サイコパス理論(2023年の自由250)

「法は人の都合よ」
んん-サイコパスの理屈にも困った物だ
「一見正しそうに見えますよね」
そそ、サイコパスって理論係数が上がって、倫理リミッターを破るっていう側面があるからね。こういう理屈を生み出す。法は都合っちゃ都合だけど。個人の都合じゃないよ
「ですです」
法は個人の都合ではなく、公理の部類に入る。おおやけの理屈。だね
「部類に入るというのは?」
公の理屈こそ公理だ。判例を読んでみれば分かるんだが、法治っていうのは都合って言える程単純な物ではない。都合は都合でも公の都合な訳だ。だが、それを弁えず都合と考え、短絡的に法を道具と見做す。これが常態化すると悪法と呼ばれる物が通るようになっていく訳だ。こうなると残念だけど公理と呼べなくなる。成長段階である法は公理の端くれであり、未熟な段階では完全な公理とは呼び難く、だから、公理の端くれ。公理の部類に入るという言葉になってしまう。完成度が高ければ高い程、公理と呼んで差支えないものとなっていくって事だね

単なる都合と考えるなら、悪法も法なりと死んだソクラテスの行動原理とか分からないだろうに。例え悪法であっても個人の都合より優先する公理であると考えたからこそ、ソクラテスは毒を飲んだんだよ。まあ、僕はこの考え方には賛同できず、そういう人だからこそ生きて悪法の改善に努めなきゃならないと思うから、ソクラテスとは違うけれども、ソクラテスの考え方は理解できるね

「法を都合ではなく公理と考えた訳ですね」
そそ、単なる都合なら何百人も集まって議論しなくていいだろう。客観性を持って、公理として機能させたいからこそ、議会なんてものがあるんだよ。下界では、支配の道具とか人の都合とか考える人が少なからずいるね。まあ、一面間違ってない部分もあるから、騙される人も多い。これが所謂サイコパスの理屈ってヤツ。ソシオパス化する人はこういう理屈に埋められて、ソシオパス化する。サイコパス理論のいい例だね。一見すると正しく見える倫理リミッターを破った理屈。これが所謂サイコパス理論だ。ちゃんと理論武装しないと引っ掛かるからね。気を付けて下さい
「ですね。倫理リミッターを破るって事は思春期やギャングエイジに経験する事ですけど。大人になる段階で倫理のリミッターの再構築は行ってくださいね」
そそ、そういう事

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