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『ポストマン・ウォー』第12話:海物語


『ポストマン・ウォー』第12話:海物語


 矢部さんの仕事ぶりはすぐに評判になった。矢部さんから説明を受けて、新規で保険に加入する客が後を絶たなかった。公務員ではあるが、特定郵便局は毎月の売上で本部から評価される。中でも、営業テクニックを必要とする保険の商品は、待ちの姿勢だけで新規加入が増えるわけではなく、保険の成績を見れば、その局が「営業」にどれだけ力を入れているかがわかるのだ。
 
 矢部さんが異動してきたその月は、保険の売上が連絡会でトップであった。その八割近くは、矢部さんが客を口説き、新しく加入、ないしはプランを乗り換えてもらったものによる。保険商品自体がわかりにくいものだから、シルバー層の多いG町第五郵便局の客たちは、保険の説明を聞くために、矢部さんを頼りに何回も局に足を運ぶようになった。そうやって、矢部さんのファンになる客が確実に増えていることがはっきりとわかった。
 
 柴田主任の信頼も厚く、鉄仮面と呼ばれていた高城さんでさえ、矢部さんの前では、これまで見せたことのない笑顔で会話をする。中谷幸平も、もちろん矢部さんが嫌ということはなかったし、仕事ぶりにも感心していたが、朝は時間通りに来た試しがないし、ランチでは酒を飲んだりといった不真面目さとのギャップがあまりにも大きいので、どうにも解せないところがあった。というよりは、どこか矢部さんを認めたくないという気持ちがあったのかもしれない。
 
 矢部さんが異動してきて、二週間くらいが経とうとしていた時、突然矢部さんからの誘いがあった。これまでは誰よりも遅く局に来て、誰よりも早く帰ってしまう矢部さんが、

「そういえば、中谷君の歓迎会したいって、先輩がいてさ」と、帰り際に声をかけてきた。

「え、歓迎会ですか」

「うん。俺は連絡会長いけど、中谷君まだ新人でしょ。知らない先輩いっぱいいるんじゃない?」

「そうですね。忘年会とかでしか会うこともないので」

「そうだ、中谷君このあと予定ある?」

「今日ですか?」

「せっかくなので、中谷君の歓迎会やろう。ちょうど先輩とそういう話していたんだよね」
 
 中谷幸平は返事に詰まる。

「先輩が歓迎してくれるっていうのに、まさかそれを断わるってことないよね。中谷君は常識人だと思ってるけど」矢部さんは真顔で中谷幸平を見つめる。
 
 今ごろ歓迎会というのはどういうつもりだと思いながらも、歓迎会と称される飲み会を断れるほど、心を無にできなかった。中谷幸平は素直に「わかりました」と返事をした。

「ほい、じゃあ決まりね」矢部さんはそう言うと、携帯を取り出しメールを打ち始めた。
 
 
 仕事を終えて矢部さんと向かった先は、なぜか駅前のパチンコ屋だった。二階建ての白い大きな建物で、店の前には『花の慶次』やら『北斗の拳』などの新台入荷の看板、派手なポスター、花などが飾られていて賑々しい。

