『地球は丸いのに真っ直ぐであれと決めたいのは人類だけ』という気付き♥

画像1 トンネルの斜坑30度を思い出します。側面図にすると、まさしくこんな光景だったのでしょうね♥Σ(・□・;)♥36年前に計測会社の仕事で経験した苦しみと、そこを抜けた時の感動を鮮明に思い出して、目頭が熱くなりました。#創作大賞2022 応募(#3/10)|何故、土木の仕事が嫌だと思ったのか?|廻り巡って結局のところ向き合う他にない。https://note.com/joyaji/n/n494f10d224cd (写真は誤撮ではありません。敢えての表現の一つです。)
画像2 確かに、真っ直ぐと四角四面の世界が当然としてあって、私たちはその中で生かされていますが、実は、水平線に憧れて歩むのではなく、人類の創作した造形や思想によって、厳しく険しい斜面を登り続けているのではないかと、想いを巡らせると無性に寂しさを感じてしまいました。何故、人類は上下左右前後を決めたがるのだろうかと。1分1秒を無駄と表現し競い合う世界。それは一体誰のためなのだろうかと。
画像3 人類は進み過ぎたのでしょうか?心の持ち方が追い付いていないように感じるのは、この小さな私だけでしょうか?懐かしく温かい昔をアナログ時代と呼び、忙しく希薄とも云える煩雑なネット社会をデジタル時代と呼んで分けられています。これは、本物のフラグシップなのでしょうか?人類を一体何処へ導こうとしているのでしょうか?煽り煽られる世界が資本主義と呼ばれ、盲目の労働者となっていないか不安が過ります。
画像4 弱肉強食の世界で良かったのでしょうか?このことを感じ卑下する者がいても許されてしまう世界で良かったのでしょうか?いつから隣の庭が青いと表現し、皆んながその言葉を使ってみたくなったのでしょうか?いつから生きる糧を個別に抱えるようになったのでしょうか?隣人が朽ち果てるのを待てるようになったのでしょうか?その冷たさは何処から来たのでしょうか?
画像5 決して人類、生命のリセットを望む訳ではありませんが、着飾り競い合う飽食の世界だけは、洗い流してしまっても良いと感じることが暫々あります。自分を擁護するための本物の嘘は許せても、人の心を操り利用して陰で嘲笑する詐欺を許す世界、蔓延る世界を一掃したいと強く感じるのは、この小さな一人の存在だけでしょうか?人類が人らしく個々に生きることを尊重できる世界、時代を名付けるとすれば、荒々しい海に称えられた「起源」となるのではないでしょうか?その世界に憧れます。

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