さだったので、六夏が小学校四年生くらいの頃には、学校が終わるとクラス中の男子が集まってきて、家主の娘である六夏のことに構うことなく遊ぶようにさえなっていた。

 やがて、わんぱくな男子生徒らが、来る日も来る日も、六夏の許諾なく家の庭にやって来ては、我が物顔で占拠しているものだから、見かねた父の龍二が、「人の家で勝手に遊ぶんじゃない!」と激昂した顔で、子供たちを一喝するのであった。その迫力のあまり、男子生徒らは一目散に飛び出していったが、この出来事によって、クラスメイトは六夏を敬遠するようになった。六夏からすれば、他人に強く主張できない自分の気の弱さにつけこんでくる男子連中に、家を好き勝手されるよりは、よほど良かった。父の龍二には、
「優しさは時に仇になることがある。他人はすべて狼だと思え。金を持っていない連中は特にそうだ」みたいなことを言われた記憶がある。

 このことだけが理由ではないが、ある時から六夏には友達と呼べる友達がいなくなった。誇張ではなく、本当にいなかった。家という遊び場が、かろうじて六夏と友達を繋ぎとめていたともいえるのだが、それが失われてからというもの、六夏を積極的に誘う者は皆無となった。
 
 そんな六夏は、休日にもなれば祖父のいる離れの小屋を訪れる。弟の睦斗には、海に来るなと言われていたので、今の六夏にはそこしか居場所がなかった。自分一人の部屋もあったが、父と同じ屋根の下、同じ空気を吸っていることが耐えられなかったので、母家にいるよりも、離れの小屋にいる方が何十倍も良かった。たとえ父と母が、「お父さんの被害妄想が日に日に激しくなっている」と呆れ返っていたとしても、あるいは親戚らが集まる酒の席などで、祖父が何かを語るたびに、「また文斗さんの虚言が始まった」と親戚の者らがうんざりするようになっていたとしても、六夏が信じるべくは祖父であった。六夏にとって、祖父が心の拠り所であることに変わりはない。それは、六夏がまだ一等幼かったころからそうなのである。

 確かにある時期からの祖父は、六夏の父である龍二が、自分のことを隔離し幽閉しているのだと、世迷い言のように言いふらすようになっていた。

「ご先祖様を裏切ったあの悪党は、阿泉家を奪うことにもの足らず、この儂を無いものとして扱いたいのか、誰も寄り付かない離れの小屋に閉じ込めたのだ。強欲な奴らの考えることは一緒だな、儂をオオクニヌシ様と同じ目に合わせようとしている」

 実際のところ、離れの小屋に居つくようになったのは、祖父の方からである。祖母の弓子が亡くなってからというもの、祖父は身を潜めるようにして、自ら母家を出ていった。もともとは客室として、親戚や他所の人を泊めるためにあった離れの小屋を、自分の書斎兼寝室として使用するようになった。それまでは、一家の大黒柱として阿泉家の中心であった祖父は、居間のソファに踏ん反り返りながら、他に何をするわけでもなく時代劇や大相撲の中継に夢中になっていたものだが、龍二と顔を合わせれば言い争いも絶えないという状況に嫌気がさしてしまったのだろう。

 離れの外からは、中の様子は見えない。祖父は昼間でも雨戸を閉め切っているからだ。本当に祖父はいるのだろうかと不安を覚えるくらいである。
 離れの小屋は平屋になっていて、祖父一人が住むには贅沢な広さである。中の造りも、居間があり、風呂トイレもあり、他にいくつかの部屋がありと、そこらの一軒家と変わりがない程だ。六夏は正面入り口に立ち、玄関の呼び鈴を鳴らした。祖父が外に出かけることは滅多にないので、間違いなく家にはいるのだろうが、なかなか反応がない。

「お祖父ちゃんいるの?」と声を出してみる。しばらくすると、玄関の引き戸が開き、白髪が増えたぼさぼさ頭の祖父が現れた。

「おお六夏か」と祖父は口籠りながら言う。

「学校は休みなのかい?」

「そうだよ」

「お友達とは遊ばなくてよいのかい?」

 祖父は、友達との付き合いが少ない六夏のことを心配する。自分のところに来てくれることは嬉しいが、この歳で一緒に遊ぶ友人がいないというのも困りものだなとでも思っているようだ。