「え、ここは?」中谷幸平は思わず足を止め、矢部さんの背中に声をかける。

「ああ、ここは俺の行きつけのパチ屋『プラチナム』」矢部さんは何食わぬ顔で答える。

「飲みに行くんじゃないんですか」

「飲み行くよ。でも先輩がまだ仕事終わらなそうなんで、しばらくここで時間潰そう」

「自分、パチンコとかやらないですよ」

「パチンコやったことないの?」矢部さんは、そんな人間がいるんだというような表情で驚いた顔をする。

「いや、ないですよ。ギャンブルやらないですから」中谷幸平は苦笑しながら返す。

「じゃあ、今日、初めて体験できるということでいいじゃない。何でも経験だよ、経験。パチンコなんてお金突っ込んで、ハンドル回すだけだから。誰だってできるよ」

「いや、そもそも興味がないんですよね」

「そんなこと言わないで。先輩待つ間だけ少しやってみなよ」
 
 矢部さんはおもむろに財布を取り出し、中谷浩平の前に一万円札を差し出した。

「ほら、これ使っていいから」

「え?」中谷幸平は戸惑った。

「いや、いいですよ。それなら自分でやりますんで」

「そう。じゃあ、行こうか」そう言って矢部さんは店に入っていく。
 
 自動扉が空くと、流れ出る玉の音や大音量のBGMが、それまでずっとせき止められていた水のように押し寄せてきた。
 
 騒音に騒音を重ねるように、場内アナウンスの声も入り混じる中、矢部さんは目当ての台に突き進んでいく。中谷幸平はそれに従うようについていくだけであった。
 
 矢部さんが向かった先は、『花の慶次』の台が並ぶ一角だった。『花の慶次』は中谷幸平の世代ではもちろん読んでいる漫画ではあったが、パチンコになっているというのは初めて知った。どれも同じ台に見えたが、矢部さんは、パチンコ台の一つ一つを吟味し、何かをチェックしているらしく、なかなか一つの台に座ろうとしない。

「何をチェックしているんですか」思わず中谷幸平は訊ねる。

「台の調子だよ」

「一つ一つ違うんですか」

「当たり前だよ。そんなことも知らないのか」矢部さんは得意気に語りだす。

「店の入り口前の台はさ、めちゃくちゃ玉が出て、ドル箱が積まれているだろう。あれはああやってケースが積んであるのを見せて、外の客を招き寄せるため」

「入口近くの台は大当たりしやすいんだ」

 矢部さんが言うように、入り口から入ってすぐの台はどれも大量の玉が詰められたケースが、十段くらい山積みになっている。

「だけどこれは朝から打つ人じゃないと無理。あそこは占有できない。今日みたいに途中から遊ぶ場合は、釘を見るのと、大当たりの回数を見るんだよ」

「そんなところ見るんですか」中谷幸平は感心して頷く。

「そう、前日、前々日の大当たりの回数を見ている。ずっと好調な台はこれから不調になるから、これまで不調だった台は、今日、好調に転じる可能性があるから狙い目なのさ」
 
 一通りのチェックを終えると、矢部さんは自分が打つ台を決めたようだ。煙草を上皿と呼ばれるところに置いて「これは使用していますっていう意味ね」と言い、次に中谷幸平の台選びをしようと他のコーナーを回る。

「中谷君は、初めてだろうから『海物語』をやったほうがよいかもな」
 
 矢部さんは『海物語』という人気シリーズの説明をしながら、打つべき台を選定してくれた。激アツ、確変、など普段耳にしない言葉の説明も一通りし、確変になったら、とにかく玉を出して入れ続けろ、ということを熱っぽく語った。

「大当たりすれば短時間で五、六万稼げることもあるから」

「負ける可能性の方が大きいですよね」

「大丈夫。中谷君はまずはビギナーズラックを狙おう。じゃあ、俺もぼちぼち始めるからまたあとで」矢部さんはそう言うと、急いで自分の台の方へ行ってしまった。
 
 中谷幸平は渋々と台を選び、まずは千円二千円で遊んでみる。ハンドルを回し、チューリップと呼ばれる部分に玉が入りやすくなる瞬間を見定め、固定する。
 
 スロットが回転し、数字が並ぶ。魚群が出てくる演出などで、リーチのアナウンスは何度かあったが、ものの数分で千円分の玉が吸い込まれ、消えていく。こんな調子でやっていたら、金はいくらあっても足りないと思うが、不思議なもので、あと少し金を足せば、大当たりが出るんじゃないだろうかという心理になってきて、気が付くと追加で千円、二千円、三千円と平気で使ってしまうのであった。

 中谷幸平はこれが、コンコルド効果というやつだなと、経済学での授業を思い出していたが、一万くらいまではよいかと許容しようとしている自分に怖くなり、五千円くらいを使ったところでいったん止めておいた。
 
