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知らないことだらけな中、自分の心の痛みはわかるーイスラエルとハマスの狭間でー

昨日、たまたまテレビでみた数字。それが衝撃すぎて、数秒理解することもできなかった。

イスラエルとハマスがパレスチナ自治区ガザで戦闘を初めて半年。その間に、6千人ものパレスチナ人のお母さんが命を落とし、1万9千人もの子どもが孤児となった。

この数字を理解しようとするだけで、涙が出てくる。脳が拒否反応をしているようで、受け入れることができない。

パレスチナとイスラエルの問題は、公教育で習ったが、当時はよくわかっていなかった。たった一つの明確なきっかけや悪者がいればいいのだが、長い歴史にわたって、市民、国際政治、宗教がからみあっているため、数時間の授業で理解するには難しすぎた。
きっと、私と同じような日本人は多いのではないだろうか。
だから、半年前にハマスがイスラエルを攻撃したというニュースに対しても、複雑な中東における、また新たな事件のひとつくらいにしか気を留めていなかった。今思えば、そんな自分がとても恥ずかしい。
ロシアによるウクライナ侵攻も止められず、イスラエル・ガザ戦争も止められない。報道をみて、悲しい気持ちでいっぱいになるのに、やっているのは募金ぐらいで、正直この数千円の募金も意味があるのだろうかと思ってしまう…。(もちろん、彼らの立場に立って考えると、お金によって支えられることはたくさんあるから、募金活動は大切)
先日、知人と話した際に、パッと放たれた言葉が心に残った。
「個人の意思で戦争が起こるなかで、国って何なんだろうね。」
これは、国際社会にも言えることだ。
勝手な暴走・プライドで傷つけられる国民や世界に住む人々を守れずして、私たちは何をしてるんだろう。何のためにいるんだろうって私はついつい考える。

まずは、やはり知ることが大事だ。今はインターネットで学べる時代だ。提供元に注意しながら、少しずつ情報を取り入れていくこと。ちなみに、私は小学生でもわかる!パレスチナ問題というようなものから、学ぶことを始めた。徐々に、他国の報道にも触れ、少しずつ理解を深化していく努力をしている。
人々の気持ちや原因などを100%わかることはなかなかできない。ただ、自分の心の痛みに気づき、その痛みを無視しないことならできる。痛みを自分の行動につなげてあげるのだ。

幸せに生きている自分、ぬるま湯で満足した生活を否定する必要はないと思う。ただ、自分であったかもしれない、苦しんでいる誰かとその状況に、怒りや悲しみを感じる人が少しでも増えてほしいなと願う。知らないことは恥ずかしい。見てみぬふりをしている自分は不甲斐ない。そう思える若者が少ないのは、私からすればとても怖い。「僕には関係ない」など思わないでほしい。彼と僕の違いなど、ただの確率でしかないのだから。

UNICEFで取り上げられた、ガザに住む、外科医を目指す女子大学生の声を日本語訳し、紹介したい。
"Sometimes I feel it’s driving me mad. It’s not death that we fear. It’s surviving death."
>「ときどき、気がおかしくなりそうになる。私たちは死を恐れているんじゃなくて、生き延びてしまうことが怖いの。」
"Some days I am very angry at the whole world. Some days I’m grieving all that we had lost. And some days I don't feel anything at all. Those days, I’m feeling particularly helpless."
>「この世界全てに怒りを感じる日もあれば、失ったすべてのものを想い、悲しみにふける日もある。そして、まったく何も感じない日もあって、そういう日は極めて無力に感じている。」
"The only thing that gets me through the day is the hope of completing my education and the chance of getting my family to safety and rebuilding our life back.”
>「1日1日、自分を生かすものは、再び教育を受けること、そして家族とともに安全な生活を取り戻すことへの希望だ。」


私は21歳、まだ学生。そんな自分にできることは多くないし、大きくもないだろう。それでも、探し続けたい。やり続けたい。
この瞬間も恐怖と戦い、泣きながらも生きている子どもたちを、無視できるような人にはなりたくない。それを無視した瞬間、私は私じゃなくなってしまう。


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