「友達なんてずっといないよ。そんなの、知っているでしょ」

 六夏が少しむきになった口調で返すと、祖父は皺くちゃな口元に笑みを浮かべて、「入りなさい」と言い、六夏を招き入れた。

 祖父の背中は小さかった。ただでさえ痩せ細った体であったのに、ここのところ一層に肉付きが薄くなっているように見える。
 畳の敷かれた居間には、祖母の仏壇があり、線香が炊かれていた。仏壇に飾られている祖母弓子の遺影が、六夏に笑いかけているように思えた。祖母にはよく山に連れていってもらい、たけのこや山菜を採ったり、花を摘み、押し花を教えてもらったりして遊んだ。六夏は祖母のことも大好きであった。祖母もまた、六夏をよく可愛がってくれた。祖母があまりにも六夏のことを外に連れまわすので、母の波月が見かねて、六夏は勉強もあるから、あまり連れまわさないでほしいと注意すると、この子は自分の娘(こ)だから文句を言わせないと祖母は言い、六夏を自分の手元から離そうとしないものだから、母とはたびたび喧嘩になったという話を聞いたことがある。
 
 祖父の小屋には、大きな居間と部屋が二つあり、一つが寝室、もう一つは書斎になっていた。祖父の書斎には、手作りしたという書棚が壁一面に並べられていて、古くて赤茶色になった古書や、百科事典のような重厚な書物がぎっしりと詰め込まれているのであった。母家にいた頃からも、祖父の書斎は六夏を魅了した。それら大量の書物が放つ厳かさに、いつも圧倒されてしまう。離れの小屋に移ってからも、その量は、増殖する生き物のように増え続けていて、そのうちこの小屋すべてを埋め尽くしてしまうのではないかと思える程であった。すでに書斎には収まりきらない書物たちが、廊下や居間の隅々に積み重ねられていた。

 祖父は、若い頃は作家になることを志していたものの、ついぞその夢が叶わなかったと、今もなお悔やんでいるらしい。学生時代から作家になるのだという思いに取りつかれていた祖父は、これまでただの一度も就職することなく、ずっと独自に執筆活動を続けていたそうだ。しかしなかなか芽は出ず、ひたすら家に籠り、机に向かっては書けないと憂い、憂いては苛立ちを誤魔化すようにして酒を飲むか、時間を忘れて本を読むかという生活が続いている、ということを母から聞かされていた。これらの書物たちは、いわば作家を目指していた祖父にとっての血肉のようなものなのかもしれない。あるいは、叶わなかった夢の残骸とも言うべきか。

 幼い頃から祖父の傍にいた六夏にとってもまた、書物への関心が向くのは必然であった。六夏は、書物の中身というよりは、書物それ自体に囲まれていることが心地よいものであった。祖父の書斎に来ると必ず、書棚に並べられた書物の背表紙一つ一つを目で追いかける。夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎といった国語の教科書にも出てくる作家の全集から、世界の歴史、世界の文学、世界の名著といったシリーズものが綺麗に陳列されていて、とりわけ世界の名著シリーズにある、アリストテレス、プラトン、ガリレオ、ニュートン、ルソー、カント、ダーウィンと、どこかで耳にしたことがある片仮名の人名に、言いようのない興奮を覚えた。これらの書物一つ一つに、人類の知性が詰まっているのだということを六夏は理解していた。まだ難しすぎて、読めないものばかりであるが、少しずつ読んでいけばよいと思い、休みの日にここへ来ては、一つの本を手に取り、活字と向き合った。祖父はといえば、縁側で日向ぼっこをしながら煙草を吹いたり、時々椅子に座ったりしては、何か書き物をしているという感じであった。孫娘が遊びに来ているからとて、祖父はむやみやたらに六夏に話し掛けてこないし、何かを強制したり干渉したりすることもない。その距離感が六夏にとって丁度良いものであった。

