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赤坂見附ブルーマンデー 第10話:幕張メッセ、大混乱
ステージを進行するチームと、会場外で誘導するチームが交わすトランシーバーのやり取りも騒がしくなってくる。
「田村です。スペシャルステージ開始四十分前。各自、状況報告ください」
「恵です。現在、三〇〇名程度の来場者が待機中です。どうぞ」
「高山です。ステージリハは完了しています。あとはゲストを待つのみ。オープンはいつでも大丈夫です」
「桜庭です。シークレットゲストの二階堂彩夢さんですが、あと十分ほどで会場入りするそうです。現在、アパホテルを車で出たようです。どうぞ」
「忍です。桜庭サンキュー。彩夢さん到着したらすぐにシーバー飛ばしてくれ」
「宮戸です。中谷いるのか。お前からは何かないのか」
「中谷です。恵君からあった通り、来場者を待機させています。次から次へと人が来ます。すでに五百名くらいでしょうか」
「ひるむんじゃねえぞ。ひるんだら終わりだ。冷静さをずっとキープしてろ」
忍さんからの声だった。
「了解です」とオレは力強く返す。
オレの心臓は高鳴りっぱなしだった。
こんなに緊張が走る現場は初めてのことだった。一つ間違えれば事故、そのことがずっと念頭にあったせいもあるだろう。
開始時間が近づくにつれ、客の数はいや増しに増してくる。ひとりの個としてはいかにもか弱そうな連中が、集団となると得体の知れないものに見えてくる。待機列周辺を覆う空気の圧、その重さはただ事ではない。皮膚を刺してくる熱量も明らかに増していて、冬だというのに汗さえ噴き出してきた。
どんな状況であれ、シミュレーション通りに誘導を行うだけ。オレはそのことだけに神経を傾けていた。
スペシャルステージまであと三十分――
突然、待機列後方で、悲鳴にも近い声があがった。
「おい、二階堂彩夢が来るらしいぞ」
誰かの一言で、瞬時にして周囲にざわめきが走ったのだ。
「え? どういうこと? そんなの聞かされてないぞ」
「さっき、スタッフがこそこそ話しているのを聞いたよ。間違いない」
まずいことに、後方列の人間たちの反応は注目を浴びてしまった。
彼らの反応に近くの人間が反応し、その反応にまた近くの人間が、という形で連鎖し、その情報が最前列まで伝わるのに五分とかからなかった。
その反応を、オレも恵君も目の当たりにした。
「バカ野郎、どこから漏れた」
恵君の舌打ちが聞こえた。
そう、誘導スタッフの誰かが、二階堂彩夢の固有名を、何の気無しに口にしてしまったのだ。それを聞き逃さなかった後方のファン連中の反応をきっかけに、それまで大人しく開演を待っていた待機列のファンたちが、急にざわつき始め、口々に騒ぎ立てる。
「いや、彩夢さんは今日はオフのはずだぞ。ガセだよガセ」
「バカ、本当だったらどうすんだよ」
「主催者さん、まんまと嵌めてくれましたね」
すぐに恵君のシーバーが、全運営スタッフに入る。
「客が二階堂さんの登場に気付き始めている。このままではえらい騒ぎになるから、トラメガで通常通りの案内をひたすら行え。オープンまではあと三十分だ。そこまでに客を鎮めるんだ」
恵君の指示通り、スタッフは開演のアナウンスを行う。
「あと三十分で会場オープンします。みなさま、今しばらくお待ちください。あと三十分で会場はオープンします」
だが、ファンの興奮は収まるどころか、ますます強まっていた。
「ねえ、二階堂さんが来るって本当ですか? どうなんですか?」
スタッフに喧嘩腰で食ってかかるファンたちがいて、スタッフもたじろいでいた。
「おい、どうせなら導線を探しに行こうぜ。会場裏にいけば、二階堂さんが来るところキャッチできるかもしれないぜ」
赤いバンダナを頭に巻いたネルシャツ姿の小太り男子が誇らしげに語る。
その発言をきっかけに「そうだ、会場裏だ。行こう行こう」という声があがる。
まずいことになった。
二階堂彩夢の裏導線を見つけようという連中が、踵を返して列を抜け出した時、他の人間も条件反射のように、一斉に列を飛び出し始めたのである。
数人というレベルではない。
数百人という人間がドミノ倒しのように順々に走り出したのだ。
「バカヤロー」
恵君の怒号が飛ぶ。
「抑えろ抑えろ。走らせるな」
オレも咄嗟に叫んでいた。それがただならぬ、異様な光景であるというのは本能的にわかった。綺麗な直線を作っていた待機列が、瞬時にして乱れ、崩れたのである。それは何か、人間の手には及ばない自然現象を見ているようでさえあった。
「二階堂彩夢を探せ」と一斉に駆け出すファンたち。
スタッフは両手を広げ、彼らの進行をなんとか食い止めようと立ちはだかる。別の場所で誘導をしていたスタッフも、ただならぬ危機を察知し、一斉にこちら側へ駆け出してくる。
「危ないですから止まってください!」
「走らないでください!」
「走るな!」
スタッフの声はもはやアナウンスではなく、怒号に変わっていた。
だが、数百人の来場者に対して、スタッフはせいぜい数十人である。スタッフの姿はすぐに走り行く来場者の流れの中に吞み込まれてしまう。
