【創作長編小説】青の怪物、契約の輪 第二話
第二話 マーレ
呪い。
祖父の形見であるペンダントのリングには、「人ではないもの」を従わせるという、呪いの力があった。
そんな……。じいちゃんのペンダントにそんな力が……。
フィンは、信じられないと思った。しかし、目の前にはしっかりと「生きた証拠」がいた。突きつけられる「証拠」。
これが夢ではなく現実であると受け入れるしかなかった。「生きた証拠」、すなわち海の怪物が人間の姿に変化してしまったという事実を。
月明かりの中、「生きた証拠」はふてぶてしく笑った。
そしてフィンを指さし、顎を上げ思いっきり見下ろす。
「……まあ、まず名を名乗れ。我が主人」
ずいぶんな、口のききかただった。
「しもべのくせに、しゃべりかたが、ずいぶん偉そう」
フィンは「元・海の怪物」に、率直な感想かつダメ出しをした。
しもべの試験の面接があったなら、不合格だよ、こんなの。
まだ面接のある試験を受けたことのないフィンに、面接とはどんなものかよくわからないが、「しもべ試験」があるなら絶対落ちるやつ、と思った。
元・海の怪物は、ため息を吐く。
「名などない。私は、この世界に唯一無二の存在だ。そして他の生物とは、喰うという関係性しかなかった。つまり、名など必要なかったのだ。今までは」
「今までは?」
元・海の怪物はうなずく。そして、ずい、とフィンに顔を近付けた。
「貴様の配下になった。これからは便宜上、いるだろう。貴様に名付けてもらうつもりだ。で、その前に、まず貴様の名を名乗れ」
「なんでそう、偉そうなのかな!?」
フィンは、元・海の怪物の胸元を人差し指でつつき、押し返してやった。
「しもべには特殊口調がいるのか。この姿に変わり果て、同時にニンゲンの基礎知識も付属としてついてきた。ニンゲンの思考について、ある程度わからないと主従関係の成立が難しいということからだろうが。まったく、親切な呪いだ」
フィンは改めて、自分の胸元のペンダントの先端のリングを見つめた。
なるほど。だから、海に住んでた怪物と普通に話ができてるんだ。ちょっと変だけど。
「だが、私は細かいことまではわからん。そのへんは、貴様の度量で推し量れ」
どこまでも、横柄だった。
「さっさと、教えろ」
フィンは黙り込んだ。得体のしれない怪物に自分の名を教えるのは危険ではないのかということではなく、単純に、教えるのはしゃくに障るという理由で。
にらみ合う、フィンと元・海の怪物。
しもべって自分でいう割には、ずいぶんだよなあ。
潮風が髪を揺らす。朝まで、どのくらいの時間があるのだろう。
またたく星が、淡く空に溶けていく。
根負けしたのは、フィンのほうだった。意味のないにらみ合いに、笑いがこみ上げてきたのだ。
「わかった。教えるよ。俺の名は、フィン」
降参だった。
「フィン。いい名だな」
意外なことに、元・海の怪物は微笑み、名を褒めてさえくれていた。
「じゃあ、今度は私の名を教えろ。私はなんだ」
元海の怪物は、自身の名を問う。そしてまた、顔を近付けてきた。間近でフィンの目を見続ける元・海の怪物。
もしかして、とフィンは思う。
もしかして――。こいつ、名前をつけてもらうの、楽しみにしてる……?
鋭い青の目が、心なしか、きらきらしている。
そうか。名前って、初めてもらう、贈り物なんだっけ……!