「そういえば、儂の書いたものは読んでくれているか?」

 皺くちゃになった煙草を指に挟みながら、祖父が六夏に話し掛ける。

「まだちょっとしか読んでいない。難しいから読みづらいよ。日本の古い歴史とか地名とかがあって、ちょっとピンと来ないかも」

 六夏はそう口にしながら、「ニーチェ詩集」を手に取っていた。

「フリードリヒ・ニーチェに関心があるお前が、あれくらいのものは読めるだろう」

 自分の書いた手記を「読みづらい」と批評され、少し機嫌を悪くしてしまったか、祖父は唇を尖らせている。

「そのうち読み終わるだろうから、待って」

 祖父の物言いに少し反発したくなった六夏は、思わず嘘をついた。本当は、寝る前に必ず手記を読んでいて、時間を忘れてしまう程に夢中になっているというのに。ただ、その内容が難しいということは事実であった。しかしそれは、六夏の知識がまだ、そこに書かれている時代背景や基本的な学的知識が追いついていないというだけのことだ。

「そうか、わからないことがあったら聞いてくれ」

 祖父はそう呟きながら煙草に火を点けると、少し不貞腐れるようにしながら縁側へと出ていった。祖父の背中が寂しそうだったので、「もう、すぐすねるんだから」と六夏は心の中で思い、ニーチェの本をもとに戻すと、縁側に出て、祖父の傍らにちょこんと座った。祖父が吐き散らす煙が鼻についたが、昔からのことであるから、慣れたものである。

「お祖父ちゃん煙草やめないんだね」

 祖父は、一日二箱は平気で空けてしまうヘビースモーカーであった。祖母が亡くなって体調を悪くしてからというもの、禁煙すると言っていたのだが、一向にやめる気配がない。

「早く死にたいものだからさ、好きなことを好きなだけやらせてもらう」と祖父は冗談交じりに言い、ガハハと大きく口を開けて笑った。

「笑えない。死ぬとかそういう話はやめて」

 六夏は睨みつけるようにして祖父の横顔を覗く。

「儂はいつ死んでもかまわん。もう土地も財産もない。阿泉家の歴史についても書き切ることができた。この世でやり残したことは何一つない」

 祖父は唇を丸めて、煙を吹き上げる。

 やり残したことがない、という祖父の言葉はどこか、強がっているようにしか六夏には思えなかった。本当は大江健三郎のような作家になりたかったのだ、と酒に酔うたびに言っていたじゃない、と六夏は思う。中学生の頃から、夏目漱石や森鴎外などの文学に親しんでいたという祖父は、高校時代には、同じ志を持つ文学仲間と共に『咆哮』という部誌を立ち上げ、詩や評論を投稿していたそうだ。阿泉文斗が、文学者を志しているということは、同級生らの間でも自明のことであったのだが、大学生になると、祖父は急に政治運動への関心を高め、マルクスやサルトルといった流行思想に傾倒していく。学生運動全盛ということもあったし、言葉で社会と戦うことを自負していた文学が、政治に近接するというのはごく自然な動きであったようだ。しかし祖父は、自分が関わった学生運動の組織内で人間関係がうまくいかず、すぐにやめてしまったらしい。どこかで、コミュニズムでは世界は変えられないという醒めた思いもあったようだ。結局、文学の道も政治の道も諦め、就職もまともにせず、今に至っているということが、祖父の中で何か大きな負い目になっているようなのであった。しかし、ここまでの年月を生き、何を今さら強がる必要があるというのか。

「手記、読んでいるよ」

 六夏が唐突に話を切り替える。

「そうか。それは嬉しい。でも、やはりまだ早かったかな」

 祖父はそう淡々と返すだのが、先ほど六夏に言われたことに対して尾を引いているようだ。

「第五章『二つの種族、その対立の歴史』‥‥‥」

 六夏がおもむろに、口ずさむ。

「――この国の歴史は、古の種族と大陸からやってきた新しい種族の対立の歴史に他ならない。『古事記』や『日本書紀』では、出雲を支配していたオオクニヌシ様が、天上の神々の国にいたアマテラスオオミカミからの交渉により、日本列島の支配権を譲ったという神話を残しているが、実際にはオオクニヌシ様たち古の種族と大陸からやってきた新しい種族の間には、絶え間ない激しい争いがあったのだ。現代の日本は、その争いの勝者である新しい種族の支配下のもとにある。一方、新しい種族に敗れ、土地を追われた古の種族らは、北と南へと追い払われるようにして移動することになる。日本の新しい中心となった大和の周縁へと意図的に追いやられ、〈人ではないもの〉として、鬼や異族の類として蔑視されるようになったのである――」
 
