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たくさんの選択肢から「選ぶ」ために


note公式さんから出された、年末年始の「連続投稿チャレンジ」。
おすすめのタグが、20こ出されている。


こんなふうに、おすすめタグが並ぶと、「書く意欲」が湧き出してくる。

どれ書こうかな。
この日に、これを投稿しようかな。
そんな計画を立てていくのも、楽しい。



と同時に、あれもこれも書かねばならないような気になるのは、わたしが「欲張り」だからだろうか。

これらのタグは、「20こぜんぶ書け」というものではない。
「この中から、自分に合うものを選んで、書いてみては?」という、公式noteさんからの提案だ。
どれかひとつでも選びやすいように、たくさんおすすめ候補を出してくれている。


だけど、私はなぜか、片っ端から全部書かなければ、と焦り出してしまう。

あれこれ迷って、いくつかの記事を同時に書き出し、何個も下書きをつくってしまう。
でも結局、どれもこれも、うまくまとまらない。


わたしは普段、自分で書きたいテーマを思いつき、記事にしていくことがほとんどだ。
だから、タグをもとに書くということは、他者から指定されたテーマで書くということになる。

経験や知識などを引っ張り出しながら、思いもしていなかったテーマについて、一から考えるわけだから、そりゃパッとまとまらなくて当然だ。
急に与えられたものを、すぐには書けない。

でもせっかくなら、書きたい。

それなら、もう少し絞らなければ。
この中から、書きたいタグを、選ばなければ。

この、数ある選択肢から「選ぶ」という行為は、エネルギーが必要だ。

たかがタグひとつ。
されど「とりあえずコレをひとつ書いてみよう」を選ぶまでに、わたしはある程度のエネルギーを使ってしまう。


そういえば、長男に、朝ごはんのメニューをいくつも提案することがある。

よかれと思って、「ごはんか、パンか、ホットケーキもあるし、シリアルもあるよ」などと、たくさん選択肢を与えてしまう。

すると、長男は「2つの中から決めるのにしてよー」と、しょんもりした顔で言う。


たくさんの選択肢は、ときに相手を迷わせ、ときにこちらの想像以上の負担を負わせているのかもしれないと、ふと気づく。



じゃあ、たくさん選択肢を出す方が悪いのか、と言われると、そうではない気もする。

おすすめタグをたくさん提案してくれた、公式noteさんは悪くない。
だって私自身、たくさん並ぶタグをみて、書きたい意欲がわいたから。
たくさんの人が選ぶためには、ある程度の選択肢も必要だろう。

 

それ以上に大事にしなければならないのは、選択肢から「選ぶ」ことを楽しむ、「余白」のようなものではないだろうか。

たくさんの中から、じっくり吟味する「時間のゆとり」とか。
「どれにしよう」と迷うことすら楽しめる「気持ちの余裕」とか。

そういう、時間的・精神的な「余白」があれば。
たとえ選択肢が目の前いっぱいに広がっていても、自分と向き合い、存分に悩み、迷い、最後には、前向きに納得するものを、選び取ることができるのではないだろうか。



わたしが、おすすめタグを全部書こうと欲張ってしまったのは、「指定された期限内に、なるべくいいものをたくさん書こう」という、時間的焦りがあったからだ。

あと。「まずは、どれから書こうかな」と、ひとつずつ書いていく過程を面倒くさがって、同時に書き進める効率ばかりを重視したからだ。

時間的な焦りも、手間を省こうとしたことも、わたしの心を急かし、結局はどの記事も書き上げられないという結果を招いた。


そうではない。
あせらなくていい。
まずは、ひと呼吸おいて、あらためてタグをノートに書き出した。

そして、「このタグには、あのエピソードを」、「このタグは、今年の私には書けないな」と、一個ずつたしかめる。
面倒で、手間がかかり、必要ない人にはまったく必要のない作業だろう。

でも、わたしには、この時間がいる。


こうして選ばれた、いくつかのタグを見て、だいたいの計画を立てて。
ようやく再び、わたしはノートパソコンを開くことができた。

さあ、書こう。
今度こそ、書ける気がする。

年末年始に、いくつの記事が書けるだろうか。
計画しても、そううまくはいかないものだ。

それでも、焦る必要はない。

たくさんの選択肢におぼれていたわたしを、一旦引き上げることができたから。

安心して書けるように、「選ぶ」ことができたんだから。

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