「止めろ、止めろ、走らせるな!」
オレは冷静さを失っていた。喉が引き裂かれんばかりに、シーバーで叫んだ。
「二階堂さん、バックヤードに到着しました」
タイミング悪く、桜庭のシーバーが飛でんくる。
開演まで、あと十五分もない。
「ステージ進行了解。二階堂さん、袖まで通してくれ。それと、誘導どうした。客入れしねえと間に合わねえぞ」
続けざまに忍さんの声が飛ぶ。
「すみません、たった今、二階堂さんの存在を嗅ぎつけたファンたちが、会場外を飛び出すという事態になっています」
恵君の焦燥の声で、忍さんはすぐに状況を察したようだった。
「おいよー、なんで漏れた」
「スタッフの雑談がきっかけです」
「わかった。二階堂さんはもうバックヤードにいるから、全スタッフ使って、二階堂さんはステージで待機していますとアナウンスしろ。公表していい。そこからまた整列させるんだ。ちゃんと落ち着くまで、会場入れさせるな」
「ですが、オープンには……」
「引き延ばす。時間通りの進行より混乱をおさめることが最優先だ」
オレはそのやり取りを聞きながら、走り出すファンたちを追いかけ、会場外へ飛び出していた。
会場外には、二階堂さんの行方を追うファンたちが血相を変えて右往左往しており、混沌とした状況になっていた。
恵君の指示を通して、スタッフが案内を開始する。
「二階堂彩夢さんはステージで待機しています。みなさま、どうか元の位置に戻り順番通りお待ちください」
スタッフの誘導だけでは足りないと判断されたのか、宮戸さんの指示のもと、事務局を通して館内アナウンスまでもが流れ、一斉告知がされた。
そのアナウンスが繰り返し流れたことで、ようやく状況を把握したファンたちが冷静さを取り戻し、同じ位置に戻っていく。
ここでまた駆け出されてしまったら、たまったものではないから、最初にあった待機列を再現すべく、スタッフ総出で誘導を続けた。
そうして事態は、三十分前の状況に巻き戻された。
スペシャルステージの開演時間はとうに過ぎていたが、そこからは恵君とのシミュレーション通り、順に客入れをし、なんとかオープニングまでに持っていくことができた。
二階堂彩夢の登場により、会場から喚声があがる。
先ほどまで会場を走りまわっていた連中が、二階堂彩夢の前では、祈りを捧げるような姿で、その一語一句に耳を傾けている。
オレは会場後ろから、熱狂する観客たちの姿を呆然と眺めていた。
疲れ果て、思わず膝から崩れ落ちる。恵君がやってきて、ため息をつきながらオレの肩に手を置く。
「なんなのこいつら?」
オレは思わず愚痴をこぼした。
「これが<アニファン>ですよ」
恵君も疲れ果てていたのか、一服しません?と、オレを煙草に誘う。
ステージ進行が開始されれば、あとは忍さんたちが何とかしてくれる。オレと恵君は会場外に出て、缶コーヒー片手に煙草に火をつけた。
スペシャルステージは、予定より遅延したものの、大きな事故なく無事に終えることができた。
しかしその夜の反省ミーティングでは、忍さんに激しく問い詰められた。
運営全体の統括責任者は宮戸さんだったが、ステージ誘導の責任者はオレである。矛先はまずオレに向けられた。
「なんでスタッフが口外しした。そこの管理がなんで徹底されてなかったんだ」
オレは何も言い返せなかった。恵君もそうだったと思うが、そこまでの事態は想定できていなかったのだ。
「それと、そういう事態になってから、なんですぐに報告しない。シーバー一つ飛ばすだけだぞ」
「すみません、まずは事態を抑えようと」
「その数秒単位の判断ミスが命取りになるんだ。お前らがもっと早く最初の段階で報告していれば、もっと違う指示ができただろうが」
そんな時間などなかった、とオレは返そうとしたがやめた。何を言っても、管理者である自分の責任であることに変わりはない。
「宮戸、今回のことが二度とないように、来年の対策は今のうちに考えとけ」
「了解です」
会議はそれで締めとなったが、なんとも後味の悪い雰囲気での解散となった。この日が晴れ舞台になるはずだった田村も、どこか浮かぬ顔をしている。
オレを誘導ディレクターに任命した宮戸さんも、なんで中谷に任せてしまったのかという苛立ちを露骨に出している。
解散となり、みなそれぞれの持ち場に散っていった。
片付けだけが最後残っている。オレがミーティングルームを出ようとすると、背後で忍さんに呼び止められた。
「中谷、お前もっと真剣にやれ。でないと、本当に死者が出るぞ。イベントは生ものを扱ってるんだ」
オレは無言のまま頷くだけだった。
「お前にはまだ、危機察知の嗅覚が足りていない。あらゆることが起きうる、というイメージが足りていない。いいか、オレたちの仕事に必要なのはそこの嗅覚と想像力なんだよ。それに尽きる。学歴とか関係ねえからな」
そう言って忍さんは、腕組みをしたままの姿で、オレを睨みつけた。
続く
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