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年末だからって、「特別」な過ごし方をしなきゃいけないのか


今年の年末、どうやら「特別」なことはできそうもない。


クリスマスから、発熱を繰り返していた長男。
みごとに次男も発熱し、年末の予定はすべてキャンセル。


年越しに我が家を襲ったのは、「アデノウィルス」。
長引く38度越えの熱と、つらい咳や鼻水で、子どもたちはぐったりだ。


おもえば今年は、ウイルスに侵されまくった一年だった。
1月にコロナウイルス、4月にノロウイルス、9月にヒトメタニューモウィルス、11月にインフルエンザ。
そして、12月にアデノウィルス。

流行のウイルス、見事コンプリート。
しかも、もれなく全部、家族総出でかかっている。


どうなってんねん。
どうやら、うちの家族は「菌」に弱いらしい。
流行のウイルスをことごとく制覇し、年末は「引きこもり」で幕を閉じる。


やることもないので、必然的にテレビを何度もつける。

ニュースでは、空港が映し出され、たくさんの人が、遠い地で羽を伸ばそうと肩を弾ませているのが見て取れる。
高速道路の渋滞情報や、新幹線「のぞみ」の全席指定席が100%埋まっているなんて話を聞くと、年末年始を「特別」に過ごそうと動いている人の波動をかんじる。


うらやましいかって?
ええ、うらやましいですとも、ほんとうに。

年末にプチ旅行を計画していたのに、当日になってホテルをキャンセルした身からすれば。
「特別」な年末を過ごす人たちが、うらやましい。

いいなあ。
せっかくの、年末なのになあ。
そう思わずには、いられない。


けれども、ふと冷静になる。

年末年始の「特別」って、なんなのか。


旅行に行くこと?
ご馳走を食べること?
普段会えない遠い家族に会いに行くこと?


それも、いい。
でも、それだけじゃないはず。


仕事が大変だったひとは、ゆっくり体を休めるだろう。
忙しくて、なかなか家族と過ごせなかった人は、心ゆくまでともに過ごすんだろう。
今日まで掃除ができなかった人は、家をきれいに片づけるだろう。

年末だからって、無理をしてまで、いつもと違う「特別」を演出しようとしなくていい。

「特別」は、すぐそばにある。

それは、家でできることだったり、家族と過ごすことだったり、自分を見つめることだったりする。



今年、我が家はきっと、年末はおろか年始もしばらく、家から出ることはできないだろう。

それでも、家族四人でいられる。


夫の仕事もなく、長男の園もなく、みんなでのんびりテレビでも見て、おかしを食べて、日がな一日ごろごろしたらいい。
大みそかには、紅白歌合戦でもつけて、おいしいお惣菜でも買ってこよう。

それが今年の我が家の年末。

どんな年末も、人生たった一回きりなんだから。
そういう意味では、「特別」な年末になること、まちがいなし。




毎年、年末には実家の広島に帰省していたのだけど、それも今年はしないので、本当に丸ごと予定なしだ。

ウイルスで寝込む子どもたちを横目に、夫と「年末年始、家で何する~?」と話をする。


焼肉したいね。
ーいいね、おいしいもの買おう。

餅も食べたい。
ーよし、おもちまつりだ。

クローゼットの片づけをしようか。
ーじゃあわたしは、キッチンを。

部屋で、本が読みたい。
ー順番に、ゆっくりしたいね。

ソファーで、いっしょに話していると、大した内容でもないのに、年末っぽい雰囲気を感じてくる。

ああ、今年も終わるんだなあ。
ようやくカレンダーの日付を見て、新しい年を迎えるまで、数えるほどしかないと気づく。
育児に追われてバタバタすると、今日が何日なのかもわからなくなる。


夫と交わした年末計画が、どれほどできるか分からない。
いつも通りの日々になるかもしれない。


それでも、どうか私たち家族が、穏やかな年末を過ごせますように。
そして、すがすがしい気持ちを胸に、新しい年を迎えられますように。

それだけで、じゅうぶんありがたい。
家族四人で、いつも通り「特別」な年末を。

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