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こんな性格にはこの言葉

最近、仕事の悩みが尽きない。元々自分がこの職業に向いているとは1度も思ったことがないが、大きな仕事が控えた今の時期、それをより実感している。

何かに悩み、自分は何も出来ないし無力だなと感じる時、思い出す言葉がある。




私は、最近よく聞く"HSP"の人なのだと思う。
「空気を読みすぎる」
「考えなくていいことまで考えてしまう」
「気にしい」
「自己肯定感が低い」

人より考えすぎて、気にしすぎて、何かを決断するのにとても時間を要する割には、漸く出したその決断に自信が持てない。

そして自分の性格についても考えすぎて、素の自分で接すると嫌われてしまうだろうと、勝手に決めつけて自分を演じてしまう。

この考えすぎな性格が、高校3年生の授業選択の時にも大きな足枷になった。

高校3年生の授業は、受験や進路先を見据えた選択が必要となるためとても重要だと先生から話をされた。 しかし、実際にその授業の選択をするのは高2の秋だったため、進路がまだ確定していない状態での選択となった。

この性格の私は案の定悩みに悩み、毎日昼休みに担任へ相談をしに行った。 2つやりたいことがあった私は、片方の進路はセンターを受ける必要があり探求的な勉強が必要で、もう片方は推薦で行けるため副教科を選択して内心点をあげるのが得策という、両極端な進路で揺れていた。

結局、どちらにせよ勉強はしておいた方がいいということになり探究的な勉強ができる授業を選択した。がしかし、高3に進級してすぐに、推薦でいける、副教科を選択したほうが有利な方の進路を目指すことを決めた。

この進路で本当によいのかという不安と、こんなことなら副教科を選択していればよかったという後悔で、自己肯定感はジェットコースターのように下がっていった。

傍から見ればとてもめんどくさい性格だと自覚している。 自分で勝手に悩んでようやく決めたかと思えば、勝手に後悔をして。自分でも付き合いきれないくらいめんどくさい。


しかし、こんな性格にはぴったりの救いの言葉をくれた人がいた。 

私が高2に上がる時に異動して去っていった、部活の副顧問の先生。
とても現実的とは言えないただ大きな私の夢を全肯定して、いつもポジティブに応援してくれた恩師だ。

そして同じようにその先生にお世話になった友達と、高3になって会いに行った。

変わらずポジティブで何を言っても肯定してくれるその先生に、授業選択で失敗してしまった…という話をした。

「おはなが時間をかけて一生懸命考えたことに間違いなんてないよ」

「間違いじゃない」と言われてとても心が軽くなったと同時に、結果を出すまでの過程が大事なのだ、ということに気付かされた。

私はいつでも結果に拘り、どれだけ正解に近い答えを出せるかが、この世の正しい道だと信じていた。しかしそうではない、決断を下すまでの時間にどれだけ悩み考えられたかが大事なのだと恩師は教えてくれた。

悩みすぎる性格に嫌気がさしていた自分にとって、それを大切な時間としてくれたことが、とても嬉しかった。

学生という尊く貴重な時間に、こんな言葉に救われる体験ができたことは、自己肯定感の低い自分でも胸を張って誇れる出来事だったなと思う。

そんな経験を経て今の自分がある、そう思えば少しは自信が持てるだろうか。
「考えすぎも悪くは無い。」そう思って明日からも頑張っていこう。

と、仕事終わりにぐるぐる考えこむ華金の夜。
うん、とても悪くない。

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