【創作長編小説】青の怪物、契約の輪 第三話
第三話 ニンゲンの基礎知識
アレッシアは、不思議な子だった。
フィンは、そよ風に長い巻き毛を揺らす、アレッシアを見つめていた。
風と共に、アレッシアは笑った。
「水色の風さんが、キスしてくれたよ! あのお花さんたち、楽しそう。風さんとダンスしてる」
陽光に、アレッシアの柔らかな金の巻き毛が透ける。微笑む青の瞳。アレッシアの背には、天使の羽根が見えるような気がした。
「俺には、ちっともわからないなあ。アレッシア、お前は自然や生きものと話ができてすごいなあ」
フィンは、木の枝を剣のようにぶんぶん振り回しながら、花と語らうアレッシアに微笑みかける。
フィンの髪は、同じ巻き毛だが栗色だった。瞳は、緑。フィンの目には、自分と少し異なる色合いの妹の髪と瞳は、とても神秘的に見えた。
「にーしゃんは、しょうらい剣士になるんだね」
黄色の野の花のそばにしゃがみこみながら、にこにこと、フィンを見上げるアレッシア。
「ああ! そうだよ! 俺は世界で一番強い剣士になるんだあ!」
えいやっ、と勇ましく木の枝を振る。フィンの胸元のペンダントが揺れる。
「にーしゃんのそのお守り。にーしゃんも、ふしぎな『だれか』とお話できるようになるよ」
「え?」
アレッシアは小さな指で、フィンのペンダントを指さした。
「にーしゃんも、ふしぎだねえ」
「ふうん?」
首をかしげるアレッシア。思わず、フィンも同じ角度で首をかしげた。
なんのことかわからなかった。妹に不思議な力が宿っているのは確かだった。
フィンの家系では、時折不思議な力を持つ者が生まれるのだという。
祖父も、そうだった。
持って生まれた能力は人それぞれ違うらしかった。
「うちでは大昔、すごい魔法使いがいたらしいよ。このペンダントは、そのご先祖様が創ったらしい」
「しゅごいねえ、しゅごいねえ。まほうつかいのごせんぞさま、かっこいい」
アレッシアは、ぱちぱちと手を叩いた。
母さんの焼いたパンみたいな手。
くすっと笑い、フィンはアレッシアの手を取り家へと向かう。
「こんばんのごはん、シチューだよ! カラスさんがいま、おしえてくれたっ」
「教えてもらわなくても、わかるよ。だって、いい匂いがするもん」
窓の明かりが、シチューの匂いが、小さなふたりに「おかえり」と微笑みかけていた。
今、フィンの目の前には湯気の立つシチュー。
「大変だったねえ。遠慮せず、ゆっくりしていきな」
漁村のおかみさんの優しい笑顔が、フィンを包み込む。
「本当にありがと――」
おかみさんが、自分の息子の子どもの頃の服だといって譲ってくれた服に着替えたフィンは、深く頭を下げ、心からのお礼の言葉を伝えようとした。
「本当にありがとうございます。見ず知らずの私たちにお風呂や衣服、しかもお食事まで。大変あたたかなお心づくし、深く感謝申し上げます」
えっ。
同じく譲ってもらった衣服に袖を通したマーレが、頭を下げつつ丁寧なお礼を述べていた。
マーレ……! お前、偉そうじゃない言動も、できるのか……!
驚嘆し口をぱくぱくするフィンに、マーレがかがみこんで耳打ちする。
「どうだ。しもべとして、完璧な外面。ニンゲン社会の基礎知識のフル装備、駆使してみたぞ」
ふふん、と得意気な笑いまで付け足す。
外面だけじゃなく、ふだんもフツーに使えよ……!
