元気を出すため、蓄えた本を抱えて眠る。
びっくりするほど、家がまわっていない。
「まわっていない」とは、どういう状況か。
おもに、ご飯作り、洗濯、掃除あたりのルーティンが崩れていることだ。
あと、睡眠がうまくとれていないこと。
家族全員がそんな感じなので、誰もがこころの余裕を失い、皆そわそわと助けを求めている。
ほんとにわたしたちは、「助けて」と言うのが苦手な家族だ。
わたしはというと、相変わらず、書けない。
疲れて余裕のないときって、なんでこんなにつまらないものしか、生み出せないのか。
べつに、日頃から最高におもしろいものを書いているワケじゃない。
でも、しんどいとき書いたものは、じめじめしていて、くすんでいる。
書きたいことが、山ほどあるのに。
書いても書いても、満足いくものに仕上げられないまま、ふて寝する。
目をつむりながら、噛みしめる。
健全な考えをめぐらせるためには、体と心に、ある程度のパワーがなくてはダメなんだ、と。
考えを言葉に置き換える。
置き換えたものを、読み味わう。
いま、そのパワーが欠けている。
どこかで、パワーを補給せねば。
ガソリンスタンドみたいに、頭の上から、元気がそそげたらいいのにな。
そしたら絶対、買いに行く。
元気は、何円で売ってるんだろう。
定期便で、届くんでもいい。
でも、人間のからだとこころが、そんなしくみになっていない。
ということは、このしんどさも「人間らしさ」のひとつと思って、じっと耐えるしかないんだろう。
しんどいときは、しんどいのまま、生きていけ。
そんな声が、聞こえてくる。
しんどいは、ずっと続かない。
いつかはゆっくり持ち上がるはずだ。
*
元気がないまま、過ごしているのがイヤだったので、本をたくさん注文した。
ビビッとくるものがいくつか見つかり、衝動買いのごとく次々と取り寄せる。
まるで、元気を出すための蓄えのようだ。
読みかけの本を、いくつか紹介。
・岡本真帆『水上バス浅草行き』
塩谷舞さんのnoteを読んで、興味がわいた。
「短歌」って、なんだか難しそうだし、渋くて深くて、よく分かんなそう。
そう思って、避けてきたけど。
塩谷舞さんの記事の冒頭にあった、岡本真帆さんの短歌に惹かれて、すぐ取り寄せた。
岡本真帆さん、同い年。
わたしには、「短歌」の深みはまだ分からない。
でも、こんなに短い言葉だけで、情景が思い浮かび、ふふっと笑いをもたらしてくれる「短歌」って、おもしろい。
・穂村弘『短歌のガチャポン』
上記の本をきっかけに、いろんな「短歌」を浴びたいと思って、図書館で借りたのが、この一冊。
歌人・穂村弘さんの選んだ、さまざまな時代、作者の短歌がずらり。
こちらも、お気に入りがいくつかある。
深い意味は知らない、でも言葉の並びがたまらない。
・穂村弘『これから泳ぎにいきませんか』
穂村弘さん自体に興味がわいたので、穂村さんの書評集も買ってみた。
こちらはまだ読みかけだが、引き込まれる。
当たり前だが、本が読んでみたくなる。
紹介された本だけじゃなく、穂村弘さんの書く言葉や文に惹きつけられる。
ほかにも、くどうれいんさんの『コーヒーにミルクを淹れるような愛』や、島田潤一郎さんの『長い読書』。
山内マリコさんの『あたしたちよくやってる』。
それから、子どもの詩がたくさん載った『ことばのしっぽ』。
注文していた本が、次々と家に届いた。
それらをがさっと抱え込み、まくらの横に積み重ねる。
まだ、しばらくは憂鬱な日が続きそうだ。
元気は、そんなに簡単に戻ってこない。
じわじわと時間をかけて、からだと心に、満たしていくしかないのだ。
どうしてもしんどいときは、本を読もう。
まくらのすぐそばに積み重なった、優しい本たちと目が合った。
眠れないときは、この本たちを抱えて眠る。
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