フィンは、思い出す。妹のアレッシアが生まれたときの、周りの大人たちの会話を。
『まあ、本当にいいお名前……! アレッシア、あなたのお名前はアレッシア! お名前は、あなたがこの世界に来てくれたお祝い、初めてもらうプレゼントなのよ』
「私は、なんだ」
元・海の怪物は、さらに身を乗り出し顔を近付ける。フィンと元・海の怪物、鼻と鼻が、くっつきそうだ。
怪物の名前を当てなきゃ、食べられちゃう物語があったっけ。
昔、幼い妹に読んであげていた童話を、思い出していた。
岩の下の波音が、静かに時を刻み続ける。
まだ暗い、海。
「海……、そうだ……! お前は、海。お前の名は、海という意味の『マーレ』だ!」
フィンは、今思いついた名を言ってみた。
単純、過ぎたかな。
首をかしげる。せっかくなら、よいものを贈ってあげようと考えていた。でも即席の思いつき、ちょっと気に入るかどうか、わからないな、と思った。
「私の名は、マーレか」
マーレは、目を大きく見開いた。そしてその口元は――。
「よいか、聞くがいい! フィンよ! 私の名は、マーレだ……!」
大きく笑っていた。そして立ち上がり、腰に手を当て胸を張っている。なにも身に着けていないのに。
俺が、名付けたんだけど。
呆然と見上げるフィン。空が、明るくなってきた。太陽の時間が来ようとしていた。
「私の名は、マーレ! 偉大なる、しもべ……!」
岩に打ち寄せる波音。
めちゃくちゃ、気に入ったみたいだ。
フィンは、固まった笑顔のまま、マーレを見上げ続けた。
昇りつつある金色の朝日を背にし、は、は、は、とマーレの笑い声が響く。
フィンとマーレは、岸辺にたどり着いた。
と、いうのも、
「私の背に乗れ。落ちるなよ」
とマーレがフィンを背負い、岸まで泳ぎきっていた。
「元の姿に戻るのかと思った」
フィンは礼を述べた後、思わず呟く。マーレの泳ぐ速度はイルカのように速かったが、ずっと人の姿のままだった。
「元の姿には戻れん。貴様が契約を取り消すまで」
え。契約、取り消せるんだ。
マーレの言葉に、少々驚いた。主人の名を知ってもあいかわらずの「貴様」呼ばわりにもちょっぴり驚いたが、主であるフィンの意思で、契約は解消できるという事実に。
「取り消すか? 今なら振り返れば海。そうすれば私も楽だ」
ヘンテコな怪物。偉そうな言動がちょっとムカつく――。
ムカつく――、つまり、怪物という異質な存在に対する恐怖はもうなかった。
フィンは振り返って海を見る。自分が、だいぶ陸地から離れた海の中にいたことに改めて気付く。
あっという間に、海の中にぽつんと浮かんだような岩場から、岸まで辿り着いていた。しかも、フィンが難なく背に乗っていられるよう、マーレなりに工夫しながら泳いでいたようだった。さすが海の怪物、といったところだった。
しもべ……。契約――。
フィンは、ぎゅっと自分の拳を握りしめた。
「マーレ! お前は、俺のしもべだ! 俺の旅の目的を果たすため、協力してもらう!」
「貴様の旅の、目的……?」
フィンの瞳には、涙がにじんでいた。
そう。俺の旅の、目的――。
フィンはまだ少年の身で、たった一人の旅をしていた。
「妹を! さらわれた俺の妹を、助けたいんだ……! マーレ、俺の力になってくれ……!」
頼む……! お前の力を、貸してくれ……!
マーレは少し、首をかしげた。潤んだフィンの瞳を、じっと見つめる。
「……貴様は、アホだな」
「アホって、なんだ!」
それが返事か……!
やっぱり、ムカつく、と思った。
「なぜ泣く。この姿になったから、ニンゲンの感情は私にもわかる。なぜ、貴様は私に泣きつく」
「う、うるさいっ!」
フィンは、ごしごし、と袖で涙を拭った。海水でびしょびしょの袖、ひどく目にしみる。
こんなやつ、頼むんじゃなかった……!
悔しさに、唇を噛みしめる。
マーレは、顎を上げフィンを思いっきり見下しながら、片頬で笑った。
朝日が、すべてを照らす。
「なんなりと命じろ、といっただろう。契約続行なら、貴様はただ大人しく命じていろ」
は……?
「私は貴様の偉大なるしもべ。貴様は、ただ指示すればいい。貴様が頭を下げる労力は無用だ」
腰に手を当て、マーレは堂々と胸を張る。なにも、身に着けていないのに。
偉そう。と、全裸のギャップ。
ざざーん。ざざーん。
潮騒。またしても、フィンは呆然としていた。
遠くで、声がした。
「おーい! あんたらも、遭難船の乗客かー! 大丈夫かーっ!」
近くの漁村から来たと思われる大人たちが、声を掛けてくれていた。
フィンの乗った帆船の人々は、奇跡的に皆助けられたとのことだった。
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