というか、どう考えても主人へ対する態度のほうをフル装備駆使すべきなのでは、とフィンは思った。
「マーレさん、フィンさん。旅の途中なんだってねえ。体調が心配だし、家でよかったら、どうか気兼ねなく何日でも滞在していっていいんだからね」
おかみさんは心なしか頬を染め、見た目美青年のマーレをちらちら見ながら、優しい言葉をかけてくれた。もっとも、明るく世話好きな様子のおかみさん、フィンだけでも同じ提案を示しただろう。
漁師のだんなさんも同じく漁師の息子も、笑顔で勧めてくれた。話相手にもなる客人たちがいることで、おかみさんがますます明るくご機嫌なのが、かえって助かるらしかった。
「お言葉ありがとうございます。でも、旅を急ぎたいので、明日の朝には出発します」
フィンは、ありがたい申し出ではあるが、あまり迷惑をかけたくないという思いと旅を急ぎたいという本心から、そう告げた。
漁師一家は、残念だけどしかたない、でも無理はしないでと心配しつつ、少年ながらしっかりしたフィンの受け答えや態度に感心しているようだった。
「妹は、なぜ、さらわれたのだ?」
用意してもらった布団に横になると、マーレが尋ねてきた。
「不思議な力を、持っているから――」
マーレのほうを見ると、マーレは布団の上に座っていた。
「がっつり聞いておこうと思った。基礎知識内での打ち合わせというやつだな」
フィンも、体を起こす。
「がっつり聞く気なんだ」
「ある程度知っておかないと、動くべきときに動けんかもしれんからな」
マーレは、フィンを指さす。
「貴様の脳内で導き出せなかったことが、私の脳内でひらめくこともあるかもしれん。その逆もある。情報の共有は、お互いにとってプラスになる」
まともなこともいうんだ――。
フィンは「契約の輪付属基礎知識」の幅広さに驚く。
「契約の輪の呪いは、持ち主の貴様を助けることが最上と設定されている。呪いのかけられた私には、逆らえない絶対的な力だ。すなわち、貴様の危機は私の命にもかかわること。私自身が生きながらえるためにも、貴様の行動や思考は、知っておかねばならない」
あくまで、呪いの力。契約か――。
それはそうとわかってはいるが――、と考えたとき、自分の心の動きにフィンは少し戸惑う。
俺はなにをマーレに期待してたんだ。マーレが、仲間とか友だちとか家族とか、そんなわけないのに。
なんといっても、マーレは自分を喰おうとしていた、というより、実際喰っていた。怪物である。
契約の輪の力がなければ、今この瞬間だって襲ってくるかもしれない。
フィンは、首を振る。これは、契約なのだ。だから、深く考える必要はないのだ、と。
俺は、ただマーレの力を利用すればいい……!
『にーしゃんも、ふしぎな『だれか』とお話できるようになるよ』
アレッシアの無垢な笑顔が浮かぶ。フィンは、ぎゅっと自分の手のひらを握りしめた。
アレッシアが聞いたら……、きっと悲しい顔をするだろうな。
自然や動物、鳥や虫たち、不思議なたくさんの友だちに囲まれていたアレッシア。
今の自分は、アレッシアが大好きな「にーしゃん」の姿ではないのかもしれない――。
「妹の不思議な力とやら、いったい誰に狙われたのだ?」
マーレの問いに、我に返る。
とりあえず今は、余計なことを考えてる場合じゃない。アレッシアを助けることを第一に考えるんだ……!
フィンは、マーレを改めてまっすぐ見つめた。
「魔女だ。半人半妖の氷の魔女。やつが、襲ってきたんだ――」
マーレは、きょとんとした。
「犯人汎用の魔女? 犯人がよく使う便利なやつか?」
基礎知識、語彙が無駄なところで半端ない。
「そんなのあるかっ。半分人間、半分怪物の女だっ」
「どうして、わかるんだ? そいつが自分で名乗ったのか? それともそれは有名なやつなのか?」
「妹が、夢で予知してたんだ――。自分が狙われてるって――」
「ほう」
「村の不思議な力を持つ水晶玉のおばあさんも予言してた……! だから、俺たち家族は、家を出て避難したんだ……! 護りの力が強い『加護の森』へ……」
村の近くの、神聖な森。フィンの家族や村人たちも、折に触れ森に通い、日々の感謝や祈りを捧げてきた、特別な場所だった。
「でも、だめだった……。妹はさらわれ、父さんも母さんも、やつとその手下に殺された……。俺だけが、一人助かった……。じいちゃんがいてくれたら、もしかしたらと思うけど――」
じいちゃんが生きていても、だめだったかもしれない。あんな強いやつら――。
でも、とフィンは思う。
俺は、旅の中強くなってる……! あのときよりも、強く……!
絶対に助ける、と思った。そして、必ず両親の仇を討つ、と。
フィンの瞳から、とめどなく涙があふれる。唇をかみしめ必死でこらえたが、頬を熱い涙がこぼれ落ちる。
「貴様――」
こんな場面でも、貴様って、やっぱり呼ぶのか。
フィンは一瞬我に返る。
それでも、やはり涙は止まらない。
ぎゅう。
あれ。
思いがけない、ぬくもり。
マーレは、フィンを抱きしめていた。
「……基礎知識?」
フィンは思わず尋ねる。悲しみにくれる人を、抱きしめる知識があるのだろうか。
「そうだ、基礎知識だ」
「ふうん……」
少し、笑ってしまった。
マーレは、フィンの栗色の髪を、そっと撫でた。ちょっと不器用な手つきで。
「……基礎知識?」
やはり、基礎知識なのか。基礎知識、本当に親切設計だなあ――。
「たぶん、だが。貴様のじいさまの、記憶のかけらも入ってる」
じいちゃん……!
フィンは、泣いた。マーレのぬくもりに、じいちゃんを重ねる。
「覚えた。私も。これが、カナシミ。ニンゲンの思考が、私にも入ったから」
体が、疲れ切っていた。あまりにも色々ありすぎて、忘れていたけれど。
フィンはマーレの腕の中、いつの間にか泥のような眠りについていた。
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