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借り物のはじまり

退院後のある日主治医から
「突然お母さんから電話があったよ」
と言われた。

私が入院していることは言ってない。
私のパートナーから連絡がいったらしい。
パートナーは、一応「親」だから連絡をしたという。
しかし、先生の話を聞いて言葉がでなかった。

「私、母親です。娘はどうなんですか?
どれくらい入院するんですか?重いんですか?
母親なんですから教えてください!」
それを主治医の口から聞き、私は唖然としてしまった。

しっかり日本の法律で「個人情報保護法」が
定められている時代に生きている。
少なくとも私が認識している世界では。

「いくらお母さんでも教えられない、って何度も言ったけどね。すごかったよ~先生もびっくりした」
先生は半ば笑いながら話していた。

いやいや、一つも笑えない。
あの時、耳まで熱いとわかるほどに
私の顔は赤くなっていたことだろう。
少しの怒りという感情が出てきたところで、
とてつもない「恥ずかしさ」が怒りの火種を
即座に鎮火させた。

診察を終え、母親へ電話した。
「アンタ!病院に電話したと!?」
私は母親を「お母さん」などと呼ばない。
「アンタ」と呼んでいる。
尊敬に値しない人間に相応しい呼び名だ。

「電話したよ。私が母親って言いようのに教えてくれんちゃけん」
これが、この人のだ。
絶対に私は悪くない。
悪くないから謝ることもない。
反省するなんて論外だ。
「私が正しい」病という名はつかない。
私にすれば、そっちが重症に思える。

「病院に面会に来ればすむことやん」
私が言い返すと
「タクシー代がないって」

はぁ?!(私の心の叫びが聞こえるだろうか)

私の病院は遠い所ではない。
年金生活をする両親にはタクシーを使うのは贅沢なんだろう。
しかし、車で30分とかからない所だ。
もしかしたら、
電話したことで私が死ぬことはないとわかったのだろうか。

「電話でどうやって私の母親って証明できるん?
このご時世に!」
私は小さなイライラを言い放った。
すると、言い返せず黙り込む
母親の短い息が聞こえた。

私は電話を切った。
おわかりだろう。
「おかしい」本人が、
いたって「おかしい」と思っていないのだから
話は進まない。

この人はこういう人だ。
入院中の娘の心配より、
タクシー代がどれくらいかかるかが
心配だったようだ。

私はそれに拗ねているわけでも、怒っているわけでもない。
そもそも期待していない。
ただ呆れはするが。

不思議なものだ。
一応血はつながっている。
お腹を痛めて産んで、
この世に私という人間を登場させておいてこれだ。
どこか他人事なのだ。

そう言えば。

豊臣秀吉が側近に
「いくら天下人でも、おなごの腹から生まれます」
というようなことを言われた秀吉は
「腹は借り物」
とこたえた。
その話を聞いた正室の寧々は
「種は借り物じゃ」とこたえたという。

この話を何かで読んで以来
所詮、私は
「腹も種も借りた者」だから。
そう考えることで
親との関係を少しでも薄めたかった。

戦国の世でも、中国の一時期をおさめた西太后も、
天下を手中におさめるためなら
血のつながった我が子を人質にもし、
殺しもしていた。
世が世なら、そういうことなのだろう。

そして、ここまで。
殺されることなく、半世紀生き延びた私のお話。
腹と種を借り、この世に生まれ落ちた私。
私の人生はまだ終わっていない。

老いて弱っていく親を確かめ捨てた。
環境を変えやっと手に入れた自由だ。
罪悪感なく生きることにした。

元気なうちに生まれ落ちた種族を
大切に育てなかったその末路は
歴史にも明らかだ。

もっと残酷になれば、織田信長のように
後々、復讐する者が出ないように
負けた領主の子どもは、どんなに小さくても
息の根を止めていた。

だが、その信長も本能寺に追い詰められ
結局は自害せざるを得なかった。
天下はあっという間に終わった。

犠牲のうえに築いた成功や幸せなど
ありえるはずもない。

人間には良くも悪くも
行いにより、それ相応のものが返ってくるようになっているらしい。

魂の上で、見えない閻魔によって
書きとめ記されているのだろうか。

何より「死に際」が楽しみだ。

最期のとき、走馬灯のように自分の人生を
流れ見ることになるのだろうか。

どんな風にそれが手を広げて迎えるのか。
今までの生き様の判決が下されるのだから。


~完~





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