小説|腐った祝祭 第一章 27
朝食の席は本館の広間に用意された。
大臣一家とその取り巻きも同じ長テーブルの席に付いた。上座、下座の違いはつけている。
三人はナオミを紹介されたとき、一様に微妙な表情になった。
もちろんサトルは何も気付かない風を装っていた。
未来の妻を前に、幸せに包まれている能天気な男を演じた。
食事中の会話では、夫妻は何故か、自分の娘の方が若いことを強調するような話ばかりをしているように感じた。
ナオミといえば、こちらは何の問題もなかった。
会うまではソワソワしていたのに、会ってしまえば非常にリラックスして会話を楽しんでいた。
答えは簡単だった。
今までナオミは外国人とばかり接していたのだ。
それが久し振りに同国人に会えたのだから、懐かしくない訳がなかった。
彼女は少し離れた場所にいる警護員にまで話しかけ、その場を和ませた。
大臣一家は和んでいないようだったが。
「ナオミさんは、私より4つもお姉さんなんですね」
娘が何の意図でそう言ったのかは定かではないが、サトルからよく子供扱いをされてからかわれていたナオミは、「お姉さん」という言葉を非常に喜んでいた。
ルルの外務大臣に会い、そのまま別の国へ飛ぶために大使館を出発する際、サトルは玄関でナオミにキスをし、「いってきます」と言った。
ナオミは人前だったので恥ずかしがっていたが、サトルは気分が良かった。
クラウルは渋い顔でサトルを睨んでいた。
サトルはそれに笑顔を返す。
なにしろ明日は結婚式なのだから、浮かれない訳がないではないか。
そうクラウルに言ってやりたかった。
そして、馬車に乗り込んだ。
母国の大臣を見送ったあと、空港の展望サロンでルルの外務大臣と歓談していた時だった。
秘書が大臣の耳元で囁き、驚いた大臣がサトルに言う。
「グリーン卿が亡くなられた」
ベラの夫だ。
子爵の訃報を耳にして初めに思ったのは、明日の結婚式が取りやめになるということだった。
サトルはかぶりを振り、立ち上がる。
大臣は庁舎に戻り、サトルはベラの元へ向かった。
彼女の屋敷に入るのは簡単だった。
裏口の門番も顔は知っている。
馴染みの接客係の一人がすぐに駆けつけてきてくれた。
「お屋敷にご連絡差し上げたのです、大使」
「ああ。外務大臣と一緒だったんだ。そこで聞いた。ベラは?」
「自室にこもられています。サトル様に連絡が付かないと判ると、取り乱されてしまって」
「判った。勝手に行っていいかな?」
「それはもう構いません」
「君は忙しいだろう。これからの準備はベラがいなくても大丈夫かな?」
「はい。上が全て万全に進めております」
サトルは広い階段を駆け上り、二階のベラの部屋に向かう。
部屋の前には付き人が一人立っていた。
「大使!奥様が」
涙ぐむ女の肩を叩いて励まし、ドアをノックする。
ノックだけでは返事はなかったが、声をかけると泣き声が聞こえてきた。
ドアに鍵はかかっていなかった。
「ベラ!入りますよ」
ベラは長椅子に倒れ込むようにして泣いていた。
ベラの部屋はアールヌーボー調の家具で満たされている。ロマンティックなベラにはピッタリの部屋だ。窓辺のゲームテーブルでは、昔はよく二人でチェスを楽しんだ。
とは言え、もちろん彼女と恋人だった時期はない。
サトルは病弱な夫の代わりに遊んでくれる良き友人だった。
初めの頃は夫妻と三人で出かけることもあったが、そのうち子爵は外出にも苦労するようになっていった。
ベラの背に手をあてると、彼女は振り返ってサトルにしがみ付いた。
「みんな私から離れていってしまうんだわ!」
サトルはベラを抱きしめ、髪に頬をすりよせる。
「落ち着いてください」
「ねえ!何処に行っていたの?何度も電話したのよ!どうしてすぐに来てくれないの?」
できるだけ急いだつもりだし、自発的にそうしたのだ。
文句を言われるのは心外だが、そんなことは言う筈もない。
「すみません」
髪を撫ぜるがベラは半狂乱に叫び続けた。
サトルを押しのけ、その胸を拳で打つ。
「あの人が死んでしまったわ!もう私は一人ぼっちよ!あなたも何処かに行ってしまうんでしょう!」
「私はここにいるじゃないですか。あなたを心配して来たんですよ」
「嘘よ!呼ばれたから仕方なく来たんでしょう。あなたってそういう人だわ。本当は私のことなんか好きじゃないくせに」
「ベラ、落ち着いてください」
「だってよその女と結婚するんでしょう。美術館以来、一度も訪ねてきてくれないじゃないの。あの人が死んでしまったのよ!あの人が……もう一人になってしまった。誰も私に構ってくれないの。あなたももう、私を見捨てるのよ!これで終わりなのよ!」
「私はあなたの友人でしょう?あなたはここに来て最初の友人ですよ。この国のことを何も知らない私に、あなたは親身になってあらゆることを教えてくれた」
