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「生き方の哲学」を磨く

今、服のデザインは何を持って良いと判断できるのか、という疑問について考えている。ファッションデザイナーのようなセンスのある人であれば独自の考えや見方ができても、一般的な人であれば何を持って判断していいのか分からない。

「センスがいい」という言葉はカッコいいし、言われたいが、実際よくわかっていない。だからこそ、「センスがいいとはなにか?」について考えてみたい。

↑もう答えは出ていた。。。笑
なので、上の記事を参考に、なるべく自分の言葉で書いてみたいと思う。

センスの定義

そもそも、「センス」とは一体何なんだろうか?
何気なく使われる言葉だが、実はその中身は曖昧で、抽象的な言葉であるし、人によって解釈も色々と異なる。
日本語訳をすると「感覚」や「五感」という意味ではあるが、「美的感覚」や「感性」という意味をイメージする人が多い。
また、一般的に「センスがいい」というと、知的であったり考え方が柔軟だったりする人を指すだろう。

江森氏は、"センスは3つの階層でできている"と言っている。
一番下の層には、「どんな自分でありたいか」という理念・哲学。次に、真ん中の層には、理念・哲学に基づいて形作られた考え方。「自分がどんな格好をしたいか、自分をどんな風に見せたいか」という考え方の部分だ。そして一番上位に来るのが、「どんな服装やアイテム身に纏えばいいか」という方法論。

「センスがいい人」というのは、土台となる「理念・哲学」、真ん中で支えとなる「考え方」、一番上位の「方法論」が一貫して結びついており、軸がぶれない人。「僕はこういう自分でありたい。だからこういう風に自分を見せたい。そのためにはこういう素材・色・シルエットの服を着よう。」という意思が明確な人が、「センスのいい人」だと思う。

センスがよくわかっていない人は、一番上位の方法論しか考えていない。
まさに自分がそうだ。
何を着たらカッコいいのか、ウケるのか、恥ずかしくないのか、など外側の評価しか考えていないと、そもそも自分のセンスを持つということに矛盾する。

センスとは頭を使って考え学んでいくこと

一般的に「センスがいい」人には、クレバーなイメージがある。

上の記事で例ではイチローさんを挙げているが、ここはサッカーの方がわかる私としては、レアル・マドリード(現マジョルカ)所属の久保建英選手を例に考えていきたい。

10歳で名門バルセロナの下部組織に入り、14歳で一度日本でプレーすることになり、15歳でJリーグ出場、16歳でJ1の試合に出場、17歳でJ1の試合でゴール、18歳でスタメン定着&レアル・マドリード移籍という、日本、いや世界の至宝となっている久保建英選手。
彼を評して「天才」とも「サッカーセンスの塊」とも呼ぶ。彼のプレーを見れば、いかにセンスがあるかがわかるが、なにより試合終了後のコメントにこそ彼のセンスがよくわかる。テレビで観ている方であれば、俯瞰した映像で観ているが、選手本人はピッチからの視点で、なおかつアドレナリンが出ている興奮状態であったのに、彼はまるで解説者のようなプレーレビューができる

なぜその判断ができるのか、ロジカルかつアーティスティックな発想がどのように生まれたのか、それは彼の幼少期からの努力であり、常に言語化をして、考え学んできたからだ。(そのことがよくわかる本はこちら)



今まで挙げたように「センスがいい」とは、自分の頭でしっかり考えて最適な答えを出せる人のことを指す。今まで、センスは先天性の才能だけだと思っていたが、先天的なものだけではなく、考え方や知識を学ぶことで後天的にも得られるものではないかと思う。

センスはいろいろな分野で使われる

センスという言葉はいろいろな分野で使われている。「アートセンス」「ビジネスセンス」「スポーツセンス」「写真のセンス」「言葉のセンス」「笑いのセンス」など、センスの良し悪しによってポジティブにもネガティブにも表現される。

センスは数値化して表現することが出来ない。知能指数を表すIQなどのような明確に数値で定義づけるものは存在しない。では、センスの良し悪しは何によって決まるのか?

