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小説|腐った祝祭 第一章 8

 クラウルを従えて、サトルは執務室にこもっていた。
 警察の相手や、国から送られてきた文書に目を通すなど、一応の仕事はしてしまわないといけない。
 クラウルは部屋に呼ばれた時から何かを言いたそうな顔をしていたが、度々指を動かしたり、口を歪めたりするだけでなかなか喋りださなかった。
 サトルは言った。
「言いたいことがあるなら言えばいいだろう。そうモジモジしていられたら、気になって仕事にならないよ」
 クラウルは書類を整理していた手を止めてサトルを見た。
 サトルは一つ遅れて読んでいた書類から顔を上げ、クラウルを睨む。
「言えよ」
 クラウルは仕方がないと言うように、溜め息をついた。
「ナオミ様が部屋に入ったきり、出てこられません」
「出てきたら君に報告があるのかい?」
「そう頼んであります」
「素晴らしいシステムだね」
 サトルは鼻をフンと鳴らして、書類に視線を戻した。
「閣下。どうされるおつもりですか」
「何を?」
「ナオミ様をですよ」
「彼女は彼女で考えるだろう。私は帰って欲しくないと頼んだ。後は彼女次第だ。君が心配することじゃないね」
「それはあまりにも身勝手ではありませんか?ナオミ様はこの国のお方ではないのですよ?ふらりとやって来た、ただの旅人です。それを引き止めるというのは酷な、」
「クラウル。君が心配することじゃないよね?」
 妙に優しい口ぶりに、クラウルは口をつぐんだ。
 サトルが本気で怒ると、口調がことさら優しくなることを知っているからだ。その前兆を感じたのだろう。
 サトルは読んでいた書類を面倒臭そうに机の上に投げた。
 クラウルは控えめに聞く。
「どうされました?」
「年末に外務大臣が来るそうだ。夫人と娘を連れてね。ふん。冬休みの家族旅行に大使館を利用するのは、いい加減にやめて欲しいね」
 クラウルは静かに書類を手に取る。
「ちょうどクリスマス休暇の時期ですね。しかし、予定ではルルの滞在は一日となっていますよ」
「数時間にして欲しいよ。あんな野暮ったい大臣の面倒を見るなんてうんざりだ。早く内閣の変更があればいいのに」
「まあ、そうおっしゃらずに」
 サトルの機嫌が悪い原因は、プライベートに口出ししたせいだけではないと判って、クラウルは少しだけ表情を緩めた。
 サトルは違う書類を取り上げ、読み始める。
 クラウルは言う。
「おかしいですね。この予定表では実際に数時間しかいない国もある。有名な土地には二泊ずつ。それなのに、どうしてルル王国には一泊するんでしょうか。これといった観光地もないのに」
「今年の夏に来た文化庁の人間を覚えてるかい」
「こちらの学校の視察に来たお役人ですね」
「ああ。その中の一人に聞いたんだ。外務大臣の次女は独身で、ちょうど私と吊り合うくらいの年頃らしいよ」
「まさか、それで?」
「私の品定めに来るんだろう。あの役人の口ぶりはそんな雰囲気だった。自分の妹とその次女が同級生なんだそうだ。まさかそれが実現するとはね」
「参りましたな」
「彼は妹の写真まで持って来ていたんだよ」
「その、次女とご一緒の?」
「ああ」
「どんな女性でした?」
「高級な服と靴とバッグと宝石を身につけているというだけの、何の魅力も感じない女だった」
「それは・・・・・・、珍しいですね。閣下が女性に対してそんな風におっしゃるとは」
 サトルは驚いたように顔を上げた。
「私が何か言ったかい?」
「え?」
「すまない。ぼんやりしていた。そうだね。今、悪い言葉を使ったような気がする。忘れてくれ」
 首を振り、書類に目を戻す。
 クラウルも驚いたが、すぐに書類の整理を再開した。
「閣下。今日のスケジュールですが」
「ああ」
「午後二時からの州立孤児院の視察ですが」
「それが?」
「その、その間、ナオミ様はどうされるんでしょう」
「おや、話が戻ったね」
「申し訳ありません。しかし、これは仕事としてお伺いを」
「そうだね。じゃあ、直接本人に聞いてこよう」
 サトルは書類を机に置き、引き出しから小さな手帳を取り出した。
 警察が届けてくれたナオミのパスポートだ。
 椅子から立ち上がり、部屋を出る。

