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一個ずつしか、処理できんのよ。


「ひとつずつ、片づけていく」のが苦手だ。

家の掃除も、そう。
寝室を片づけていたら、途中で散らかってるおもちゃが気になってくる。
拾いながら「そうだ、今のうちにお風呂にカビ取りスプレー撒いて、置いとくか」と思い立ち、浴室に向かう途中、目に入った洗濯機から洗濯物を出し始める、みたいな。
そんなヤツだ、わたしは。

一個ずつ、だよ。
一個ずつしか、処理はできんのだよ。

昔、自分はマルチタスクの上手い人間だと本気で思っていたけど、そんなわけない。
むしろ、シングルタスクですら危うい。

飽きっぽいのに、完璧主義。
だから、「ながら」をするくせに、全てをやり終えることができない。
結果、全部に手を出して、全部が終わらないまま、イヤになるようなことがたびたびある。
そのたびに、「わたしはダメだなあ」と思うので、そういうやり方はやめた方が身のためだ。

なんでもコツコツ、一個ずつ。

どうしてそれは、難しいんだろう。


◇◇◇


「note」も、そういうところがある。

記事に書きたくなるようなテーマやネタは、いくらでも思いつく。
どんどん携帯にメモして、あとで時間ができたら書こう、と一旦携帯を閉じる。

それを、一日に何度も繰り返す。
何度も、何度も。
調子のいいときは、5個でも10個でもメモする。

そして夜。
ふたたび携帯をひらくと、タイトルだけ書かれたメモが、ずらりと並んでいる。

手に負えない、とおもう。
いったいどれから書いたらいいんだよ。
選択肢、多すぎだよ。

迷って迷って、結局どれも書けなくなる。



アイディアを思いつくのは、良い。
なにも思いつかないよりも、ずっと良い。

でも、その一つひとつをどう扱うか。
それがいつも、うまくいかない。
「ひとつずつ、ていねいに扱う」と決めたんだけどな。

人間は手が2本で、時間には限りがあるのだから、地道に一個ずつ書いていくしかない。
分かってる。
それなのにわたしは、ついラクをしようと「どれが一番ウケるかな」「書きやすいかな」などという、損得の目線で選ぼうとしてしまう。

書いてみないと、どれが一番良いかなんて、分かるわけないのに。

書き始めて、うまく書き進められなかったり、思いもよらぬ展開に筆が進んだりするから、おもしろいのだ。
そのおもしろさを味わうためには、とりあえず全部書いてみるしかない。
どれとは言わず、どれも全部。
順番に、ひとつずつ。
迷ってくらいなら、そっちの方が早いのだ。

地道な、早道。
いっけん、すごく遠回りに感じる。
途方もなく、無駄な時間を過ごしているようにおもえる。
でも、これを近道したってしょうがない。
というか、近道しようもない。

じゃあ、やみくもに書き出せばいいのか、と言われるとちょっと違うかも。
書くのなら、やっぱりゴールしたい。
無計画に始めると、ゴールに辿り着けない。

わたしが見極めなければいけないのは、「どれがウケるか」「どれがラクそうか」ではなくて、「どれがゴールできそうか」だ。
並べられた数々のアイディアのなかから、結末が掴めそうなものを手にとり、書いてみる。
もちろん、書き出す前に、ある程度の構成まで考えられたらもっと良い。

今書いているコレも、10個近くあったメモのなかで、一番ゴールできそうだったから書き出した。
ほんとうは、もっと書きたいメモもあるけど、今日はコレ。
とりあえず、コレ。


さらにいえば、メモの段階で、もうすこし「ていねい」に書き残しておけば、あとあと書くときも、その「ていねい」な気持ちが継続するのではないだろうか。

昔、古賀史健さんが「noteを継続するコツ」に、「雑な場にしないこと」を挙げていた。

「なんでもいいからとりあえず書く」んじゃなくて、多少考えて書く。
粗末に扱うと、継続しない。
「ていねいさ」を心がければ、そこに自分が宿る。
そこが、価値のある場におもえて、捨てられなくなる。



たしかに、そうだと思う。

書くことを決めるとき、その気持ちを忘れずにいたい。
「とりあえず、これでいっか」じゃなくて、「これでゴールするんだ」という気持ちで書き出したい。
そのためには、メモする段階から、それを心がけておかなければ。

とりあえず、今できることは、死にかけているアイディアの残骸たちを、なんとかすることだ。
お別れするのか、ゴールまで書き切るのか。

次に進むのは、それを決めてからだ。



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