【創作長編小説】天風の剣 第139話
第九章 海の王
― 第139話 あの日の、約束 ―
流星の中を行くように、雪が後ろへと流れていく。
キアランと花紺青は、猛スピードで雪の降りしきる空を飛んでいた。
「花紺青っ。もっと、速度を上げられないかっ?」
「キアラン、振り落とされない? 大丈夫?」
「ああ! 私は平気だ! もっと、速く……!」
速く、と思った。雪が全身を打ち付ける。痛いほどの冷たさに痺れる皮膚を、熱い血潮が鼓舞していた。
「キアラン、絶対に落ちないでねっ」
キアランと花紺青を乗せた板が、一層速度を上げた。
空が、明滅していた。それと同時に、轟音。
アマリアさん! 今、今助けるから――!
荒れ狂う雪つぶてのトンネルを進むと、それぞれが放つ、衝撃波の光の軌道が見えてきた。
入り乱れる、人影。激しい空中戦が繰り広げられていた。
そして、それぞれの戦いの波動。キアランの鋭敏な感覚は、魔の者の戦闘時に出す波動、それからそれぞれの放つ衝撃波の違いを認識していた。
一番強烈に感じる、パールの波動と衝撃波。パールは、巨大化した姿ではなく、人の姿で戦っている。
次に大きく感じるのは、シトリン。それから、幾度となく手合わせ――奇襲――をしてわかってきた、翠と蒼井の波動。
彼ら、だけ――?
どくん。
キアランの耳に、自分の鼓動が届く。キアランの心をよぎる不安。
オニキスと、アマリアさんは……? シルガーは……? そして、私たちより先に行った、白銀と黒羽、彼らの気配も――。
空には、激戦を繰り広げるパール、シトリン、翠、蒼井の姿しかなかった。
「小さなレディ。君の戦いかたって、本当に損だね」
シトリンの衝撃波をかわしながら、パールが、楽しそうに笑う。
「なにが損なのよっ!」
シトリンはカッとなり、思わず叫んでいた。
なんなの……! こいつ……! 急所、足首って聞いてたけど、当たっても全然効かない……!
パールの急所は、足首だと聞いていた。衝撃波が何度か的中したが、まったくダメージを受けていないようだった。
防御する技? ううん、理由なんてなんでもいいっ! とことん、攻撃してあげるっ!
次から次へと降ってくる雪のように、戦いのさなか、シトリンの心に断片的な記憶が流れていく。
四天王アンバー。消えてしまったアマリアの気配。そして――。落ちていくシルガーの姿。
シルガーの命の灯は、まだ消えていない。遠くに、かすかだが、気配が感じられる。しかし、四天王アンバーは、永遠に――。
アンバーの、おじちゃん……。
つう、と、シトリンの柔らかな頬に、一筋の涙。
『戦いだらけの生きかたの我らですが、また、こんな時間を持てたらいいですね』
また会える、もっと話せる、そう思っていた。
あのとき、アンバーは、パールのほうへ向かった。
でも、また会える、信じていた。だから、自分は四聖のほうへ向かった。オニキスと正面から戦い続けた。
『……ばいばい』
あの洞窟の中で、軽く右手を挙げ、アンバーは笑っていた。
ばいばい。
それは、また会えることを前提にした挨拶ではなかったのか。
心を交わす会話が、あれきりだとわかっていたのなら、なんて言葉を交わしたのだろう。
これからだった。
四聖を狙った敵同士だったが、殺し合おうと戦った者同士だったが、これから、なにかが変わるはずだった。
『……あなたがたとまた、お会いできると信じております』
信じて四聖のほうへ、飛んだ。後ろも、振り返らずに。
ばいばいは、また会おう、の約束だと思って。
『また、お会いしましょう……!』
きらきらと、水面は輝いていた――。
きっ、と、シトリンは顔を上げた。
ぜったい、ゆるさないんだから……!
シトリンは空中で素早く身をひるがえし、間髪を入れずにパールへ向け、衝撃波を放った。
「四天王パール! 絶対、許さない……!」
空が、燃えた。
爆音と煙。
シトリンの瞳に映ったのは、不敵な笑み。
血塗られた唇が、笑っていた。
パールは、ゆったりとした口調で言葉を紡ぐ。
それは、シトリンが思いもしない言葉だった。
「……僕に攻撃をし続ける方角、タイミング、勢い、すべてにおいて、君は、君の従者たちの動きを考えながら行っているね?」
パールはなんなく衝撃波をかわしていた。優雅とも思える動作で。
パールは、シトリンの両脇を固める翠と蒼井、それぞれを交互に見つめた。
「彼らは、君のお荷物なんじゃないかなあ」
ドンッ……!
シトリンが、すかさず放った次の衝撃波が、まともにパールの正面に当たっていた。
「失礼なこと、言わないでっ! ふたりとも、世界一の従者なんだからっ!」
シトリンのはちみつ色の長い髪が、ざわざわと動く。きつく握りしめた小さな拳も、激しい怒りで震えている。
パールは、小首を傾げ、腕組みをした。
「うーん。君の衝撃波、正直痛いんだよね。だから避けてたんだけど。どうしてかなあ、あの四天王より、痛いんだよなあ」
ああ、とパールはなにか気が付いたようにうなずく。
「シルガーの衝撃波。あれも実を言うと痛かった。威力は、君より少し落ちるけど」
パールは、少し不思議そうな様子で、口元に人差し指をあてた。
「でも、彼の、炎みたいな剣の、痛みはわずかだった。どうしてかな――」
宙を走る、緑と青の光。
翠と蒼井、それぞれの渾身の衝撃波も、パールの足首に命中していた。
ふう、とパールはため息をつき、足元のほこりを払うような仕草をした。
「威力は全然落ちるんだけど、従者君たちのも、ちょっぴり響く。なぜかなあ」
ひらり。
金糸が風に舞うように、パールの髪がひるがえる。
シトリンは、息をのむ。それほどの、素早さだった。
シトリンの顔のすぐ前に、逆さまのパールの顔があった。
パールは、頭を下にして宙に浮かんでいた。
「もしかして、君たちって――」
パールは、シトリンの瞳の奥を覗き込むようにして見つめる。
「ちょっぴり雰囲気、人間に近くない……?」
「え」
覗き込むパールの青の瞳は、深海の色をしていた。
「もしくは、高次の存在――」
え……?
翠と蒼井の衝撃波が、パールに降り注ぐ。パールは顔色一つ変えない。
「不思議だね。今までは気付かなかったのに。今の僕には、そう感じられる」
なにを、言ってるの……?
「シトリンッ! 翠っ! 蒼井っ……!」
シトリンの耳に届く、キアランの叫び声。
シトリンは、ハッとし、声のするほうへ叫び返した。
「キアラン――! 来ちゃだめっ! こいつ、急所への攻撃も効かなくなってる――!」
シトリンの目の前の赤い唇が、にい、と吊り上がる。
「小さなレディ。それなら、君の味は、あの四天王とは違うのかも――」
翠と蒼井の攻撃は、パールの急所に当たり続ける。パールは微動だにしない。
パールの右腕が、真横に開かれる。
そして、それは目の前のシトリンの首をかき抱くように――。
「やめろーっ!」
雪のつぶてが、花びらのようだった。
シトリンの大きく見開かれた瞳は、どこまでも深い海の青を見つめていた。
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