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【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第24話

第24話 決意

 命は循環する。
 捕食するもの、捕食されるもの。ひとつの命は、他の命へと繋がっていく。
 静月せいげつは――、魔族の牙の前、少しずつ失われていく津路亜希螺つじあきらの肉体をぼんやりと眺めていた。
 
 彼は――、彼だけは、この世界に残しておいてあげたかった。約束――、したから――。

 津路亜希螺は、表情の乏しい男だった。しかし突然爆発したように怒りを見せたり、脈絡もなく笑いだすときもあった。
 静月の目にはなぜか彼がいつも――激しい憎悪の表情を見せるときも、狂ったように笑いだすときも――、泣いているように見えた。
 今、初めて本当の彼の泣き顔を見た。
 彼の本当の声を、聞いたような気がした。
 しかしもう二度と、見ることも聞くこともかなわない。永遠に。
 静月は、静かに首を左右に振る。自分の中に湧き上がる様々な思いを、断ち切るように。

 彼は、母上様を、支える一滴になるんだ。

 そう思い直し、静月は、背を向ける。

 母上様――。

 静月は遠い日を、思い出す。


「父上様……、どうしよう、私――」

 父に、嫌われると思った。化け物、と叫ばれると思った。
 父は由緒正しい家柄の次男で、とても強い力を持つ魔法使いだった。
 王子たちに魔法学を教え、同時に王や王妃、王子たちの守護にあたる役職に就いた父と一緒に城へ来て、しばらく経った少年時代のある朝のことだった。
 静月の背に、小さな羽が生えていた。
 服を着ていれば、隠せると思った。しかし、静月が慌てて寝間着から着替える際、ちょうど部屋に入ってきた父が、静月の背を見てしまったのである。

「大丈夫。大丈夫だよ、静月」

 父は、意外なことに動じることなく、微笑みさえたたえていた。

「私は、病気なのだろうか――。それとも、これは呪い――?」

 小さな肩を震わす静月に、父は落ち着いて呪文を唱えた。

「これで、消えた。大丈夫。やがてお前も、自分で自分の力を上手に抑えることができるようになる」

「えっ。もしかして、父上様にも、同じ羽が……?」

 父は微笑みながら、首を左右に振った。

「いいや。私は残念ながら違う。そうだ。静月。よい機会だ。お前に、とてもよきことを教えよう」

 王子たちへの魔法についての授業が終わった夕刻、父は静月を連れ城を出た。
 いつもなにかと多忙な父と外出、それも遠出をするのは、めったにないことだった。 

 父上様。どこに連れて行ってくださるのだろう。

 自分の身に起きた異変も、変わらぬ姿勢、いや、むしろいつもよりずっと優しい父の姿に、本当に大丈夫なんだ、怖いことはないんだと、自然に受け入れ始めていた。

「あっ……」

 静月は息をのむ。
 光り輝く石や植物。そしてそれらの中央に、巨大な繭があった。

「これは……、飛蟲姫ひちゅうきの繭……」

 飛蟲姫の繭の傍に、兵士が常駐していた。少し離れたところには、輝く石や植物などの加工工場の作業員もいる。
 父は、彼らをすべてその場から遠ざけ、父子二人きりにした。そのときの静月にはわからなかったが、おそらく魔法の、力で。
 父の低い声が、ゆっくりと響く。なにか――、静月は頭がぼんやりとしてきた。

 セイゲツ。ヨクキクンダヨ。イマカラハナスコトハ、トテモヨロコバシイコトナノダ。

 父の声が不思議な響きを持つ。

 ブーン、ブーン。

 蜂の羽音のような音が、頭に響いてきた。
 静月は、ゆっくりとうなずく。

 はい。父上様。

 イイカ。オマエハ、ヨロコンデ「シンジツ」ヲ、ウケイレルコトガデキル――。

 景色が、ぐるぐると回り始めた。

 ハイ。チチウエサマ――。

 ブーン、ブーン。

 羽音。
 父の声が、響く。蜂の羽音に、覆いかぶさるように。

「静月……。ずっと隠していたけれど――」

 ナアニ。チチウエサマ。

 不安も恐怖もなにもなかった。朝、羽が生えたことは、自分だけに与えられた祝福のような気がしていた。

「これが、お前の母さんだ」

「えっ……」

 母上様……? まさか、母上様は、私が赤ん坊のころ死んだって……。

「お前は、尊き子なのだ。王子たちなどよりも、ずっと尊い。人間と飛蟲姫の間に生まれた、唯一無二、素晴らしい力を持つ奇跡の子――」

 私は、飛蟲姫の息子……!

