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連載/長編小説【新入社員・山崎の配属先は八丈島!?】⑦

 九月になると、お客様も急に少なくなっていった。
夏のシーズンアルバイトや配膳会メンバーも数人を残して、本土へと帰っていった。
平日は十から二十客程度の日が続いた。
朝食も定食スタイルへと変わり、和食膳か洋食を選べるようになった。
洋食は卵料理の焼き方をスクランブル、フライドエッグ、オムレツからお客様にチョイスして頂く。
さすがにチーフが担当している朝のオムレツの出来上がった美しさは断トツだ。
対して修行中の星野さん(星ちゃんと呼ぶ)のもには、綺麗な対象型に焼き上がらないことがほとんどだ。
星ちゃんはスーシェフである地元出身の金川さんの下の三番手であり、「こち亀の両さん」を思わせる洋食シェフらしからぬ風貌のとても人の良い調理人だ。独身の三十五歳。
あ、そうそう。金川さんの話もしよう。
金川さんはこのホテル生え抜きで唯一の地元民シェフだ。黒縁めがねに髭ずらの丸顔が優しい――星ちゃん同様に人柄が良くて色々と島のことも教えてくれる。
家は八丈ストアの近くにあり、島らしい木造の民家に親と暮らす独身の四十代だ。

 昼間のエルピも静かになった。
エルピでの仕事のひとつに、ショートホール利用客の受付とクラブ類の貸し出しがある。
シーズンオフともなると週末以外は、主に地元民がゴルフ練習にやってきた。
役場の人たちは常連で、年に数回あるゴルフコンペにも必ず参加するメンバーだ。
この頃はランチも二人のサービスで間に合うくらいの客数だ。
夏が過ぎても隣のダイビングハウス・ブーメランにはお客様が入っているようだ。
お客様を連れて、ダイバーのオットさんがランチを度々利用してくれる。ダイバーのインストラクターはみな日焼けしていて格好いい。
ここの社長でダイバーの「金さん」は業界では有名人で、八丈島にこの人ありだとのこと――八丈には有名なダイビングスポット「ナズマド」がある。海流が速くベテランダイバーの指導が必須だという。PADIのライセンス取得をしに本土からくるお客様がたえない。

 メンダイでのディナー営業もバイキングスタイルから個々のお客様への提供へと変わった。
予約の段階で「和食膳」か「洋食コース」をお選び頂くのだ。
和食は通常、お膳に「先付け・前菜、刺身」「煮物・焼き物・揚げ物」「酢の物、食事・止め椀、水菓子」といった順に冷たい物は冷たく、温かいものは温かくを信条に提供していった。
揚げ物は八丈名物の「トビウオの唐揚げ」や酢の物代わりは「渡り蟹姿造り」などの海の幸満載だ。
洋食コース料理は「オードブル・スープ・パン、サラダ、魚料理、肉料理、デザート」と続く。メニューは頻繁に変わり、魚料理は「白身魚のブールブランソース」や「メダイのオーロラソース」だったりと、オナガなどの地元の魚を生かしたメニュー構成だ。
秋のシーズンでサービステクニックを随分と勉強させてもらったが、ワインの一連のサービングはまだぎこちなさが残っていた。

 昼間のアイドルタイム(喫茶時間帯)を使って、ワインの抜栓練習を何度も繰り返しおこなった。
空き瓶のコルクを押し込んで、ソムリエナイフを使って抜栓することを練習する。
田中チーフが横で「手の角度が違う」とか「それじゃ、ワインがこぼれてしまう」などいちいち言われることに辟易しだしていた。
魚屋さんが「僕もいまだに、うまくは出来ていないけど、その内にうまくなりますよ」と励ましてくれる。
「あんな、いつも酔っ払いの田中さんなんて、僕がやっつけてきますよ」と、笑顔で言ってくれて、何度も救われた。同僚のありがたさをこの頃、身をもって感じていた。

 秋も深まる頃、この冬のディナーショーの打ち合わせがあった。
少し早いクリスマス時期にメンダイを使ってステージを作り、円卓での着席方式にて洋食コースを提供するという。今年は「マイク真木」さんにお越し頂く予定だ。
私はギターを弾くので「バラが咲いた」が「フォークソングのはしり」ということも知っており、仕事とはいえとても楽しみだった。
この八年後には「ドラマ・ビーチボーイズ」の民宿オーナー役で出演されて、大活躍だったがこの時は、まだシンガーソングライターの顔しか知らない頃だ。