 祖父は驚きのあまりに六夏を振り返る。

「諳んじることができるのか」

「うん、同じところをずっと読んでいるから覚えちゃった」
 
 祖父は驚きと嬉しさのあまりに、こみ上げてくるものがあるのか、急にそわそわし始めて、心の動揺を誤魔化すかのように立て続けに煙草を吸うのであった。

「でも、私にはまだ信じられない。日本って、ずっと一つだと思っていたから。一つの民族、一つの国。それが、そもそも違うってことなのよね?」

「ああ、その通りだ」と祖父は眉間に皺を寄せながら頷く。

「でも、そこまで時代を遡ってしまうと本当にピンとこない。そんなこと、歴史の教科書のどこにも書いてないんだもの。そもそも日本史の始まりは、縄文時代から弥生時代に移行して、そこでいろんな国みたいなものが乱立し始めて、卑弥呼が出てきて、やがて大和政権が成立して国家のようなものが始まっていくという感じでしょう?」

「それはお前たちが学んでいるものが、勝者の歴史にすぎないからだ」

「勝者って、新しい種族のことね?」

「そうだ。歴史とは勝者によって書かれたものでしかないのだよ。敗者には歴史は残されない。それゆえに、今書かれている歴史のすべてが、事実であるとは限らない」

 祖父は煙草を挟んだ指先を震わせている。

「大和朝廷という新しい種族の支配は、現代に至ってもなお続いている。すなわち、天皇制のことだ」と祖父は鼻息を荒くする。

 その天皇制に抗おうとした者はいた。「東」で台頭してきた武装集団、すなわち武士である。その始まりは平将門によってもたらされた東国の独立を目指した反乱。そして源頼朝が打ち建てた鎌倉幕府により、初めて武家政権というものが誕生した。

「天皇制が西の地から生まれたイデオローグだとすれば、武士は東の地のイデオローグだ。以来日本は、この東と西の対立構造、武家政権と朝廷の緊張関係が続くことになる。関ヶ原の戦いは、日本列島の東西勢力を分かつ戦いであった。家康によって、武家政権の支配は揺るぎないものと思われたが、東に敗れた西側が、朝廷を担いで、明治維新として復讐を果たすことになる」

「武士とか戦国時代とか、そっちの方が私にとってはわかりやすい」

「だが、武士の始まりである平氏も源氏も所詮、天皇家の系譜の中にある連中だ。だからこそ、武士の人間どもには天皇を討つとか、天皇に代わって日本を支配しようという発想などなかった。最初は抵抗の形で現れたが、結局彼らは、天皇の力にすり寄ったのだし、天皇の威光のもとに、自治の支配権を確立したかったというだけのことだ」

「この武士たちの時代に、古の種族はどう関係してくるのかな。東と西の対立は、単純に古の種族と新しい種族の対立ということでもないのよね」
 
 六夏の素朴な疑問に、祖父は鼻から煙を吐きながら答える。

「そう。ただし、古の種族の多くは東側に追いやられてしまった種族なわけで、その地にいる以上、いつも彼らの覇権争いに巻き込まれてしまっていたのは事実だ。古の種族には残念ながら、大武丸様以来、新しい種族に対抗できる力を持つことはなかったし、カリスマも現れなかった。かといってこれ以上の争いを望んでどうする? そこからはもう、ひっそりと影の下に生き、奴らに迎合しつつ、耐え忍びながら生きていく他なかった」

「でも、東側の武士たちがそうさせなかったのね」

「うむ」と祖父が大きく頷く。

「古の種族は武家にも利用されたし、公家にも利用された。同じ種族同士で争うということもあった」

「同じ種族同士で?」

「ああ、古の種族といっても、海の民、山の民と、いろいろある。大和朝廷は海の民を利用して山の民を滅ぼそうとしていた。武士の連中も山の民と一緒になり、朝廷に対抗した」