「恩なんて感じないで!そんなことで友だなんて言わないで!」
「恩だけで友人になったわけではありません。ベラ、私は、」
「だって結婚するんじゃないの!私、どうしたらいの?誰も私を愛してくれない!みんなが離れていく!酷いわ、あの人!どうして死んじゃうの?私のことなんか愛してなかったのよ!」
「しっかりしなさい!」
サトルは仕方なく彼女の頬を叩いた。
ベラは驚いて喋るのをやめる。
「ベラ。人前でそんな風に泣きじゃくったり、みっともなく喚いたりするのは、我々の特権ですよ。あなた方貴族にその権利はないんだ。いつも毅然としていなさい。凛々しく背筋を伸ばしていなさい!例えどんな状況でもです。あなた方にはその義務がある。それが出来ないというのなら、今すぐ身分を捨てなさい」
ベラは打たれた頬を押さえ、大きく開いた目でサトルを見ていた。
「あなたはいったい、ここで何をしているんですか?ご主人はつい先ほど息を引き取られたのですよ。どうして傍にいてあげないのです?あなたは彼の妻でしょう。こんな所で卑しい男にしがみ付いて、泣き喚いて。恥を知りなさい」
「サトル…」
「私が結婚しようとしまいと、あなたと私の関係は変わりません。私たちは友人ではなかったのですか?あなたが嫌だと言わなければ、私はあなたを友人としてできうる限り支えていきます。だから私はここに来たんです。しっかりして下さい。さあ、立って。ご主人のもとへ行きましょう」
ベラは震えていたが、やっと頷くと、サトルの腕につかまりながら立ち上がる。
「サトルさん…」
「はい」
「ごめんなさい」
「いいえ。私こそ、すみませんでした」
サトルはベラの涙をハンカチで拭いてやった。
「落ち着きましたか?」
「ええ。ありがとう。……どうしよう」
「なんです?」
「私、先刻、エイミーをぶってしまったの。きっと、彼女も、私から離れて行く……」
サトルはベラの髪に優しくキスをして言う。
「大丈夫ですよ。エイミーは廊下であなたを待っています」
「本当?」
「ええ。あなたを心配して泣いていましたよ。行きましょう」
「私、彼女に謝らなきゃ」
「ええ、そうしましょう」
二人は部屋を出るため、ドアに向かって歩き出した。
クラウルの声が暗いのは、どの理由が一番影響しているのか、サトルにはとりあえず判らなかった。
「それでは、明朝、教会にお持ちすればよろしいのですね」
「ああ。明日も密葬で一日こっちにいると思うから、ナオミのことは頼んだよ」
「ナオミ様はご同席されなくてもよろしいのでしょうか?」
「うん。考えたけど、その方がいいだろう。ベラがまだ不安定な状態だし、ちょっとね」
「そうでございますか」
「それから、結婚式の方なんだけど」
「はい。出席者には順次ご連絡を差し上げております。既に卿のご逝去をご存知の方が大半ですので、問題ございません。あの、殿下とはご連絡を?」
「うん。やっと先刻、連絡がついたよ。あちらも慌てていた。みんな年は越えるだろうと思っていたみたいだね。ねえ、今ナオミはどうしてる?」
「実は、閣下と大臣が出られた後に、お出かけになりまして、その、今はまだお帰りになられておりません」
サトルは顔をしかめて時計を見た。
4時を過ぎたところだった。
「何処に行ったの?」
「買い物に行くと言われて」
「誰と?ミリアか?」
「セアラです」
「二人で行かせたのか?セアラはまだ子供だぞ!」
サトルは辺りを窺い、咳払いをした。
「いえ、リックが付いて行きました。三人です」
「そう。リックが一緒なら安心だが、もう4時だぞ。すぐに暗くなるというのに」
「そろそろ帰ってこられる時分だと思います。ご連絡差し上げましょうか?」
「そうだな……」
もう一度、腕時計を見て考える。
軽く頭を振る。
「いや、いい。もし5時になっても帰って来ないようだったら、その時は頼む。それまでに帰ってくればいいよ。こっちもごたついているから。明日の結婚式のことは、君から伝えてもらっていいかな」
「はい。もちろんでございますが、やはり今日はお帰りにはなれませんか?」
「うん。ベラがね、落ち着いてはきているんだが、時々思い出したようにそわそわしだしてね。使用人たちからも泊まってくれと頼まれてるんだ。ちょっと断れそうにないよ」
「そうでございますか。承知いたしました。私も今日は執務室に詰めておりますので、何かの時はご連絡くださいませ」
「判った。ありがとう」
ちょうど廊下の向こうにエイミーがキョロキョロしながら走ってきた。
開け放した談話室のドアからサトルを見つけると、大きく手を上げる。
「大使!奥様が!」
サトルは通話口を口から少し離して「判った」と、大きく答えた。
「それじゃあ、クラウル。ナオミのこと、くれぐれも頼んだよ」
「承知いたしました」
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