 冬の八丈はオフシーズンだ。
ダイビング客も少なくなり、釣りの常連客があるくらいで、十名単位のお客様の日が続いた。
平日はノーゲストという日もある。
こんな日はエルピも暇だった。
エルピ号(エルピラータ専用のバン)で本館の従業員食堂から人数分の昼食を持ってきて、厨房の隅で食べた。
星ちゃんが、その皿に残り物や肉の切れ端などを追加してくれた。幸せそのものである。
オフシーズンは、忙しいときには出来ない従業員同士の話しができるチャンスだ。
星ちゃんは母子家庭に育ち、子供の頃はかなりの貧乏で苦労をしてきたそうだ。
授業員の中には「貧乏コック」などという口の悪い人もいたが、私はそんな苦労からにじみ出たものか?とても優しい人柄が好きだった。

 朝食を終えると、バックでの拭き上げ作業などがある。
和食厨房ではやくざの親分の風格たっぷりの「中村板長」と子分の「堀さん」が仕込みを開始している。大抵は、十時くらいになると「あとは堀口よろしく」といって帰ってしまう。
板長の家は一軒屋の借り上げ社宅で、魚屋さんの家の隣だ。奥さんとお子さんが五人ほどいた――上は高校生くらいから下はまだ幼児だ。聞くところによると、本当の子供ではないらしく、養子が大半だという。どの子が実の子かはよくわからない。
そんな込み入った内情を聞く仲にはもちろんなっていない。四十五度くらいに傾く、眼鏡なのかサングラスなのか、よくわからない奥から覗く目が怖い。
堀さんは見てくれとは違って、至ってフレンドリーだ。板長情報も大抵は、堀さんから聞いた。
「今度、一緒に釣りに行こうよ」
「いいですね」
堀さんは伊勢志摩出身で、単身この八丈に来ている。
釣り好きで、とっても詳しい。わたしも多少は海釣り経験をしてはいたが、どうやら専門性が上をいっている。
二人で休憩時間に釣り竿やら、仕掛けを前に「あーでもない、こーでもない」を繰り返す。
結局、底土港での夜釣りは「ぶっ込み仕掛け」のシンプルなものがよいという結論になった。

 仕事を終えてから、堀さんの軽ワゴンでホテルから底土港にむかう。
餌は、仕込みで出た魚の切れっ端で十分だ。
夜の岸壁は静かだった。所々に街灯がついていたが、満天の星空や月明かりが暗い夜の港の内湾を照らし、明るく輝かせていた。
波のうねりに合わせて、それが煌めくので「夜光虫」の流泳にも見え、いつまでも見ていたい美しさだった。
「山ちゃんには負けないからね」と堀さん
「僕も負けませんよ!」と言いつつ
無口の勝負がはじまる。
シーンと静まりかえった港に時々打ち寄せる波の音だけが聞こえる。
「ググッ」間もなく堀さんの竿がしなる。
リールをキリキリと巻く音……あがってきたのは「カサゴ」だ。
「はい、山ちゃん釣れたよ!」と少し意地悪な微笑み……
「わかりましたぁ……」
まあまあの型だ、美味しそう。
しばらくするとまたも堀さんの竿にヒット!!
またしても良型のカサゴだ。
「あれ~山ちゃんは釣れたっけ?」などと憎まれ口をたたく。
心のなかで「くそー」とつぶやきつつも、しばらくすると今度は私の竿にアタリが来た。
「ググッ」
リールを巻く手が急く。
何かはわからないが重い……一発逆転のチャンスだ!!
暗い水面から徐々に魚体が見えてくる……なにやら、大きなヒレのようなものが見える
――ん?ミノカサゴだ!!
水族館でしか見たことがなかった魚だ。その優雅な胸ビレには魚体と同じ朱色の縞模様がある。背ビレは大きく長く、針のように何本も並んでいる。
「おー、珍しいのが釣れたね、実はこの魚も美味しいよ」と堀さん。
「針のようなヒレには注意して……刺されると毒があるから」と
ペンチで針を外してくれた。
それからしばらく二人の竿に反応がなくなった。
「今晩はそろそろ終わろうか」
二人で納竿し、ホテルへ戻った。
和食厨房の電気をつけてクーラーボックスの中を二人で覗き込む。
「明日の賄いだな」
堀さんの手により、三匹ともカサゴの煮付けになって翌日おいしく頂いた。
to be continued……

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