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胎児の時から聞いていた私の名前たちの話

母は22歳で、不妊治療をしていた。その末やっと授かった私という胎児。名前の候補は、それはそれはいくつもあったらしい。


Chiakiという名前でnoteに登録しているけれど、これは本当の名前で。母と父が音や画数や苗字とのバランスなど悩みに悩んで、その時にベストだと思ってつけてくれた名前。真ん中に線を引くと、左右対称になる私の名前。画数がこれ以上にないくらいとても良くて、意味も良い。たくさん輝きますようにと願いが込められている。100点満点どころじゃない。1000点に花丸をつけたって足りないくらいだ。

そりゃあ、もう、私は気に入っている。だからこうして、Chiakiの名前でTwitterやnoteをしているわけだしね。


そんな私もペンネームというのに憧れたことがあった。高校生のブログを始めた頃のことだったと思う。それか、本名でブログをすることに、少しばかり怯えていたからかな。私はその自分のブログで、あかり、と名乗った。理由は特になかった。ただ、なんとなく、自分が思う最高に可愛くて好きな名前だった。そのブログと唯一のペンネームは、仲の良いほんの数人の友人にだけ教えた。みんな口を揃えて「あなたらしい」「ぴったりだ」と言ってくれて、ますます大好きな名前になった。


当時はブログやペンネームのことを母には話せなかった。なんとなく恥ずかしくて。大学生になってから、昔話のように母に話すと、母はとてもとても驚いた。あかりという名前は、私の名前の候補だったというのだ。


もうひとつ、こんなこともあった。


3年前フィリピンの語学学校に留学をした時、生徒の名前が各国独特で覚えにくいことから、イングリッシュネームをつける必要があった。タイムリミットはオリエンテーションの数分間。私は咄嗟に、Ann(あん)、と名乗った。赤毛のアンが好きだったことと、なんとなく英語の好きな名前で可愛いかなと思ったから。

帰国後に「また新しい名前が増えちゃってさぁ〜」なんて、おどけて母に話すと、目をまん丸に見開いて、驚いていた。忘れもしない、近所のガソリンスタンドで。開いた財布から、あと少しで小銭がこぼれ落ちるところだった。母によると、あん、という名前も候補のひとつだったらしい。2度もこんな出来事があるとは。母と娘、2人でしばし放心状態になった。



胎児は母の会話を聞いている。


それは、もう、確信した。絶対だ。

じゃなきゃ、私は星の数ほどある名前からピンポイントで自分の名前の候補だった名前を選んだりできない。できないよ。


あかり、という名前も、あん、という名前も。今では愛しい私の名前のひとつだ。

私はちあきであり、時にあかりであり、時にあんである。

母がたくさん悩んで、たくさん胎児であった私のことを考えてくれたからこそ、私が潜在意識で名前を覚えていたような気がしてる。私に女の子の子どもができて、また候補だった名前をつけていたらと想像するとちょっと楽しい。

他にも候補がいくつかあったらしいけど、今は聞かないでおこう。



#名前の由来  で書いていたつもりだけど、なんだか話がそれてしまったね。反省。




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