 クラウルが電話をしてサトルが行くことを伝えたのだろう。
 ナオミの部屋の前に見張り番はいなかった。
 ドアをノックする。
 返事はない。
 ドアを開ける。
 部屋の奥の、窓に近い方にベッドは配置されている。
 ナオミはそこにはいなかった。
 部屋の右端に置いている文机で何かを書いているようだった。
「置き手紙ですか?」
 ナオミはノックに気付いていなかったようだ。
 声をかけられて、驚いてサトルを振り向いた。
「すみません。ノックはしたんですよ」
「いいえ。どうぞ。あなたのお家だもの」
 サトルは許可されたのでナオミの傍に歩いていく。椅子の背もたれに右手を置いて、左手でパスポートをテーブルに置いた。
「警察が持ってきてくれました」
「ありがとう」
 ナオミは自分の写真の載っているページをじっくり見てから、机の前のスペースにそれを置いた。
「それを破り捨てなかった私を褒めて下さいませんか?そうしていたら、あなたは少なくとも今日は帰れなかったんだ」
 ナオミは少しサトルを見上げてから、机に置いていた紙を取り上げた。
 そして、サトルに渡した。
 やはり手紙のようだった。
「この場で置き手紙を読ませようと・・・・・・」
 置き手紙ではなかった。
 彼女の家族にあてたものだった。
 初めの方に、「もう二、三日ゆっくりしていこうと考えている」と言うような文章が記されていた。
 ほっとしたのと同時に、首の皮一枚でつながれているといった居心地の悪い緊張を感じた。
 素直な気持ちにはなれなかった。
「・・・・・・まったく、車が走っていないなんて信じられないでしょう?でもこの街はそうなのよ。あのガイドブックは嘘じゃなかったの。それにね、あの写真で見るような田舎ばかりじゃないのよ。現に私が今いるところは都会で」
「やだ、もう!」
 意外な場所を読み上げられたので、ナオミは慌てて椅子から立ち上がる。
 サトルは手紙を持つ手を高く上げて読み続けた。
「土の道もあれば石畳の道もあるの。そこを馬車がガタゴトと」
 ナオミは手を伸ばして手紙を奪い返そうとする。
 しかしナオミがジャンプしても、サトルの手には届かない。
「ひどいわ。意地悪しないで!」
「まるでグラナダテレビのホームズの世界よ。もちろん服装が古めかしい訳じゃないし、街はもっと広い感じなんだけれど」
 ナオミはサトルの胸を叩いた。サトルは笑いながら背中を抱いてなだめようとする。
 しかし、手紙を持った手は上にあげたままだ。
 ナオミは頬を赤らめて抗議する。
「やめて!信書を読むなんて犯罪だわ」
「だって、君が私に渡したんじゃないか」
「読んで欲しいのはそこじゃないもの。返して!」
「でも車がないと不便じゃないかと思ったのよ。ほら、赤ちゃんを連れて行く時なんか」
「もう、サトルさん、いい加減にしてったら」
「でも凄く可愛らしいベビーカーを街で見かけたの。綺麗なお母さんがそれを押していたわ。広い歩道をゆっくり歩いていくその姿を見ていたら、とても優雅で羨ましくなっちゃった。だって排気ガスなんてないんだもの」
「サトルさんったら!」
 サトルは読むのをやめてナオミをきつく抱きしめた。
 手紙が、サトルの手とナオミの背中の隙間から落ちた。
 床の上を滑って、少し先でふわりと停止する。
「二、三日だって?そんなのは嫌だよ!」
「サトルさん・・・・・・」
「ねえ、お願いだ」
 サトルはナオミの肩を掴まえて、正面からナオミの顔を見た。
「せめて休みの間だけでもここにいてくれ。ここにいて、私を見てくれ。君が嫌がることは決してしない。君が許してくれないならキスだって我慢する。だから帰らないで。ぎりぎりまでここにいて。それでも私を気に入ってくれないなら、その時はあきらめるから。これ以上無理は言わないから。お願いだ」
 ナオミは眉をひそめ、そして額に両手の指先をあてた。
 顔を隠すような形になった。
「サトルさん、私、大事なことを言ってないのよ。だから、そんな風に言われると・・・・・・」
「何?言ってくれ。怒らないから」
「私、・・・・・・付き合ってる人がいるのよ」
 サトルは肩の筋肉が弛緩していくのを感じた。
 なんだ、そんなことなのか。
「会社で面白くないことがあって、その上その人とも喧嘩して、何だか一人になりたくて旅行を思いついたの。それでここに来たの。だから、サトルさん、私・・・・・・」
「その男とは籍を入れてる訳じゃないんだろう?ただの恋人だろう?」
「え?」
 ナオミは顔から手をよけた。
「婚約してるの?」
「いいえ。それはないわ」
 その程度の事で、君は自由を奪われていたの?可哀相に。
「それなら何の問題が?関係ないよ、そんな奴」
「でも・・・・・・」
「喧嘩したんだろう?それなら都合がいい。別れてしまえばいいんだ」
「だけど、そんな話、なにもせずに飛び出してきたのよ」
「でも、君が帰らなければならないと思うのは、きっとそいつの為にじゃないだろう?家族がいるから、自分がそこで生活していたから、だから、戻るべき所だから戻ろうとしているだけだろう?恋人なんていうのは、私と君自身に対するいい訳だと思うよ。私はそんな奴のことは気にしない。国に恋人がいても、先刻私が言ったことには何も影響しない。お願い。ぎりぎりまで、私に時間を与えてくれ」
「本気で言ってるの?」
「君はいつになったら信じてくれるんだろう。嘘でこんなこと言えないよ」
 ナオミは深呼吸をした。
 いつの間にかテーブルの上の便箋もすっかり床にばら撒いてしまっていた。自分の肩にあるサトルの手を外して、ナオミは手紙と便箋を集め始める。サトルも同じように拾い、ナオミに渡した。
 ナオミは言った。
「私、書き直すわ。あと一週間、ここにいるって」
「ありがとう」
 サトルは午後から仕事で出かけなければならないが、ナオミはどうしたいかを尋ねた。
 御者に街の案内を頼んでもいいし、大使館の敷地内をミリアと散歩してもいいよ。何か食べたい物があれば、誰でもいいから目に付いた人に頼んでごらん。みんな親切に取り計らってくれるから。ジョエルはどんなお菓子でも美味しく作ってくれる。遊んでいるのが退屈なら、彼に作り方を教えてもらうのもいい。
 ナオミは、とりあえず部屋で手紙を書いていると答えた。判った。夕食前には帰ってくるから。
 そして二人は一緒に昼食をとり、その後サトルは馬車で出かけた。


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