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小説|腐った祝祭 第一章 14

 靴屋の正面玄関に走りこむ。
 馬車は大使館に向かって走っていった。
「本当、寒いわね」
「ほら、言わない事じゃない」
 少し濡れてしまったナオミの髪や肩をハンカチで拭いてやる。
 すると、ナオミも同じようにしてくれた。
 二人はお揃いのキャメルのレザージャケットを着ていた。女に服を合わせるのは珍しくなかったが、お揃いとなると、これは初めてだ。
 少し照れくさい気分を味わわされている。
 女といて照れるなど、子供の時分以来かも知れなかった。
 店に入る前、ナオミはサトルに耳打ちをした。
「ここって本当に靴屋さん?美術館みたい」
 石造りの風格のある玄関ではあるが、それは少し大袈裟だろう。
 サトルはナオミと手をつないで店に入った。
 とは言え、自国の古い記憶を思い起こしてみれば、ナオミの感想も判らないことはない。
 定期的に送られてくる政府発行の冊子や季刊誌などの写真を見ても、昔と大した変化は無いようだった。
 考えなしの都市計画で造られた街は狭苦しく、企業広告の類で際限なく多様な色と文字が氾濫している。
 未だに空を見上げれば電線の剥き出しになっている場所もあるくらいだ。
 そもそも都市計画などしていないに違いなかった。
 それは単なる建設計画だ。
 とりあえず箱をつくり道をつくり、その時だけ何処だかに金銭の利益が出ればいいのだろう。
 とりあえずそうしておいて、その後の考えが無い。
 その後は、とりあえずやってしまった行政側の人間も、大抵は入れ替わっているので誰も責任を取らない。
 結局、とりあえず出来上がったちぐはぐで不様な街に国民は住まわされている。
 便利だが芸術性の欠片も無い。
 そんな街に慣れていては、この国全体が夢の世界だろう。
 広い道。
 広い歩道。
 適当な間隔で設けられた緑地、公園。
 高さや色の規制を受けた建築物。
 橋、堤防、ガードレール、消火栓、電話ボックスといった必要不可欠なものもデザインを重視されている。
 決してあればいいという感覚では作られない。
 しかし、それにのんびりと浸っていられる自国民がどれだけいるだろうか?
 ルル王国の公共規制は厳しい。
 自動車の使用規制だけではない。
 電話が使用できる場所も限られているくらいだ。
 他にもリサイクル法、景観維持法、動物愛護法、大気汚染防止法、電磁波放出規制法など、個人に密接に関わる法律はいくらでもある。
 道や広場で故意に塵を捨てれば罰金では済まない。即懲役刑だ。
 不便ではないだろうが、珍しいものの一つをあげれば、ルル王国では自由にペットを飼うことができない。何故なら動物愛護法で愛眼動物の売買が禁止されているからだ。家畜や交通手段としての馬、番犬、介助動物といった、役割のある動物は売買できるが、人間が楽しむ目的の動物売買は禁止されている。
 ルル王国でペットを飼っているのは、野良犬や野良猫を探したり、偶然に出会って飼うことになったり、という者たちだった。
 その影響でルル国内には野良動物があまりいない。