 ブーン、ブーン。

 放心したように、地面に膝をつく。そのときの静月の心や記憶から、九郎や時雨しぐれやバーレッドの存在――人としての繋がり――は、はるか手の届かない遠くにあった。

 私は、ひとではなかったのか――。
 
 そのときだった。美しい響きの女性の声が、聞こえてきた。

『静月、静月。私のかわいい、息子――』

 不思議な声。甘く、優しく、すべてを溶かしてしまいそうな――。

 母上様が、私を呼んでくださっている……!

 静月は駆け寄る。母の繭へ。歓喜の涙を流しながら。

「ああ! 母上様……!」

『静月。ごめんなさいね。あなたを抱きしめてあげられなくて――』

 静月は、繭にしがみつく。

「いいえ! いいえ! 母上様……! 私はただ――、お会いできたこと、大変嬉しゅうございます……!」

『私は、いつもあなたを見守っていますよ――』

 頭が痺れるようだった。ただ、たとえようもない幸福感に心が満たされていた。
 父の強力な魔法のせいだったのだろうか。それとも流れる血のせいなのか。
 静月の心に、疑問や苦しみは湧かなかった。
 父が、静月の頭にそっと手を置いた。

「いつか。いつか、必ず母さんをここから出してあげようね。お前の力なら、きっと可能なはずだ」

 静月は、こくん、とうなずいた。
 空にぼんやりと、いつの間にか月が浮かんでいた。
 それから、静月は折を見て母の元を訪ねるようになった。兵士や作業員、他の人間に見つからないよう気配を消す魔法も父から教わり、使えるようになっていた。
 驚くことは、なにもなかった。
 九郎たちと笑い合う自分も自分だったし、密かに母のもとを訪ねる自分も、自分だった。
 父のことは、あまりよくわからない。もともと父は口数が多くなく、自分自身についても母についても、語ることはなかった。
 繭の状態、その上封印されている母。おそらく、父の魔法の力によって、自分が誕生することになったと思うのだが、なぜ父と母は惹かれ合ったのか、そしてなぜ、どのようにして自分がこの世に生まれることになったのか。少年の心ながら疑問がないわけではなかったが、なんとなく聞くのは憚られた。
 ある日、城から父が消えた。

「母上様……! 父上様が――!」

 少しの沈黙の後、母の声が聞こえてきた。

『おそらく――。城の中の人間に殺されたのではないでしょうか』

 え――。

『人間の心の中には、常に様々な思惑が渦巻いていると聞きます。とても強い魔法の力を持つひとでした。才能、地位、権力――。敵対する誰かが、もしくは――』

 静月は、母の声を呆然と聞いていた。

『大いなるお力を、邪魔に感じた王の差し金によって、命を奪われたのではないでしょうか』

 え……。

『ああ、かわいそうな静月! きっとそうです、あのひとが、まだ少年のあなたを置いてどこかに行くわけがないもの……!』

 母は泣いていた。静月も涙を流した。

『静月。あなたは醜い人間なんかではない……! あなたは、紛れもない私の子……!』

 母上様……!

 父の消息はわからない。静月は、王を含めた城の中の誰かに殺された、その言葉を心に深く刻んだ。


 蝶の姿に、変化する。

 私が、たくさんの命を集める。

 今まで静月が、母に命を届けたことは一度もない。初めての試みだった。しかし、自負があった。

 私なら、一気に大量の命を母上様に運ぶことができる。

 足元の草むらには、津路亜希螺の眼鏡が転がっていた。
 かすかに、美しい眉根を寄せる。刺すような、胸の奥の痛み。気が付けば自分の胸に手を当てていた。

 これで、よかったのかもしれない。気遣わずに済むんだ。上空から、一気に辺り一面の命を吸い上げる――。

 一瞬、九郎、時雨、バーレッドの顔が浮かぶ。
 しかし、振り払うように空を見上げる。

 私は、飛蟲姫の息子――!

 静月は、飛び立つ。


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