見出し画像

宗教や信仰についての雑記 #160

◯ロゴセラピー

先日あるテレビ番組で、フランクルのロゴセラピーについて観ました。

ロゴセラピーとは、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す心理療法のことだそうです。
そのためには、人生から何を期待できるかを考えるべきではないといいます。
それとは逆に、人間とは人生から問いかけられている存在で、その問いかけにどう答えるかを考えることで意味を見出だせるのだとしています。

そこで重要なのは、その人生からの問いかけを受け取るためのアンテナを持つことだといいます。そしてそのアンテナとは己の内にある良心のことだそうです。

しかし現実に、自分の良心に100%従って行動できる人間はどれほどいるでしょうか。誰もが皆そんな人間であれば、この世界には苦しみや悲しみは存在せず、イエスや阿弥陀仏は世に現れなかったでしょう。

またフランクルは、人にはそれぞれ独自の守備範囲があり、それを超えた事柄に不十分に取り組むよりも、自分の守備範囲の中を意味で満たすべきだとも言っています。
おそらくそれは正しいのでしょうが、見方によってはそれは、自分をその守備範囲に限定すること、それ以上のことを諦めてそれで満足することでもあります。
しかし世の中にはかつて「勝ち組」「負け組」といった言葉がありましたが、自分をその守備範囲に限定してそれ以上のことを諦めることを、一種の敗北主義であり恥ずべきことだとみなす風潮が今でもあるように思います。

現代の社会では生きる意味を見失っている人は少なくないようです。でもそれは自分自身の認識や考え方の問題というだけでなく、外部的な要因も決して少なくないと思います。
そこには宗教的な視点(弱さへのまなざし)の欠如ということが深く関わっているようにも思えるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?