ASDの生きづらさ 【フラッシュバック編】
私は記憶力が良いらしい。
「へえ!」と思ったことは基本的にずっと覚えていて、それをベースに知識を語ると「どこで覚えたの?」と親に聞かれて「幼稚園くらいの時見たから」というとまた「よくそんなこと覚えてるね」と驚かれる。仕事でも話せもしないロシア語やウクライナ語を読んではキリル文字で入力している。でも読めるんだもん。お給料ちょっとだけはずんでほしいな。時給3円くらい。
とはいえ勉強はできない。あまりにも興味がないことが多いから。
ちなみにカメラアイの持ち主ではない。あとワーキングメモリーが弱いらしいので勉強ができないのはそれも関係があるかもしれない。日本ではどうだか知らないが、私は現地校やインターナショナルスクールでよく小説を読むことを課題に出されて困っていた。どんなに頑張って読んでも内容が全然頭に入ってこない。「読んでも理解できなかった」と先生に説明したこともあるが「何を言っているの?言い訳しないで努力はすること。いいね?」といなされた。職場でも長文の案内が社内イントラに掲示されると正直困る。賃金に関してとか、オフィス施設の貸切日など、大事なお知らせが読め図に後から面倒臭いことになったりする。
あと算数ができない。これと関係があるかは知らない。
長期記憶だけやたら強いことは困った話である。
私はここ数週間、ブラックヘアに関する意見の投稿を巡ってXで粘着されたことを忘れられずにいる。久しぶりに希死念慮が戻ってきた。
支援機関でその話をしようと思ったのだが拒否された。
「私には難しいからわからないと思う。説明されてもわからないと思う。」
「ここは仕事のことを相談する場所だと思ってもらった方がいいかな。」
それもそう。ブラックヘアは政治的トピックだから利用者(しかもASDとかいうめんどくさい障害者)とそんなイシューについて語り合うのは避けたいだろう。「梯子を外された」というよりは「あ、初めから梯子はなかったんですよね、失礼しました」って感じ。
「ぐるぐる思考が止まらないようだったら次の受診日前にもう一度受診してもいいからね」
というわけで早速受診日を早めてみた。結論から言うと薬は増えなかった。
ただ先生から特性に由来するものだと説明を受けた。
前もってXで起こったことは共有してあった。「色々なことを考えてるんだね」とは言われていたので、よく細かいことが頭に引っかかって考えすぎてしまうことは先生はわかっていたと思う。
「リンジェさんはいろんなことをすごくよく覚えてる。記憶がこびりついちゃう。こだわりが強いからね。だからフラッシュバックもしやすい」らしい。
そう言われると合点がいく。
昔の会社で上長に怒られて過呼吸になったことも、頼りない上司が事故に遭って代わりにやってきた「働き者の無能」な上司のおかげで思い入れのあった現場を追い出される羽目になったことも、知り合いと派手に喧嘩別れしたことも、帰国前にしてきた様々な理不尽な体験も、全て鮮明に覚えていて、まるで平凡でモノクロな日常で突然閃光のように思い出される瞬間がある。
私が人生で大半を過ごした抑うつ的な時間がASDの特性によるものだとすると、なんだかしんどい。いい思い出だけがこびりつけばいいのに。
人間は生き物だから嫌な思いをしたことをよりよく覚えている。それが私たちの防衛本能だ。そこから逃れることはできない。
薬が増えないということは、これはもう特性上付き合っていかなければいけないことで、どうにかなることではないんだろう。
障害者支援機関に繋いでもらえたことは就職においては大いに役立ったし、今の仕事につけているのもそのおかげだ。しかし「障害特性」という本当にどうしようもないことについては何もできない。だから「ここは仕事のことを相談する場所だと思ってもらった方がいい」と言われたのであって。
結局薬でもどうにもならないことってどうすればいいんだろう。
カウンセリングに費やせるお金もないし。
そう思うここ数週間。
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