「そこ何度読んでも頭が混乱するのよね」と六夏は両手で頭をおさえながら溜息をつく。

「武士どもが、古の種族のご先祖様たちを放っておかなかったのには、理由がある」

「理由?」

「ああ、オオクニヌシ様の封印のことだ」

 そこから祖父は、オオクニヌシの賦霊の力と呼ばれるものについて滔々と語り始める。
 祖父の語りは、祖父が書いた手記の内容とも次第に重なってきて、六夏の頭の中では、祖父が語るものと祖父によって書かれたもの、そして過去に祖父に言い聞かされ、記憶しているものが、次第にごちゃ混ぜになってくる。一体「誰」がそれを語っているのだろうか? 今ここにいる祖父か、過去の祖父か、それとももっと遠い過去にある阿泉家の人々なのか。あるいはオオクニヌシの霊力がそうさせているのか。いや、もしかしたら語っているのは、祖父が書いた手記そのものではあるまいか? 祖父の手記、第四章〈封印されたオオクニヌシその賦霊の力について〉から、第五章「二つの種族、その対立の歴史」への移行には、このような記述がある。

時の武家政権が、天皇を討たなかった理由は、実は他にある。討たなかったというよりは、討てなかったのだ。朝廷が代々隠し続けていたという「日本列島の秘密」の答えを見つけ出すまでは。

頼朝がなぜ、喉から手が出る程までに奥州を手に入れたかったか? それに対し朝廷が、奥州の支配を藤原氏に任せることで頼朝を奥州に近付けさせなかったのはなぜか? それは、権力への欲望しかない野蛮な武家政権が、封印されたオオクニヌシの力を、誤って解き放ってしまうことを恐れていたからに他ならない。

一方で頼朝は、日の本すなわち奥州に何か隠された巨大な力があるのだということまでは嗅ぎつけていた。そしてその力さえ手に入れれば、公家を滅ぼすことができ、真の意味で全国の統一を図れるものと考えていた。しかし朝廷側は、オオクニヌシの封印が解かれでもしたら、公家の終わりどころか、日本という国の存続が脅かされるということを知っていたからこそ、そんな事態はなんとしてでも回避しなければならなかった。

『阿泉家の歴史と賦霊の力について』411頁


「だから、オオクニヌシの封印は護り続ける必要があるということなのね」

「そう。頼朝だけではない。武家の間で実しやかに語り継がれてきた、日の本の秘密。足利義満も、秀吉も、家康も、この賦霊の力を手にいれようと必死になっていた。秀吉などは、オオクニヌシの賦霊の力は、実は朝鮮半島にあるという荒唐無稽な噂を鵜呑みにし、朝鮮出兵をしたほどだ。もっとも、この話を嗅ぎつけていたのは、日本だけじゃないぞ。大航海時代のスペイン、ポルトガルなんかが、こぞって『黄金の国・ジパング』にやってくるようになったのは知っているな。彼らは、本州最北の地である奥州を護っていた藤原氏と交易を行った。そのことはマルコ・ポーロの東方見聞録にもある。しかしその真の目的は――」
 
 六夏は祖父の話を、どこまで信じてよいものか。ここまで来ると、さすがに迷いが生じてしまうことがある。この日本の歴史を動かしてきたものが、すべてオオクニヌシの賦霊の力をめぐっていたなどという話を、おいそれと鵜呑みにするわけにはいくまい。

 しかし、六夏はそれでも祖父の言うことを信じようと思った。信じる、信じないは、六夏の自由意志に委ねられているが、信じなければ、これ以上、阿泉家について知ることもなければ、日の本へ行ってオオクニヌシの秘密に触れることもできない。そうなってしまっては、祖父が教える、阿泉家の選ばれし人間であるということ、その人間が自分であるかもしれないということの確率は0%のままで、祖父の話は何一つ証明されることはないだろう。
 
 しかし、信じている限り、そしてそれを行動に移す限り、その確率は0~100%のいずれかになる。もしそこから「私が選ばれる」などということにでもなれば、祖父の言っていたことは、すべて真実であった、ということが証明されることになるのだ。


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