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読むのが遅いと嘆くあなたへ。


本を読むのが遅い。

それだけで「頭が悪い」ようにおもえて、恥ずかしかった。


速さと効率の情報社会。
「速読」こそ、価値がある。
そうおもって試してみるも、うまくいかない。
本の中身が、入ってこない。

小説など、もってのほかだ。
小説は、「速読」に向いていない。
役立つ情報も得られない上に、時間までかかるなんて。
そうおもうと小説が読めなくなり、じゃあ何なら読めるんだ、といつも右往左往した。



ほんとうは、ゆっくり読みたい。

亀のようなスピードで、じっくりと、一文ずつ確かめるように。

子どものころ、物語の世界にのめり込んだ、あの感覚が忘れられない。
あの日のわたしは、「役に立つか」なんて考えなかった。
本の世界に純粋で、いつまでも冒険したいと願っていた。

◇◇◇

味わうように、ゆっくり読むか。
情報を多く得るために速く読むか。

どっちつかずな気持ちのまま、平野啓一郎さんの『本の読み方 スロー・リーディングの実践』にたどり着いた。


この本は、「遅読」を肯定してくれる。
それどころか、読み直し(リリーディング)や辞書癖など、とんでもなく時間のかかりそうな読み方の価値を教えてくれる。

めんどくさそう。
そうやってぶった斬ってしまえば、「スロー・リーディング」は終了だ。

でも、つぎの「旅行」のたとえで、わたしは「ゆっくり読みたい」とすなおにおもえた。

たとえば、海外で見知らぬ土地を訪れることをイメージしてみよう。
(中略)
空き時間のほんの一、二時間でザッと見て回るのと、一週間滞在して、地図を片手に、丹念に歩いて回るのとでは、同じ場所に行ったといっても、その理解の深さや印象の強さ、得られた知識の量には、大きな違いがあるだろう。
(中略)
ある本を速読して、つまらなかった、という感想を抱くのは、忙しない旅行者と同じかもしれない。

同書、p.26,27


どこに行って、何を買って、食べて、撮ったかよりも、目の前の景色をこころゆくまで眺めるような旅を。

なるほど、それが「スロー・リーディング」。
わたしも、そんな旅がしたい。

◇◇◇

本書には、「スロー・リーディング」のコツとして、あらゆる方法が載っている。
どれも、考えながら読むための方法だ。

じっくり、ひとつの文や言葉にひっかかって、「なぜだろう」と問いながら読む。
メモを取り、辞書を引き、分からないところは読み返してページをめくる。

そうやって読むことに、読書の価値はある。



では、「小説」はどうだろうか。
速さと効率が求められるなか、時間のかかる小説を読むことに、どんな意味があるのだろうか。
平野さんは、つぎのように述べている。

小説を読む理由は、単に教養のため、娯楽のためだけではない。人間が生きている間に経験できることは限られているし、極限的な状況を経験することは稀かもしれない。
小説は、そうした私たちの人生に不意に侵入してくる一種の異物である。それをただ排除するに任せるか、磨き上げて、本物同様の一つの経験とするかは、読者の態度次第である。

同書、p.155


小説は、人生の「異物」。

「異物」という強い言葉に衝撃もあったが、それ以上に納得できた。

小説は、自分ではとうてい体験し得ないようなことを、代わりに体験させてくれる。
殺人事件も、異世界転生も、そうだ。

その体験をどれだけ味わって、楽しんで、自分ごとに置き換えて考えたり、べつの世界につなげたりできるか。
あいまいでも不完全でもいいから、自分なりの解釈を持って、ほかの読み手と比べられるか。

そんなふうにして、小説は読むのだ。


もちろん、ただ読むだけで、じゅうぶん楽しい。
でもそれ以上に広げて深めると、「楽しい」以上のものに出会える。
それは、価値観の変容、忘れていた思い出、新たな言葉、ジャンル、世界観との遭遇、次読むべき著者との出会いなど。
挙げていけば、キリがない。




本書の後半には「実践編」が載っている。
夏目漱石の『こころ』、川端康成の『高瀬舟』、カフカの『橋』、三島由紀夫の『金閣寺』など。
古今の作品が抜粋され、「スロー・リーディング」で味わえるようになっている。

『こころ』も『高瀬舟』も、国語の教科書で読んだ程度だし、カフカなんて見たこともない。
それでも、真剣に文字を見つめ読んでいくと、ならぶ言葉や文章から、頭のなかにつぎつぎとその世界が映し出された。
まるで、アニメか映画のように。


『橋』の読み方や解釈を読むと、「もっとカフカを読んでみたい」とすなおにおもえた。
それくらい、影響された。
これもまた、「スロー・リーディング」だからこそ得た気持ちだ。

◇◇◇

そんなわけで、本書もじっくり読んだ。
心に沁みた文章は携帯に書きとり、ほかのこととつながらないか思案する。

この時間が、大切なのだ。
本は読み終わってから始まるのだ」と、平野さんも書いていた。



読書時間は、なかなか取れない。
寝る前と、隙間時間だけだ。

それでも、ゆっくり読んでいい。
本には、それだけの価値がある。



最後に、モンテスキューの話を紹介する。
モンテスキューの著書『法の精神』は、執筆に20年かかったそうだ。
それに対して、平野さんは言う。

書くほうが20年かけたからといって、20年かけて読まなければいけないということはない。
(中略)
しかし、私たちは、著者の20年に対して、やはり謙虚な気持ちを忘れるべきではない。

同書、p.57


自分だけのために。
役に立つかどうか。
そんな目線で本を見るから、「損しないように」と焦って、速く多く読もうとする。

著者がすべてを注ぎ込んで書いた一冊なのだ。

ゆっくり読んで、なにが悪い。


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