「短歌」って、いいね。
「短歌」をしたくなった。
くどうれいんさんを読みはじめたら、「短歌」がたびたび話題になるものだから、興味はあったのだけど。
__いや「短歌」って。
と、「短歌」はあまりにハードルが高すぎて、手も足も出ない世界だと、あきらめていた。
それでも、気になる。
ときどき、図書館で歌集を借りたり、Xで「短歌」のタグを漁ったりしながら、「へぇ、こんな感じ」、「ほお、良きですね」、「うわあ痺れます」と、ひとりでのたうちまわった。
しかし、そろそろ。
そろそろ、始めてみようか。
いやでも、急に投稿するのは自信がない。
何からはじめたらいいのやら。
◇◇◇
初めて歌集を借りたのは、5月。
岡本真帆さんの『水上バス浅草行き』だ。
同い年なのにも、惹かれた。
好きなものを、いくつか。
最後のは、笑う。
ニヤ、と笑ってしまえるような短歌も好きだ。
失礼だけど、「そんな感じでいいんだ」と、肩の力を抜いてくれた一首だ。
岡本真帆さん、noteもあるらしい。
しらなかった。
そのあと、もうすこしいろんな短歌を知りたくなって、穂村弘さんの『短歌のガチャポン』を借りた。
いろんな味の短歌を見ることができて、世界がもうすこし広かった。
こちらも、好きなものを少しだけ。
そして、今月。
ひさしぶりに読んだ歌集が、木下龍也さんの『あなたのための短歌集』だ。
依頼者がお金を払って、短歌を一首注文する。
どんな短歌を依頼するかは、買い手にすべて委ねられる。
自分の名前の漢字とか、心に残るエピソードなどを木下さんに送り、それをもとにつくられた短歌が、集められた本だった。
それだけでも、「なにそれすご」という感じ。
わたしが想像した「短歌」って、もっとこう、閉ざされていて、個人的で、しずかで、自分だけで完結しているようなイメージだったから。
この本では、右側に依頼側のエピソードや思いが書かれており、左側に短歌が書いてある。
右を読んだ上で、左の短歌を読むと、単体で読んだときよりも、じーんとする。
「あなたのため」につくられた、その「あなた」のことを想像してしまって。
これを受けて、木下さんが贈った短歌が、こちら。
ほかにも。
”頑張らなくてもいいんだよと思えるような短歌をお願いします。”
という依頼にたいして。
4年間で、700首もの「短歌」がうまれたそうだ。
だれかのもとに、その短歌が届き、本にするにあたってもう一度集めたところ、300首がもどってきた。
そのうちの100首が、本になっている。
「あなたのための」と銘打っているため、木下さん自身の手元に「短歌」はいっさい残っていなかった。
でも、こうしてまた、戻ってきた。
そこには、「私だけの短歌だけど、だれかのためにもなるとおもう」という依頼者の気持ちがあるのだった。
そんなこんなで、歌集を読み、短歌を堪能したので、そろそろ。
わたしもつくってみたいなあ。
実は、ひそひそとつくっている。
ひそひそつくって、ひそひそメモしている。
始めてまだ、数日。
満足のいくものはできないけど。
なるほど、書けば書くほど、「短歌」の思考になっていくのが楽しい。
「短歌」という短い枠におさめようともがいてもがいてしているうちに、頭の中の言葉がすこしずつ身軽になっていくのを感じる。
「よく分からんけど、やってみよ」。
そんな精神でやっているときが、たぶんいちばん、楽しいのだ。
いつか、「短歌」を投稿できたらいい。
それを想像すると、恥ずかしいとか、まだ無理だとか、不安の感情が湧き出しそうになるけど。
今はただ、あたらしい「書く」が見つかった喜びに浸りつつ、31文字にあれこれ詰め込んで楽しく過ごしている。