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宗教や信仰についての雑記 #161

◯仏の願い

前回の続きですが、ある法事のときに、寺(浄土真宗)の住職が「仏の願いを聞きなさい」といった意味のことを言っていました。
それを聞いた時、フランクルの言う「人生から問いかけられている」ということを思い出し、似たような内容だなと思ったことがありました。

しかしやはりそこには違いがあります。
フランクルは、人生からの問いかけに答えることは人間の責任だと言っています。それが所謂「Responsibility」ということなのだと思います。
一方、仏の願いは「願い」であって「命令」ではありません。ですからそれを聞くことに責任が伴うかというと、必ずしもそうではないでしょう。

「命令」と「願い」との違いは、相手の意思を尊重するかどうかということだそうですが、この仏の願いの場合そこにあるのは「弱さへのまなざし」てもあるように思います。
人は持って生まれた気質や生育環境、現在置かれている境遇などが様々です。ですから、人の能力にはそれぞれ限界があります。負うことのできる責任の重さも人それぞれです。そのことを無視して過度の自己責任論に陷れば、弱者を切り捨てることにつながります。
仏の願いにはそんな哀しみへのまなざしがあるのではないでしょうか。

しかしそこには微妙な問題もあります。
弱さや能力の限界を強調しすぎれば、責任逃れや怠惰に堕する危険性もあります。
ですから己の罪や愚かさの自覚も必要になりますが、それも過ぎれば抑うつ状態になってしまいます。
それらのバランスをとることは難しいですが、必要なことであるのでしょう。

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