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小説|腐った祝祭 第一章 35

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 ぐっすり眠っていたサトルは、7時にミリアが起こしにくるまで、ナオミが隣にいないことに気付かなかった。
 頭を押さえてミリアに聞く。
「ナオミは?」
「お庭においでです」
「は?庭だって?」
 髪をかきむしる。
 まだよく頭が働かない。
「はい。7時になったら閣下を起こしてくれと言われて出て行かれました」
「何をしてるんだ」
「雪で遊ぶとか……。今朝はお庭がとても綺麗に見えると言われて」
 ミリアは手に持っていた着替えをベッドの隅に置いてくれた。
「遊ぶって、おい」
「昨夜から雪が降り続いていたようですけど、朝にはやみましたし、今は風も吹いていませんから。お止めした方がよかったでしょうか?」
 サトルは溜め息をついた。
「いや、いいよ。しかし寒いだろうに。何をやってるんだ」
 サトルはパジャマを脱いでズボンだけはくと、窓辺に立って庭を見る。
「どの辺にいる?」
「さあ、そこまでは……。ただ、雪だるまを作るとはおっしゃっていましたわ」
「バカか。何でこの暗いうちから雪だるまなんか」
 少し楽しむように雪だるまの話を持ち出したミリアだったが、サトルの呟きを聞いて驚いたようだ。
 サトルはミリアを振り返り、「すまない」と言う。
「君に起こされるのも久し振りだな」
「そうでございますね」
 サトルは「ありがとう」と言い、部屋を出て行こうとした。
 ミリアは慌てて言った。
「サー!お着替えを」
「いい」
 サトルは構わず、上半身には何も着ないまま外へ出た。

 当たり前だがかなり寒かった。
 庭をうろついて、足跡を頼りにナオミを見つけた頃には、すっかり体が冷え切っていた。
 大きな丸い雪の塊の上に、小さな雪の頭を乗せられたスノーマンから、少し離れた場所でナオミはうろうろしている。
 サトルは声をかけずに、その様子を見ていた。
 指先が痛くなってきたので、息を指に吹きかけた。
 見ると、爪はすっかり紫色になっている。
 ぎゅっと手を握って、下に降ろす。
 それから少しして、ナオミは何の気配に気付いたのか、こちらへ顔を向けた。
 ナオミは一瞬笑ったようだったが、すぐに驚いて、サトルの方へ走ってくる。
 新しく積もった雪の上は走るには不向きだった。ナオミは一度転びそうになったが、体勢を持ち直し、出来るだけ急いで歩いている。
 サトルは彼女が転びかけた時、助けに行こうとしたが、ぐっと我慢してその場にとどまった。
 何を我慢しているのか自分でも判らなかった。
「どうして裸なの?」
 ナオミはサトルの両腕を思いがけないくらい強くつかんでそう叫んだ。
 彼女は手袋をはめていたが、ここに来る間にそれを外していた。
 サトルは凍えそうだったが、ナオミからは動き回って体がホカホカしている様子がにじみでていた。
 吐く息もサトルより断然白く、威勢がいい。
「人を変質者みたいに言うなよ。裸じゃないだろう」
 サトルは震えながら言う。
「間違えられても文句は言えないわ!」
 ナオミはコートを脱ごうとしたが、サトルが手をつかまえて止めた。
 何をするの?と、ナオミは目で訴える。
 サトルは言う。
「雪だるまは完成してないのか?何をうろうろしてた?」
「顔を作る材料を探してたの。木の実が…ねえ、そんなことより体中鳥肌がたってるじゃないの。早く戻りましょう」
 ナオミはサトルを押しやろうとするが、サトルはナオミを押し返す。
「駄目だ。完成させるんだ」
「もういいわよ。一緒に戻りましょう」
「駄目だ!私はここで見てるから、顔を作ってきなさい。じゃないと、帰らないよ」
 サトルが本気でそう言っているのが判ったのだろう。
 ナオミは信じられないというように首を振り、フラフラしながら元の場所へ戻っていく。
 今度は自分の足跡があったので、先程よりは走りやすいようだった。
 ナオミは木の下へ行って地面を見て回った。
 三回ほど雪に埋もれるようにしゃがんだ。
 それから急いで、気持ちは急いでいるのだろうが足はそれほど速くはならないようだった、雪だるまに駆け寄る。

 サトルは我慢できなくなり、自分の肘を両方つかまえて力を入れる。
 寒さに体が笑えるほど震えてきた。
 一度体を丸めて気合を入れなおし、顔をナオミに戻す。
 ナオミはサトルから見える位置に顔を作っているようだった。
 しかし、葉っぱの目は上手く付かずに何度も落ちた。
 ナオミは無理やり押し込むようにしてそれを固定させると、同じ要領でもう一つの目と、鼻と口を完成させる。
 全てが葉っぱだった。
 多少不細工だが、創造主が大慌てなので仕方がなかった。
 ナオミは自分の足で舗装された道を走ってきた。
「文句ないでしょう?早く帰りましょう」
 サトルはナオミに押されるままに歩いた。
「寒くて死にそうだ」
「バカ!」
 ナオミに叱られて、サトルは紫の唇を笑みの形に歪めた。