私は「自分の信念・哲学を見える状態にして、他人に対してどれだけ伝えられるか」が基準になると思う。センスの良し悪しは、独りよがりで決めるものではなく、他人が評価するものだ。周りの人がその人の発言、振る舞いなどを見て、「明確な意思」や「その人が思い描く理想の自分」を感じ取ったとき、「センスがいい」と認識してくれるのではないだろうか。

ファッションにおける「センス」こそ悩む

ファッションにおけるセンスこそ、悩む人が多いのではないだろうか。マーケティングリサーチ会社の男性ファッションにおけるユーザーアンケートでも自分に似合うものや服の選び方、ファッションセンスの磨き方などについての多くの人が悩みを抱えているという結果が出ている。
男性ファッションにおける、と書いたが、女性ファッションでも同じだと想像する。むしろ、選択肢が多い女性こそ、センスに悩む方が多いのではないだろうか?

無意識的に、ファッションは自己表現するものだ、という認識を持つ人も多いので、「自分に合うものがわからない」や「服の選び方がわからない」「ファッションセンスの磨き方がわからない」などの悩みを抱えてしまう。

一方で、場所や時間、機会によって変える必要があるため、何から考えたらいいのか分からずにとりあえず失敗しないモノを選んでしまう、というパターンもあるだろう。

ファッションセンスに大切なのは考え方や哲学

江森氏の記事から、「ファッションセンス」をよくする上で大切なのは、まず着こなしよりも考え方だと言っている。「自分がどうありたいのか」「人にどう見られたいのか」など、自分の意思をしっかりと明確することによって選ぶ服の方向性が決まってくる。
例えば、下記のような考え方と選ぶ服の関係性。

    考え方           選ぶ服の方向性

・常に自然体でありたい ⇒ 体を締めつけないナチュラルな服

・クールでストイックでいたい ⇒ モノトーンでシンプルなデザインの服

・異性をいつも意識していたい ⇒ フィット感があり色気を感じさせる服

自分自身の考え方や人からどう思われたいかの意思が明確になれば選ぶ服の輪郭がみえてくることになる。後は考え方に沿い選択の幅をしぼって実際に服を選び着こなしていけばよい、とのことだ。

以上のような考え方で選択していくと自分のイメージに近いものを選べることになる。

考え方や生き方の哲学がしっかりあればセンスよくみえる。
スーツを着ることを決められているからスーツを着ている人と、あらゆる選択肢の中で、自分が働く気分や意識をあげてくれるスーツを好んで着ている人とでは、明らかに後者にセンスを感じるであろう。

意思の明確さがセンスを向上させる

自分がどうなりたいか、どう生きたいかが明確になっているだろうか?
明確でれば考え方にも一本の芯ができ、きっと選ぶ服にも迷うことがなくなるだろう。スタイルがしっかり確立されれば内面からにじみでるものが人に伝わり、結果的に「センスがいい」と認識されることになるはずだ、と思う。

逆に言えば、自分がどうなりたいのか、どう生きたいかが明確であれば、これほど多様かつ、簡単に手に入る時代であれば、すぐにでも変われるはずだ。実際、今まで全く選択肢としていなかった和装も、自由に振る舞えて、自分の動きに制限をかけずに、長く気持ちを安定させる生き方に合うもの、という基準から考えたら和装ってありだなと思い、実際に買って着ている。

今の時代は情報があふれていて、何が正しくて何が正しくないのか取捨選択するのが難しくなっている。常に自分らしさとは何かを考え、意識することにより「ブレない自分のスタイル」をつくりだすことができるのだと思っている。
大げさに言えば、センスとは生き方そのものだ、という江森氏の意見は同意するし、自分も生き方を磨くことがセンスを磨くことだと信じている。情報や流行に踊らされず、自分の生き方を貫く人は、いつの時代も素敵に映る。


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