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小説|青い目と月の湖 2

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 朝、家を出て、小走りのまま真っ直ぐ村役場に向かった。
 畑や牧場ばかりの村に点在する家々はほとんどがログハウスか木造住宅だ。
 ハンスの家も当然そうだった。
 時々目に入る牧場のサイロが石や煉瓦でできていたが、それ以外で木造ではない建物は、この村の役場ぐらいだ。
 とは言え、それは大したことのない平屋の建物だった。
 ただ少しは頑丈で手入れが簡単と言うだけで、村一番の広さの農園を持つ、ジョルジオ爺さんの大きな木造りの家の方が遥かに立派だった。
 ハンスはいつも役場のドアを開ける時、そんな風に思ってしまう。
 
「おはようございます」
「やあ、おはよう。今日は早いね」
 庶務課の ―と言っても、この役場には庶務課しかないのだが― パークスがいつもの明るい笑顔で挨拶を返してくれた。
 部屋の中央に四つ集められた机のうちの一つから彼は腰を上げると、カウンター越しにハンスの前に立った。
 普通なら、ここでは日に三人の役人が働いている筈だった。
 ハンスは聞いた。
「今日はパークスさん一人なの?」
「うん、一人はジョルジオ農園に出稼ぎで、一人は病人が出たって言うから見に行ってるよ」
「そうなんだ。ジョルジオさん、また無茶言ったんだね」
「先週、膝を痛めたとか言ってたよ」
「年中痛いんだよ」
「まあ、村で一番税金払ってくれてるからな」
 パークスは苦笑いをして丸っこい体を更に丸めると、カウンターの内側の床から大鍋のような形をした籐籠を持ち上げ、「よっこらしょ」と言いながら、カウンターの上に置いた。
「今日はジャムが入ってるから重いよ。大丈夫かな?」
「うん、平気だよ」
「無理そうだったら、幾つか明日に回してもいいよ」
「ジャムならきっとクロードも早く食べたいだろうし」
 ハンスは籐籠を引っ張ってカウンターからずらすと、両手で抱きかかえるようにして体の前に持った。
 重いと言っても数キロくらいのものだろう。
 ジャムの瓶が二つとジャガイモがゴロゴロ入っていて、その上に紙で包んだ丸いパンがのっている。
「うん、大丈夫みたい」
「そうかい?じゃあ、よろしく頼むよ」
「僕のお給料、土曜日にもらえる?それとも月曜日になるのかな?」
「土曜日でいいよ。何か急ぎの用なのかい?」
「寒くならないうちに窓枠の補強をしようと思ってて」
「そうか。感心だな。お母さんは元気かな?」
「うん」
「よかった。あ、土曜日は午前中に来るんだよ」
「判りました。じゃあ、行ってきます」
「はい、行っといで」
 一旦そう送り出したものの、パークスは玄関から出て行こうとするハンスを、寸前で呼び止めた。
 ハンスが振り向くと、少し弱ったように、言いにくそうに言った。
「その、なんだ。もしかしたら今日あたり、に来てもらうことになるかも知れない」
 ハンスはきゅっと口を結んで、しばらくパークスの顔を見つめていた。
 先ほど、病人が出たと言った話を思い返した。
 口を開いた。
「悪いの?」
「まあ、判らないがね。この一ヶ月、医者が診ても様態が良くならないのは確かなんだ」
「誰なの?」
 パークスは少し口を歪めた。
 しかし、と頻繁に会っているハンスは、すぐに知ることになるだろうと思い直す。
「ミスター・ジョーンズ。君の友達のお父さんだよ。ロディーの」
「……ロディーの」
「まあ、そのうち治るのかも知れんが、一昨日、奥さんが相談に来たんだよ」
 ハンスの頭に、ソバカスだらけのロディーの顔と、彼にそっくりな母親と、農作業で日に焼けてはいるが、逞しいとは言えない体格のジョーンズの姿が浮かんだ。
 ジョーンズがもともと体が強い方でないことは、彼を知る誰もが知っていることだ。
 そんな父親と思い切り暴れて遊べないせいで、周囲に対するロディーの性格が若干きつくなっている事も、ハンスは何となく判っていた。
 
 でも、それなら、彼に頼んでも、
 
 ハンスは後に続くセリフを、首を振って頭の中から追い出した。
「もしかしたら仕事になるかも知れないから、言っといてくれるかな」
「判りました」
 ハンスは足早に役場を出た。
 
 森に続く道を歩きながら、普段と全く様子の変わっていなかった最近のロディーを思い浮かべた。
 いや、変わっていたのかもしれない。
 僕が気付かなかっただけで。
 知らなかった。
 ロディーの父さんが一ヶ月以上臥せってたなんて。
 
 ハンスの脳裏を巡っていたジョーンズ一家の映像は、やがて違う男の映像に取って代わった。
 二年前に死んだ自分の父親の顔だ。
 ハンスの父親は事故死だった。
 が、もしミスター・ジョーンズが死んでしまったら、ロディーも自分と同じように、悲しんだり苦しんだりすることになるのだろう。
 それを想像するだけで、ハンスの胸は締め付けられるようだった。
 そして、村のほとんどの者が「」と呼ぶクロードを思うと、さらに辛くなった。
 病気じゃ駄目なんだ。
 病気じゃ。
 でも、きっと。
 もし駄目﹅﹅だった場合、ロディーはを恨むのだろうか。
 昔の僕が、そうだったみたいに。
 もしそうでも、今の僕みたいに、いつか気付いてくれるだろうか。
 それは、どうしようもない事だったんだって。


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