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新しい出会いを通して性的嗜好について改めて考えさせられた

とあるイベントに行ってランダムグッズを買った。推し以外の子が複数当たってしまったのでSNSで交換を呼びかけた。すると是非交換したいと言ってくれる方が現れ、会場の外で落ち合うことにした。その方は取引専用のアカウントを使っていた。

ダブったのは若い10代の男性タレントさんのグッズ。とてもかわいらしいお顔をしていてステージングも素晴らしく、ファンでない私も惚れ惚れした。他の演劇に出演された際のお写真を拝見すると女性以上に美人だった。
さて、どんな方が現れるのかな?と待っていると、やってきたのはいわゆる「シュッとした」成人男性。お互いグッズを交換したところで、私は「せっかくなのでお互いのグッズを並べて記念写真を取りませんか?」と提案した。快諾していただいた。

後日彼と撮った写真がタイムラインに流れてきた。彼のメインアカウントだと確信した。
私は彼がどういう経緯であの美少年に出会ったのか興味があった。投稿を見ると中にはLGBTQに関するものがあった。想像に過ぎないが、もしかしたら彼はゲイでそういうかわいい子がタイプなのかもしれない。

ふと疑問がよぎった。

いい年をした男が未成年の女の子を応援していると「ロリコン」と言って気持ち悪がられるのに、応援対象が少年であった場合「ショタコン」と気持ち悪がられないのはなぜなのだろう?

そこには「男は女が好き」という固定概念があって、「好き=性的な目で見ている」と人は考えるからではないか?これって差別以外の何物でもないのではないか?

推しが同性であろうと、未成年であろうと健全に応援できるなんて素敵なことだと思うのだ。流石に体の接触があるようなイベントは健全とは言えないので眉をひそめたくなる。しかし10代の若いタレントさんというのは不思議な魅力を持っていることは間違いない。

私の中の中国ブーム

私も一時期中国のアイドルにハマったときは若い少年ばかりが魅力的に映った。一番最初に聞いた中国のアイドルソングはTFBOYSの有名曲「青春修練手冊」。

彼らはこの映像当時中学生で、現在は全員成人しソロ活動をしている。私はこの映像を見て衝撃を受けた。「こんな美少年達がこの星に存在していたなんて。」

私はのめり込んだ。彼らには事務所に後輩がいて「TF家族」といういわゆる"ジュニア"的なユニットが組まれていると知った。

これは2017年の湖南卫视という局の快乐大本营という長寿番組に出演した際に披露した「超人诞生日记」のパフォーマンスである。

これを見て私はさらにひっくり返ってしまった。これだけ人数がいれば顔がイマイチなメンバーがいてもおかしくないのに、全員もれなく美少年である。特に李天泽、宋亚轩、刘耀文の三人は特に私の心にぶっ刺さってしまった。「もう中国には遺伝子操作をしてイケメンを量産する秘密工場でもあるんじゃないか」と疑いたくなった。
(余談だが、驚くなかれ、この楽曲はイギリス人によって作曲されている)

ふと私は気づいた。彼らを「同性」「憧れの対象」として見ていたことに。

生まれ変わったら美少年になりたい

当時付き合っていた彼氏に、私は仕切りに彼らの写真を見せては言った。「この顔になりたい」「この姿で生まれたい」「彼らの体が欲しい」と。

私は(自分がそうだからかもしれないが)人間はある程度両性具有だと思っていて、女性でも男性でも、少しくらいは異性の側面を持っていると信じている。

少しbizarre(奇妙、怪奇的)に映るかもしれないが、私は学生の頃男装をしていた。しっかりナベシャツで胸を潰して、ワイシャツも合わせが逆になるのが気になるので男性物を買った。髪もショートカット、当時流行っていたようなトップが短くて襟足が少し長めのカットにしていた。高校の卒業写真にもブラウスではなく、ワイシャツにネクタイを締め、ジレにジャケットを羽織った姿の私が写っている。

昔付き合っていた彼氏に結婚の話になった時、「ウェディングドレスもいいけど、正直タキシードが着たい」と話したこともある。

完全に男になりたかったわけではない。男が好きすぎたのだ。
今でも男性アイドルのオタクをやっているのはそこに所以がある。

真の「ジェンダー」とは何か

ジェンダーは近年では「自分がどの性だと感じるか」で語られがちだが、私は違うと思う。

私はある日学校にスカートを履いて行った時「リンジェがスカート履いてる!どうしたの!?おしゃれしちゃって〜」とからかわれた。彼女たちに悪意はなかったかもしれないが、それ以来私は男装ゴスパンクに転身した。

ジェンダーとは「社会的な性」のことであって、「他人からどう見られたいか」が重要だと考えている。
「自分は女性/男性だと思う」よりも「自分は女性/男性として見られたいし、社会的にそのように扱われたい」が本来のジェンダーだと考える。

私は女性の体で満足しているし、社会的に女性としてお使われることに不満はなかったし、現在もないのだが、なぜ学生時代男装をしていたかといえば「社会から女子とみなされなかったから」に他ならない。積極的に男に見られたかったわけではないが、自分の生活圏でそう見なされてしまった(と感じた)のでそのような選択になった。社会に屈した結果である。
しかしそれが辛かったかと言われればそんなことはない。「周りの目」と「自分の服装や態度」が合致した途端、周りは歓迎してくれたし、以前より仲良くしてくれた。私のライフスタイルに憧れてくれる後輩までできた。
「社会に求められる性」と「社会的に扱われたい性」、どちらを選ぶのかが正しいと言うつもりはない。こういうスタイルもあるよ、と言う程度の話だ。

「若い男性」への執着

繰り返しになるが、私は当時も今もイケメンに夢中で男の人が好きだ。けど私は彼らを同性として見ている。可愛いと思うし、素敵だと思うし、輝いていると思う。でも手は届かない。まさにアイドル。

そういう意味では私は出会った彼と同じなのかもしれないと思った。

繰り返しになるが、彼の推しているタレントさんは本当にかわいい顔をしていて、とある演劇の写真を見ると女の子よりかわいいくらいだ。見た瞬間「異性として好きにはならないかもしれないけど同性としては好きになれそうだな」と思ったのだ。

そこで質問だ。
この感情はキモいのだろうか?

私はいい年した女で、性自認も女性・社会には女性としてみられたい。異性装は今でもたまにする。むしろスカートを履くといつもの自分じゃないようでワクワクする。そして男性が好き。でも「乙女な目線」で男性を見ているかと言われるとNOかもしれない。数いる推しの中でも最推しの本田くんが私を「乙女」にしてくれているか、と聞かれてもNOだ。「同性なら友達になりたかったな。一緒にバンドやってみたかったな。一緒に徹夜して駄弁っていたかったな。」そんな気持ちだ。

こんな私はLGBTQレインボーの中の何色なのだろうか。
いや、色なんて必要なのだろうか。

少なくとも私は私自身である限り、色も名称もいらない。

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