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宗教や信仰についての雑記 #75

◯職業差別?

先日、静岡県の知事が新入職員の入庁式で「実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね」と発言し、「職業差別だ」などといった多数の批判を受けて、辞意を表明したというニュースを見ました。

このニュースを見て私がまず思ったことは、口には出さずともそんなふうに思っている人は多いのだろうな、ということです。

人には能力の差があるのは仕方ないことだと思います。私も他人との知力の差や、自分の能力の限界を感じることが多々あります。
でもそのことと職業の貴賎、あるいは人そのものの尊さと卑しさとは関係はありません。
お釈迦様は、人の尊さを決めるのはその行いであると言われたそうです。
知性や能力の如何に関わらない尊い行いというものはあるはずです。

この発言の後知事は「職種が違うということを言っただけ」と釈明したそうですが、過去にも似たような問題発言をいくつもしているようです。
個人的な印象ですが、この人は特権意識やエリート意識が強い人のように思えます。その意識が他者への配慮をおろそかにさせているのかもしれません。
おそらくそこには、先日の投稿で書きました(#74)罪の自覚に基づく信仰の欠如があるような気がします。それはこの人だけでなく、現代社会一般に広く観られることでしょう。
自分の中の罪(この場合は驕り)への自覚や、大いなるもの・永遠なるものから観たら我々の知性や能力の差などは団栗の背比べのようなものであること、そういったことへの気付きが、今の社会には必要なのかもしれません。

この知事の発言は、そのことを改めて考えさせてくれました。ですから批判や非難をするよりも、まず感謝すべきなのでしょう。

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