Somewhere over the Rainbow...
シドニーのあちこちで虹色の旗がはためいている。
本来なら、この文をアップする今日(毎年3月の第一土曜日)は、マルディグラパレードが行われる日だ。
シティからオックスフォード・ストリートを経由するパレードは、キンキラキンの様々なコスチュームをまとった集団が車の上のステージで踊りまくるという派手なイヴェントで、例年だと国内外からも沢山の人が押し寄せる。
流石に今年はそれも出来ず、パレードもスタジアムの中で「安全に」行われる(ストリーミングなどで見られるようだが)。
パレードが行われるシドニークリケットグラウンドにも、レインボーフラッグが掲げられていた。
そんな今日、LGTBQIA+(これが正式名称ですが、ちょっとなじみがないし書きにくいので以下は「ゲイ」と書かせてもらいます) についてちょっと考えてみた。
日本にいた時、それはもう20年以上前のことだが、ゲイについての予備知識はほぼなかった。学校で教わったりもしなかったし、その存在すら意識をしていなかった。
一言でいうと、「キモい人たち」。これが残念ながら、一般的な日本人の感覚だったのではないか。
…そういえば、一回だけ友人に連れられて新宿二丁目(日本のゲイの人が集まる場所)のアンダーグラウンドなバーに行ったことがある。でもそれだって、はっきり言えば怖いもの見たさで、「うわ、変なとこ行っちゃったなあ~」という気持ちだった。
テレビなどでも、ゲイの人達は単なる「キワモノ」扱いだったと思う。
シドニーに来たときも、ここがゲイキャピタルという知識は何もなかった。
今だから白状するが、そうとは知らずにゲイ関係の店が多いオックスフォードストリートの服屋に入り(だってオシャレそうな服を売っていたんだもん)、「うーん、なんで男性の店員がやたらとフレンドリーなんだろう…」と思ったことがあった。その服屋はまだあり、家の近所なのでしょっちゅう通り過ぎるが、ちょっと恥ずかしい思い出だ。
友だちに誘われてマルディグラパレードを見に行ったこともあるが、それもショーを見に行くという意味合いだけで、彼らを取り巻く環境や、歴史的な背景などに思いを寄せることもなかった。
あの人達はあの人達、わたしらフツーの人とは違うんだから…みたいな。
でもシドニーに長く住み始めたら、ゲイの人ってどこにでもいる。
カフェやレストランの店員、フライトアテンダントから始まり、同じアパートの住人、会社の同僚、上司、部下、友達…
最初はいちいち「この人はどっちなんだろう?」と気になったり、うわ!と驚いたりしたが、今ではどうとも思わない。
これって、ここに住んでいると、人の人種、宗教、年齢…といった「きまりごと」を気にしない…といっても無視するのではなくてリスペクトするようになる、というのと同じことだ。
そんな垣根を取り払い、ひとりのヒトとして付き合うだけである。
これも、オーストラリアで生活するようになって良かった、と思うことの一つだ。
今でこそアイデンティティに理解のあるオーストラリアだが、このようになったのは自然なプロセスではなく、もともとはがちがちの保守だったわけで(なんたって白豪主義をやっていた国ですから)、それを今の状況にするまでには様々な人の努力や働きかけがあったはずだ。
オーストラリアだって、時折ヘイトクライムみたいなものは起きるし、それが原因で自分の命を断つ人は今だっている。
他の国も多かれ少なかれ、そんなものだろう。そういえば、昔「フィラデルフィア」という映画があったなあ…。アメリカだってつい少し前はあんな感じだったわけで。
トム・ハンクス熱演だったなあ…
ひるがえって、日本はどうなっているのだろう?
徐々には改善されてきて入るのだろうが、まだまだ壁は高いのでは、と想像する。
だって日本で、ゲイの人を会社なりコミュニティなりを通じて知っている人はどれだけいるのだろうか。私の場合、日本にいる知り合いでゲイと認識している人はゼロである。
日本だけ、なぜかゲイの人がほとんど存在しないということはちょっとありえないので、いるのかもしれないが公表していない、出来ないのだろう。
自分のアイデンティティを隠さないといけないのって、どんなに辛いことなんだろうかと思う。
日本でも、”Be Yourself” と胸を張って言える日が来てほしいものだなあ…
シドニーの真っ青な空にはためくレインボーフラッグを見てそんな事を考えた。