「いらっしゃいませ」
 二人に声をかけた店員は、二秒くらいサトルの顔を見つめてしまい、「失礼しました」と、頭を下げた。
 偶に来店するサトルの顔を覚えていたのだろうが、服装がいつもの雰囲気と違うので、確かめるのに時間がかかったようだ。
 ナオミはサトルを不思議そうに見た。
 サトルは小さな声で言う。
「ほら。私が変な格好しているから驚かれたよ」
 ナオミはくすっと笑った。
「さあ、どうぞごゆっくりご覧ください。気に入ったものがございましたら奥までお持ちいたします」
 店員はお辞儀をしてその場を去り、かわりに店長が奥からやってきた。
 店長はお辞儀をしただけで特に喋ることはなかった。
 ただ傍にいて、真面目くさった顔で様子を見守っている。
 話しかけられると、サトルが面倒に感じることを知っているからだ。
 一つ一つを宝石のように丁寧にディスプレイしてある間を歩きながら、ナオミが囁く。
「奥ってなあに?」
「奥にフィッティングルームがあるんだ」
「そうなの。こんな高級なお店初めてよ。みんな親切そうだけど、緊張しちゃう」
「外国人には丁寧に接してくれるんだよ」
「在ルル大使でなくても?」
「もちろんさ」
「ねえ、監視されてるみたいでちょっと怖いわ」
「怖いの?」
「ううん。面白い」
 ナオミは靴よりも、斜め後ろを付いてくる痩せぎすで長身の、鼻ヒゲを生やした中年店長に興味があるようだった。
 これではいつまで経っても散歩に行けない。
 サトルは店長を振り返る。
「女性物のロングブーツを見たいんだ。雨の日でも平気なものを」
「かしこまりました。奥へどうぞ」
 店長がフィッティングルームへ案内してくれた。
 後からロングブーツを十品ほど店員が運んでくれる。
 ナオミはその中から焦げ茶色のブーツを選んだ。
 そしてインソールを作るために体重計のような機械に乗せられた。
 それから三十分もしないうちに靴は出来上がった。
 出してもらったコーヒーを、ナオミは半分も飲んでいなかった。
 ブーツを履いて、鏡の前を行ったり来たりするナオミを見て、サトルは言う。
「どう?既製品にしては履き心地がいいんじゃないかな」
「ええ。凄く足が気持ちいい感じよ」
 ナオミは子供のようにぴょんとジャンプまでしてみた。
 店長が少し驚いたような表情をしたが、すぐに引き締める。
 サトルはそれを見てフッと笑いをもらしてしまい、ごまかすために拳で軽く口をつついた。

 ナオミの履いてきた方の靴は店員が丁寧に紙に包み、店の紙箱に納められる。大使館の方へ送り届けますと申し出てくれたので、サトルはそのようにしてもらった。
 そして店を出ようと玄関へ向かって歩き出したところで、ナオミが「あっ」と、声を上げる。
 そしてサトルに哀しそうな表情で言った。
「傘、忘れちゃった」
 サトルは「本当だ」と笑い、するとすぐに店長が傘を用意してくれた。
 二つ持ってきてくれた店員に、サトルは一つでいいと言った。
 傘を持つサトルの手をナオミが掴まえ、二人は街を歩く。
 サトルはナオミの肩が濡れないように気をつけ、ナオミはそれに気付くと時々傘をサトルの方へ押しやった。
 ナオミは散歩を楽しむつもりだろうが、サトルは初めから買い物が目的だった。
 洋服屋が目に留まるとナオミを誘い、今夜着ていくドレスを探す。
 店に入る度に体のサイズを測られるので、五軒目くらいになるとナオミは疲れてしまったようだ。
「もう、ここで決めるわ」
 と、少しやけ気味に呟く。
「駄目だよ。こういうのは気に入るものが見つかるまで、じっくり探さないとね。妥協すると、パーティーの最中に憂鬱になってしまうよ」
「サトルさんが赤とかピンクとか言うからいけないのよ。向こうの方にあった黒いドレス、きっと可愛い気がするの」
「黒ねえ」
 サトルは渋ったが、店員がドレスを持ってきてくれると、ナオミは嬉しそうに試着室へ店員と共に入っていった。
 そして、出てきたナオミに、黒いドレスは良く似合っていた。
 胸の辺りはタイトな感じだが、スカート部分に薄手の素材が沢山使われて、ふんわりと柔らかな雰囲気になっている。
「どう?」
 自分でも似合うと思ったのだろう、多少自慢げな聞き方だった。
 サトルは椅子にかけたまま腕を組み、足を組み直し、首を傾げ気味に頷いた。
「うん。まあ、可愛いよ」
「まあ?」
「なんて言うかね……」
「なによ?」
「黒い、金魚みたい」
 ナオミは難しい顔をする。
 サトルは笑った。
「冗談だよ、そんな深刻にならないでくれ。もちろん、とても可愛いよ。じゃあそれに決まりだね。靴も合わせてここで買おう」
 そこではブーツを買った店に連絡を入れてナオミの足のデータを送ってもらい、ちょうどよい靴に仕上げてくれた。
 その他、真珠のネックレスやバッグなどの小物も購入する。
 サトルも同じ店で一式揃えて、全て夕方までに美容室へ送ってもらうように手配した。


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