 ミリアは毛布を抱えて待ってくれていた。
 玄関から一番近い居間を温めてくれてもいた。
 そして着替えとタオルをナオミに託し、部屋を出て行った。
 ミリアは何でもよく心得た賢い女中だった。
 熱いココアを二つと、二人だけの時間を作ってくれたのだから。

 ソファーに座ったサトルにシャツとセーターを着せると、ナオミは隣に座り、その肩を抱いて頬に優しくキスをしてくれる。
「本当に、びっくりさせないで」
「君が悪いんだ。私を放って遊びに行くから」
「ちゃんとミリアに言ったわ」
 ナオミは子供をあやすようにサトルの髪を撫ぜ、ココアのカップを渡す。
 サトルは受け取り、一口飲む。
 胃の中まで冷えていたようだ。
 内臓が温まる感覚があった。
「いったい、なんだってこんな早くから外で遊んでるんだ」
「だって、庭が綺麗だったのよ」
「いつもと同じだ。昨日の事で怒ってたんじゃないのか?だから私に嫌がらせを」
「そんな事しないわ。本当に綺麗だったのよ。月の傾き具合とか、滑らかに雪が積もっている様子とか。本当よ。あなたはぐっすり、気持ち良さそうに寝てたから、起こすのは悪いと思ったの。真っ白な雪に一番に足跡をつけるのって、楽しいでしょう?」
「君以外に誰が庭で遊ぶって言うんだ」
「そんなに怒らないで」
「怒ってないよ」
 サトルはココアを飲んでしまう。
 ナオミに「君も飲めよ」と言う。
「寒かっただろう」
「あなた程じゃないわ」
 少しあきれたような口調だったが、ナオミはココアを飲んだ。「美味しい」と呟く。
「体調はいいのか?」
「ええ、平気よ。今日は出かけるの?」
「たしか国防省関連の何かがあるはずだ。仕事だから私一人だ。君は何処かに行くのか?」
「行くなと言うなら行かないわ」
「行くなと言わないなら行くんだな?」
「出かけていいのなら出かけるけど……。ねえ?どうしてそんなに怒るの?」
 ナオミが両手で包むように持っていたカップを奪って、テーブルの上に置いた。
 そしてナオミを抱きしめる。
「君が私の傍にいないからだよ。いいか?約束しろ。私の知らないうちに何処かに行ったりするのはやめてくれ。早く起きたんなら私も起こせばいいんだ。外出する時も、ちゃんと朝のうちに言っておいてくれ。帰りの時間もだ。一分でも遅れたら許さない。約束だぞ」
「サトルさん……」
「そうでないと、私は今みたいな状態になるんだ。君がほっつき歩いている間に野垂れ死んでるからな。それは困るだろう?」
 ナオミの顔を両手で挟んで正面から見る。
「おい、ナオミ。困るだろう?もう君は前の生活には戻れないんだ。空気の悪い場所では生きていけないんだ」
 キスをして、離れると、ナオミの目が潤んでいた。
「どうして泣く?私が怖いか?」
 ナオミは首を振った。
「怖くない。泣いてなんかいないわ」
 その言葉通り、ナオミは涙を頬に流すことはしなかった。
「今日は何処にも行ってはいけないのね?」
「そんなことは私は言わないよ。違うんだ。束縛してるんじゃない。そうだろう?行きたいなら行けばいい。ただ、何時に出かけて何時に帰ってくるのかを教えて欲しいだけだ」
「判ったわ」
「本当に?君の自由を奪いたいんじゃないよ。そんなみっともない事はしない。だから君が何処に行くかなんてことは言わなくていい。ただ、君が何処に、いや、違う、予定だ。予定だけだよ、私が知りたいのは。把握していたいだけだ、ただ……」
 ナオミから抱きしめられた。
「大丈夫よ。ごめんなさい、心配かけて。ちゃんと出かける時は教えるし、帰りの時間も守るわ」
「私は女を束縛したりしない。そんな男じゃない。やりたいことがあれば何でもやればいいよ。何を買ってこようと、何処に遊びに行こうと構わない。ただ、把握していたいだけなんだ。ねえ、違うだろう?これは束縛じゃないだろう?」
「ええ、そうね。私は自由にさせてもらってる。そう思ってるわ」
 ナオミの腕の中でサトルの体は少しずつ温まっていく。
 しかし満足はしていなかった。
 胸の奥にがさがさした部分があった。
 茶色くて粉っぽく硬い酸化物だ。
 小さかったはずの錆が、気付かないうちに大きくなっていた。
 理由は判らない。

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