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あのころの「夏休み」、いまの「夏休み」。

夏休みの朝は、「ラジオ体操」だった。

毎朝6時半のすこしまえ。
小学校のわたしは、家をとびだし、幼馴染とふたり、団地の上の方にある公民館へと走った。
首からは、ラジオ体操カード。

すこし早めに来ていた高学年のおにいちゃん。
そして、近所のおじいさん、おばあさんに「おはよう」を言っていると、ラジオから歌が流れはじめる。

あーたーらしーい、あーさがきたっ♪

かっこいい男の人の声が、ひとことふたこと響きわたると、いよいよ6時半。
軽やかなピアノの前奏がなり始め、「ラジオ体操第一」がはじまる。
登下校班のおなじメンバーが集まり、等間隔にひろがって、腕をふる。
前には、班長と副班長のお兄ちゃんが、お手本になって立ってくれた。


「夏休み」の朝は、ずっとこんなかんじだった。
「ラジオ体操第二」を終えると、わたしたちはいっせいにお兄ちゃんのもとへとかけよる。
おにいちゃんは、「ハイハイ」と言ったかんじで、持ってきていた巾着袋から小さなスタンプを取り出す。
そして、一列にならんだわたしたちのラジオ体操カードの、「今日」のところにハンコを押してくれる。
それが、うれしい。
溜まっていくと、もっとうれしい。

わたしと幼馴染は、それを手にもって眺めながら、のんびり歩いて、来た道を戻る。
そして、「ばいばい」と別れ、家に入る。
そのころには、お母さんも起きていて、朝ごはんのにおいがする。
そんな、毎日。

3年生くらいまでは、そんなかんじで通っていたが、翌年からは、じぶんたちの住むアパートの敷地内で「ラジオ体操」を仕切ることになった。
公民館に通えない、弟や妹、小さい子たちのために。
わたしと幼馴染は、お兄ちゃんがやっていたように、スタンプを持ち寄って、カードにポンッと押してやった。
そのときの、弟たちの嬉しそうな顔ったら。

自分がしてもらったことを、今度はこの子たちにしてあげたい。

おもえば、「面倒見がいい」といわれはじめたのも、このころからだった。

アパートに暮らす年下たちの、「先輩」としての自分のすがたを、少しずつ意識するようになったのだった。

◇◇◇

長男が、園から「ラジオ体操カード」をもらってきたのを見て、昔のことをおもいだした。

いまも、「ラジオ体操」ってあるのだろうか。
地域によってさまざまだろうし、昔のような雰囲気ではないんだろうな。
暑いし、子どもだけで集まるのも危ないし。

じぶんが過ごした「夏休み」と、いまの子どもたちの「夏休み」とが、かけ離れていく。
なんだか、遠い気持ちになる。

「昔はよかった」と言いたいわけではない。
でも、やっぱり自分の子ども時代には、思いれがある。
あのころのわたしは、とても満たされていた。


わたしの「夏休み」の話にもどる。
午前には、「地区水泳」があった。

じぶんの地区の時間になったら、自転車で学校のプールに走っていく。
かまぼこ板に、名前と住所、血液型などを書いた「名前表」を首から下げて、時間になるのを並んで待った。

プールの門が開いたら、フェンスにその「名前表」をぶら下げて、あとは担当の大人の指示に従いながら、好き放題にプールを楽しむ。

ときどき、学校プールを使った「プール教室」も開催されていて、それにも毎年通った。
そこでは、教室の最後に「こおりあめ」が配られるのだ。

甘くておいしい、こおりあめ。
プールに反射する太陽の光にきらきらして、まるで宝石みたいだった。
わたしは、それ欲しさに「プール教室」に通った。
だから、水泳はちっとも上手くならなかった。

近年、わたしの住む市の小学校では「地区水泳」がまったくない。
理由は、暑いから。
いくらプールに入ったって、そこまでの移動でぶっ倒れそうだ。
昔のように、地域のひとや保護者で監視役をまわすのも大変そうだし。
これもまた、時代かなあと寂しくなったり。

でも、そうなってくると、じゃあ「夏休み」の子たちって、いったい毎日何をして過ごしているんだろう、と想像する。

テレビゲームや、YouTubeだろうか。
それとも、おうちのかたが仕事でいなくて、結局どこかに預けられているのだろうか。

今の子たちの「夏休み」って、わたしの考える「夏休み」とは、ぜんぜんちがうのかもしれない。

それが、良いとか悪いとかいうことはなく。
ただ、わたしは彼らの「夏休み」を、もっと彼らの目線で想像しなくちゃいけないなあ、とおもうのである。

子どもたちの立場、おうちの方の立場、いまを生きる人たちの目線で見る「夏休み」。
それが少しでも想像できれば、「あの頃は良かったのに、今の子たちときたら」なんて。
そんな言葉は、出ないんじゃないかな。

早起きして、ラジオ体操をする。
地区の水泳やプール教室に参加する。
おばあちゃんちに行く。
キャンプをする。
お祭りに行く。
海水浴に行く。

どんな「夏休み」でも、夏は夏。
よその「夏休み」は気にせずに。

じぶんで、家族で、我が子のために。
どんな「夏休み」にしようかと、前を見ることを忘れずにいたい。





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