見出し画像

バセドウ病とわかるまでの時間

わたしがバセドウ病と診断されるまでにかかった時間は1ヶ月でした。興味あるよーって方だけでも大丈夫かと思います。
まさか、原因解明まで時間がかかるとは思いませんでした。


2023年5月中旬
ベッドでゴロゴロとしていたわたしは、そろそろ寝ようとスマホを定位置に置いて、目を瞑りました。

ウトウトしていると首に違和感を感じ、手と頬が痺れる感覚が……。ビックリして目を開け天井を見回し、視力低下や視界が欠けていないか確認。脳梗塞かもと思って、すぐに両手をグーパーグーパーし、動くけれどうまく力が入らないと思った。音が聴こえていたのかは覚えていないけれど、視界が揺れたのはわかった。心臓はドクドクとうるさくて、その後に血の気が引いていくのがわかった。
気が遠くなりそうで、隣でゴロゴロしているパートナーを叩いて起こす。

わたしの父方の親族は脳血管障害が多く、もしかしたら出血してるかもしれない。
「救急車!」と焦るわたしに、1度は驚いたものの割と冷静なパートナー。

彼から渡されたスマホの画面には救急相談の電話番号。

震えながら電話をするが、「麻痺がないなら、明日、耳鼻科ヘ言ってください。」と。
怖くなり、この日は結果朝4時まで眠れませんでした。

翌日も同じようにグラグラと目眩、ゾワゾワとする不快感、心臓が壊れる程うるさくなるといった症状がありましたが、麻痺はなかったので、耳鼻科へ
「眼振があるから、頭位めまい症ですね。」
お薬と体操の指導をされる。

それでも不安があり、週末に脳神経外科へ。
「目眩があると頭痛もあるんだけどね。偏頭痛の治療ならいつでも言ってください。」
MRIで脳の異常は無しと判断されました。

あの日以来、食欲が減ってしまい、ほとんど食べない日もあり、1週間で2キロ痩せました。もちろん下痢も続きました。このころから、急に涙もろくなり、パートナーの前ではすぐに泣いていました。

薬がなくなりかけたので、また耳鼻科へ。「眼振はないので、もう大丈夫でしょう。ストレス溜めないでね。」
ストレスで誤魔化されたと思った。

そして、その日から、少し手の震えと動悸が始まりました。この時で、最初の目眩から2週間経過です。泣き虫も相変わらずでした。


ずっとパニック発作や自律神経失調症なのかと心配して、「いつこの不調は治るんだ!」「眩暈も脳も異常ないのになんで治らないの!」「一生このままずっと不調で、好きなことできなくなるのかもしれない」…などいつも考えては、泣いていました。パートナーには八つ当たりをしたと思います。


パートナーは、とてもシンプルで合理的な人です。冷たいように思われがちですが、そんなことはないです。
彼は、わたしの生活や言動を見て、生活リズムや言動を整えたほうがいいとアドバイスをしてくれました。
デジタルデトックスや起床時間、就寝時間を決め、ストレスから離れてリラックスできる環境作りをしなおそうと。


しかし、動悸は強くなり、手足の震えで字が書きにくい、下痢、耳鳴りに左瞼の痙攣、パートナーよりも暑がる、汗が止まらないなどの症状が増えていく一方でした。

食事と就寝前になると動悸が酷くなり、相変わらず食事は少し。もちろん、睡眠もあまりとれません。24時に寝れる日もあれば、3時に眠れるなど…

気づいたら、最初の目眩から体重は4キロ落ちていました。

アラフォーですからホルモンバランスの乱れも関係あるのではないかと、婦人科の予約を取りました。予日は最初の眩暈からちょうど5週目頃です。

生理前症候群が酷くなっていて、生理周期も乱れていたので、ホルモンの乱れは自覚がありました。昔はピルも服用していましたし。
何かわかるんじゃないか、女性ホルモンの乱れであってほしいと思っていました。


もし婦人科で原因わからなかったら、甲状腺の病院に行こうかとパートナーと話したその日の昼過ぎ、わたしの甲状腺は腫れました。

たまたま喉を触った時、知らない感触がありました。右の甲状腺の腫れです。

2023年6月中旬
すぐに知人に連絡をし甲状腺専門の病院を紹介してもらいました。表参道の伊藤病院です。

翌朝、病院へ伺いで検査、診察をしてもらい、バセドウ病との診断がでました。
最初の異変から35日後でした。


ちなみに、数値は
FT3  20.5
FT4  7.09
TSH  0.001未満
TRAb 38.0
肝臓の数値も悪かったです。
重さは23gなので、「小さめ」と言われました。

診察終了後、病名が明らかになった安心感があり、これでちゃんと治療ができるんだ!と、うれしくなりました。
この時、一生付き合っていく可能性があることは知らなかったです。よくわかっていなかったですね。

その日、早朝から病院に付き合ってくれたパートナーに、本当に感謝しています。
彼の前では割と普通に過ごしていたのですが…両親から電話が来た時は、号泣しました。まだまだ子供ですね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?