 矢部さんの方を見に行くと、矢部さんは煙草を吹かしながら黙々と打ち続けていた。
 
 中谷幸平は、これ以上お金は使いたくないと、時間を稼ぐためにパチンコ屋の喫煙所で煙草を吸ったり、休憩所で本を読んだりと、矢部さんが打ち終えるのを待ち続けた。
 
 店に入ったのが六時くらいだったから、そこから二時間くらいが経っただろうか。さすがに痺れを切らし、矢部さんを呼び戻そうと思った。
 
 フロアに戻ってみると、矢部さんと並んで座っている同じくらいの歳の男女がいて、なにやら矢部さんとたのしげに会話をしていた。

「おお、中谷君、どう調子は」
 
 矢部さんは中谷幸平が傍にやって来ると、悪びれた感じもなく振り返る。

「矢部さん、いい時間ですよ」中谷幸平は少し苛立ちながら言う。

「ごめんごめん、今さっき先輩と合流した」そう言って矢部さんは、隣に並びで座っている男女の方を見ながら「小沼先輩と、恵子先輩。小沼さんは前の局が同じで、恵子さんは小沼さんの元カノ」と紹介する。

「新人の中谷です」パチンコの音でかき消されないように、中谷幸平は声を張り上げ、二人の方に向かって挨拶した。

「ああ、忘年会で見かけたよ。小沼です。よろしく」

 煙草の煙に目を細めながら小沼さんが軽く会釈する。忘年会で見かけてはいたが、挨拶を交わすのは初めてだ。

「恵子です。元カノではありません、寄り戻しました」

 恵子さんはそう言って小沼さんの肩に両手を置き、テヘと可愛らしい表情で笑った。髪を赤茶色に染めていて、女性なのにスカジャンを着ているあたりが、どこか田舎のヤンキーを思わせた。郵便局員ではなく、小沼さんと中学からの同級生ということだ。
 
 先輩と合流できたので、やっと店を出られると中谷幸平は胸を撫でおろしたが、矢部さんたちがプレイを中断する気配はない。
 
 中谷幸平は台を打つわけでもなく、矢部さんの隣に座り「矢部さん、飲みに行かないんですか?」と耳元で訊いた。

「悪い。もう行くんだけど、これからスロット打つから、もう少し待っててよ」

「え、スロットですか」予想もしていなかった回答に中谷幸平は唖然とする。

「そうそう、俺らスロットが本命でさ。パチンコは滅多にやらないんだよね」
 
 すると小沼先輩が立ち上がり「先、行ってるよ」と言い、恵子さんと一緒に二階へと行ってしまった。

「はい、自分もすぐ行きます」矢部さんが片手をあげて小沼さんの方を振り返る。

「今日飲み会やらないなら、自分帰りますよ」中谷幸平は切り出してみた。

「いやいや、飲みには行くから。先輩も仕事上がりでちょっと打ちたいって言うからさ、もうちょっとだけ付き合ってよ」矢部さんが懇願するので、中谷幸平は渋々従った。
 
 結局、パチンコ店を出る頃には二十二時をまわっていた。その間、中谷幸平は何度も帰ろうと思ったが、矢部さんとはこの先職場で、ずっと関係を続けていくわけだから、矢部さんの顔を立てないといけないとか、小沼さんは、先輩を置いて先に帰ってしまう後輩をどう思うのだろうかなど、色々な感情が邪魔をして、結局思い留まることになった。 
 
 パチンコ店のすぐそばにある換金所で、矢部さんは三万円、小沼さんは二万円を手に入れた。恵子さんは「一万円すったー」とあっけらかんと笑っている。

「中谷君お待たせ、これから飲みいくよ。軍資金もしっかりあるから」そう言って矢部さんは得意気に手にした数枚の札を見せつける。

 入った店は駅前のチェーン居酒屋であった。どう考えても、歓迎会ということで選んだ店ではなく、矢部さんと小沼さんが普段から立ち寄る店でしかないように思えた。もしかしたら三人の遊びの延長上に、ついでに自分が呼ばれただけにすぎないのではないだろうか。中谷幸平は矢部さんの考えがよくわからず、訝しげに矢部さんの背中を見る。
 
 店の入口までの階段を上がっている途中、小沼さんが後ろから中谷幸平の肩をぽんと叩く。

「今日は矢部のおごりだから、気にせず飲んで」そう言って小沼さんはケタケタと笑った。矢部さんも三万も勝ったことでよほど機嫌がよいのか「中谷君、今日は歓迎会だから、好きなもの何でも食べていいよ」と調子づいていた。
 
 

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