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子どもが好きなのは、「おもちゃ」じゃない。


うちの子は、「電卓」が好きだ。

長男も、次男も。
夫の持っていた多機能の電卓と、ダイソーで買った300円の電卓。
それらを取っ替え引っ替えしながら、じっと座り込んでポチポチしている。

画面には、1672484%8‥と、意味不明の数字がならぶ。
枠が全部埋まったら、AC(オールクリア)というボタンを押してリセット。
また、繰り返し。

何がおもしろいんだろう。
長男は、足し算引き算やマイナスなどの機能をいろいろ押しては、「かか!ゼロになったよ!すごい!?」と、発見の喜びを楽しんでいる。
次男は3を連打して、「さん、さん、さん‥」と読み上げては消すを繰り返している。

まわりには、こんなに「おもちゃ」があるのに。
レゴも、積み木も、ブロックも、トミカも。
好きそうな「おもちゃ」は、なんでもあるのに。

結局、彼らが選ぶのは「おもちゃじゃないもの」なのだ。
子どもは高価な「おもちゃ」より、そのへんに転がった「おもちゃじゃないもの」の方が、好きらしい。


たとえば、メジャー
何回、長さはかるねん。
手を切りそうで怖いから、いつもは隠してあるはずなのに。
いつのまにか、長男が伸ばしている。
「しんちょうはかりますよ〜3センチです」

たとえば、ビニル袋
入れては出して、被って投げて。
万能な袋は、次男のお気に入り。
いろんなおもちゃを混ぜて入れ込むので、あとの片付けが、めちゃくちゃしんどい。
頭にかぶると危ないので、見守り必須。

たとえば、ティッシュ
ちぎれば、すぐ雪と化す。
次男はよく、おにぎりを握っている。
それを長男がちぎり出すと、あとは雪まつり。
盛り上がるけど、片付けが地獄。

たとえば、輪ゴム
一生ひっぱってる。
以前「200個入りカラフル輪ゴムセット」を買ってやったら、大ウケだった。
次男は、腕にいくつもつけるのがお好き。
長男は、ゴムとゴムを結ぶのを練習中だ。
遊び方、無限大。
いざというとき、台所には、ない。



どれも、ほんとうは触ってほしくない。
引き出しに隠しておいて、いざというとき使いたい、なのに。

彼らは、気づけば引き出しをあけて、それらを出して遊んでいる。
ティッシュなんか、いつも撒かれている。


「ダメ」っていうのはカンタンだ。
やめさせようと思えば、きっとできる。
その代わりに、高価なおもちゃを与えるのも、カンタンだけど。

彼らが「おもちゃじゃないもの」で遊びたいんなら、その気持ちを大事にしたい。

汚くて、ゴミみたいなもので遊ぶのが子ども。
触ってほしくないものばかり触るのが子ども。
そんな「子どもらしさ」に、寛大でありたい。

つべこべいうより、いっしょになって、ティッシュを撒き散らすお母さんに、なりたい。


そんなわけで、今日もうちのリビングには、ティッシュが空から降り注ぐ。
カラフル輪ゴムが飛び回り、あらゆるサイズのビニル袋が転がっている。

わたしは彼らが足を滑らせないよう、それらを必死に拾いあつめる。
笑いながら、内心ぎえええとおもっている。

そのかたわらで、母の苦労なんか知ったこっちゃないと、無言で電卓を叩く息子たち。


これが日常。
うちの、日常。

帰宅した夫は、リビングの惨状に絶句したまま、ごはんを食べる。

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