高等教育の構造改革

 私立の大学の53%が定員割れを起こしている現状。
 わりと初等教育の問題が語られることが多いのだが、今の日本は中等教育と高等教育が抱えている問題を意図的に隠しているのではないかと思えるほどの状況が実際にはあるということなんです。
 中等教育を追い込んでいるのは専門分化の問題ではないかということは何度か触れた。そもそも教員免許を単一教科に限定していることが非効率であり、労働時間が増えることにつながっていることは疑いない。
 そうした実績がN,S高やオルタナティブスクールによって作り上げられている。こうしたわざと「学校」は専門分化をかなぐり捨てている。部活動も実は専門分化の産物である。
 今後もこうした形での中等教育の崩壊は加速度を伴って進んでいくと思う。学費の面で公立と私立の壁がなくなればなおのことである。部活動についてもいい悪い以前の問題で運用上の課題が解決されれば、学校内での専門分化は消えていってしまう話である。中体連その他の既得権益団体が崩壊すれば自然と集約される話である。中等教育のコストカットを進めて初等教育に回すか新たな中等教育の枠組みへの再投資をするかである。
 そうしなければ公立の中等教育は早晩低コストの通信制というシステムに丸呑みにされてしまう。現システムは高コストな上に「通う意味」がないからである。
この話はまたいずれ。

 それたが、実は大学教育はすでにこの問題の一歩先を行っている。
 しかしなぜか大学は潰れて集約されずに現状を維持している。もちろん統廃合や募集停止している大学が存在していることは承知しているが、それにしても計算が合わない話である。
 こんなコストに見合わない状況が許されるはずがないにも関わらずである。少なくとも長期間は。これをいうと大学教員はコスト論への反論を行う。コスト論とはかかる費用の面からサービスを分析する論法である。実は保育や行政というのは、このコスト論の攻撃に晒された過去があるのだが、大学教員はあまり加勢をしなかったという現実があります。もちろん大学教育もこのコスト論の攻撃を加えられているのだが、ここでは学びの場とかインフラとしての効能とかで話のすり替えを行なって逃げることに終始します。そんなものはいかようにも「置き換え」が可能であるにも関わらず。

 大学の経営が苦しいのは大学教育の雇用形態を見れば明らかです。大学での雇い止め問題が見て見ぬフリされていることはもう隠しようのない事実です。
 そもそも雇い止めが労基法上問題のない行為であることは事前にわかっています。なぜなら大学は法律に沿って雇い止めを設計しているからです。代わりがいくらでもいるという言い方は人気職種であればあるほど、弱者ビジネスであればあるほど、弱味ビジネスであればあるほど言われることです。こないだ見た韓流ドラマでも大学に勤めたければ大学教授と・・・みたいなことです。なんか営業と一緒です。
 問題は法律上問題がなければそれでいいのかということです。大学は公立であれ私学であれ公金が投入されています。大学は全て比率はどうあれ、非常に大まかに言えば公設公営という分類になるわけです。しかも自治体にとっては税制優遇が個別に設定されていたり、個別の補助金や助成金が投入されていたりします。
 それなのに社会的には何の役にも立っていない。なぜか大学教員の仕事の一つに社会貢献というのがありますが、これが社会に貢献しているところを見た事がない。何なら嘘と悪意を振り撒いているところしか見た事がない。とりわけ学校教員に関わるところでいうと地方自治体の審議会委員だったり、助言者だったりするのですがこれがまともに機能している事がありません。その上現場にはイラナイことを増やしてくれるだけです。世間を知らないならしゃべるなよとしか助言してあげられません。
 これに加えて心理学系の大学教員は教育現場の攻撃に力を発揮することが往々にしてあります。これは致し方のない部分もあると思います。学問とは呼べない人間がずいぶん混じっているからです。特に医者は人間関係に疎い人間が多い。そうしたことを避けていないと医者にはなれないからです。そういう無駄な時間を省かなければ勉強する時間が作れないからです。結構そうした前時代的な事が罷り通っている業界です。眼科と歯科が異常に人気が高くなるのもよく理解できます。こうした中でもとりわけ心理職というのは過去のご自身の個人的な経験や患者さんへの個人的配慮から昭和の教育システムへの嫌悪感をかくさない人もおられます。そうした事が相まって教育というシステム自体をちゃぶ台返しするような論理展開をしてくるんだと思います。そうしたことは指摘にもなっていませんし、そもそも令和の教育状況とも違うのですから相手にする必要もありません。なぜだかマスコミはそうした筋違いの指摘の方に教員が学んでいるという幻想を撒き散らかすことに力を貸してあげています。
 こちらとしては大変迷惑しています。初等教育に口出す前に高等教育の不全をなんとかしてくれないとまともなものまで潰されてしまいます。
 それは別にしても教員の中にも心理学にカブれてこれ知ってますか?みたいな心理的雑学を撒き散らかす奴もいるんですがね。なんで退職校長ってそういうやり方のマウントしか取らないんでしょうか?

 まあ色々言いましたが、こんな体たらくで地域の学びのインフラであるというには無理があるし、何より雇用に関してモラルハザードを起こしていることは許されるものではありません。
 しかし現状の経営状況から言えば、法律に違反していない限りはなんでもやって存続されるということでなのでしょう。
 無理な屁理屈を後押しする自称知識人の職場であり、変な政治家や文部官僚、地域の名士の天下り先だからである。こうした状況を改善しない限りは大学が教育において真っ当な責任を果たすことはほぼ無理筋です。

 しかしこんだけしがらみが多いとどこをどう手をつけていいのか非常に難しいです。差し当たって今のように運営費をきちんと削っていけば効果は出始めるでしょう。もう少し減らすペースを上げてもいいと思いますが、学費値上げを口にしてしまった時点で墓穴です。
 私個人的な意見で恐縮ですが、もう我が子は大学にやる気はありません。大学に行けば生涯年収がハネ上がるのはもはや幻想です。そもそも今の大学教育がこの先の職業選定に役立つとは思えません。学びの場としても成立していません。大学教員の暴露本が出回り始めているのが良い証拠です。
 なりたい職業が専門的に学べる場所を大学以外で探していくのが良いだろうということです。

 そこから弾き出される月並みは結論はとにかく優秀な業績をたくさん出させることです。誰が見てもすごい文章や制作物、証明が出せない人間はテニュアどころか在籍もさせてはいけません。書けば業績みたいな評価制度を改めるべきです。
 大学教授を名乗るためにみんなが納得できるような評価制度の構築を怠ってきた。そもそも教員免許更新制度よりも大学教授資格認定の方が高等教育のためには不可欠であったはずです。きちんとピアアセスメント「できているできている」詐欺に騙されたわけです。
 官僚が大学教員と持ちつ持たれつの関係であったことも見逃せませんが。

 しかし、そうして先延ばしにしてきた終わりの始まりが国立大学法人の学費値上げという断末魔によって曝け出されてしまいました。ここからは坂を転がり落ちるように改革が進んでいくに違いありません。
 より民間や行政を叩くという副業に走る大学教員が増えそうですが、やればやるほど所属大学の価値を貶めることに気づかせてあげた方が良いかもしれません。

 大学教員自身が自己研鑽つまり研究と修養に励むと良い。そして老害にならないように自己肯定感と全能感を極力弱める努力に励んだ方が良いということです。まあそれでもサバイブできる可能性は五分五分です。それぐらい社会的に必要のない職業だということです。

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