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悲しいんだけど、それでも生きる選択を取る

はじめに

どうも、最近かなり落ち込んでた人生哲学です。
たぶん、最近の中でなかなか立ち上がる事が困難だった時期だったと思います。

ってことで、皆さんにも立ち上がる事が困難で死にたいと何回、人生で経験していることでしょうか。必ず、子供も大人にも限らずみんな「死」を過ったことがあると思います。でも、今日まで生きてきた皆さんは素晴らしい魂の持ち主だと自覚して下さい。

生きたいと私達は心から願っている

私達って辛い事が人それぞれによって環境や状況が違うと思います。
そして、誰しも何かを達成させたいと思っていたけど叶えられなかった夢ってあるんじゃないでしょうか?昔、小学校の時に将来は○○になりますと卒業式の時に言ったり、親に言ったり様々な変化を遂げて今があると思います。でも、私達は中々叶えられない人の方が大半だと思います。それもそう、みんな気付いているけど夢を叶える事って人生の中で一番大変だからです。

だから、「死のう」と頭に過ったりします。

別にこれが夢を叶える話じゃなかったとしても、
大人になってから、現実を目の前にすると、どんなに大好きだった動画、
音楽や支えだった人さえも全てが生々しすぎる現実の前では無力化します。
私達は、頼る者がなくなった小動物のように深すぎる闇においこまれていきます。朝起きれば慢性的な疲労と体調不良、常に抱えるもやもやで腹痛、
冷や汗、幻聴。もう無理かもしれない。
そういう感情が何度も頭をよぎる。寝る事が1番の楽しみで寝る為に1日を
起きる。例えば、受験勉強、本物の努力というものをするとき多くの人は
頼るものを無くし孤独に溺れます。見た事のない分厚い参考書、今までにないぴりついた空気、帰れば隠れてゲームもすぐに罪悪感に何度もやる気を起こし頑張るが、幾度となく頭をよぎる。
「俺には無理かしれない」
経営者もそうです。急激に変化する時代の中で強烈な責任に押しつぶされそうになりながら、合っているかもわからないやり方で1日中誰かのために
数字を追い続ける。それが経営者です。生きていれば誰にでも訪れきっと
大小あれ皆さんも経験している事でしょう。

頼る人が誰もいないという瞬間
頼る人が誰もいないという瞬間

それは離婚したときの経済的孤立感や親離れした時の闇においていかれた様な孤独感。いじめられたときの誰にも言えない惨めな孤独感。そういった瞬間にも訪れます。

けど、私達はそうやって今まで何かあったけれども「死ぬ」選択を辞めて、生きる選択を取り続けています。それは、人間が生きたと思う本能からです。
誰しも、耐えられないぐらいびくともしない壁の前で生々しく闇に追い込まれる時があります。これについては全てに置いて共通するところがあります。特にやり続けるとゆう事について全ての事象からして同じです。

ちょっと不思議ですよね。生きているのに、辛い事の方が本能として一番強烈にありますよね。でも、光を見たいと思って人間は前に進もうとしています。。。。

とゆうことで今日はこんなところで終わります。

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