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間違えるな、人生の選択を 映画『ふたり~あなたという光~』鑑賞レポ

先日、ある一本の映画を観るにあたって、自分の半生を振り返り、こういった記事をあげた。

障害者の兄姉弟妹のことを指す「きょうだい」について、当事者の目線でこれまでの人生を振り返ったものだ。私には、3つ下の知的障害をもつ弟がいる。

同じ境遇や、きょうだい児の家族、子育て中の方など、様々な人にこの記事を読んでいただけたようで、非常に嬉しく思っています。本当にありがとうございます。

今回は、私も制作クラウドファンディングに参加した、きょうだいというテーマを日本で初めて扱った短編映画『ふたり~あなたという光~』を観ての感想レポを書いていこうと思う。(印象に残ったシーンのみ、ややネタバレ含みます)

あらすじは下記のとおり。

障がい者(精神障がい)の妹・希栄(きえ)がいる姉・のぞみは、 恋人である崇に希栄の存在を打ち明けられていない。ある日プロポーズをされたことをキッカケに希栄の存在を知らせたところ、崇は困惑してしまう。そこから 障がい者家庭特有の悩みに次々と直面し、“普通”の人生とは程遠い自分の人生に絶望し、のぞみは崇との結婚を諦めようとする。ところが、あることをキッカケに改めて自分の人生を考え直していく。

家族という強烈な光がもたらす盲目

私は周囲の人間に、障害者の弟がいると隠さないことにしている。ある程度つきあいの長い信頼できる人であれば、話す機会や訊ねられれば積極的に答える。彼の存在そのものを、自分のなかの昏い影の一部として堕としてしまうのが嫌だから。彼は私にとって最高で唯一の弟だ。

そういうスタンスに至るまでに、様々な試行があった。「弟の存在を知って、自分の評価が変えられてしまったらどうしよう」という問いは、つねにぴったりと私につきまとっていた。幼少期のある場面のイメージとともに。

弟は私のことが昔から大好きで、いつも私と遊びたくてしょうがなかった。その一方で私は、どこにでもくっついてくる弟の存在がわずらわしかった。泣いて逃げ回る私の背中を、無邪気に追いかけ続ける弟。

この問いは、幼い弟の姿そのものだ
。わずらわしさや不安が引き起こす罪悪感の裏側には、弟を家族として尊く思う愛情が確かに存在している。

主人公ののぞみも、妹の希栄と婚約者の崇をそれぞれ、かけがえのない存在として大切に思っている。だからこそ、「希栄の姉としての自分」と「崇の婚約者としての自分」のなかで揺れている。画面の向こうで葛藤する彼女に、同じような境遇を過ごしてきた自分の姿が重なった。

作中、私が一番印象的だったのは、河川敷でのぞみが「本当はなにがしたいの?」と崇に問われ、戸惑うシーン。きょうだいがこれまでどんな人生を送ってきたのか、この瞬間にすべてが凝縮されている。

私は、「のぞみ、間違えるな」と涙を拭いもせず拳を握った。
最後に死ぬとき、あなたは一人だ。
誰かがあなたの人生を裁いてくれるわけじゃない。我慢しても天国に行ける保証はない。そもそも、あなたの我慢を見てきたはずの父母だって死には抗えない。自分の人生が終わるその瞬間、幸せだったと終止符を打つ資格があるのは、たったひとり、誰でもない自分だ。

愛情がもたらす罪悪感のその先で待ち受けるのは、他者が立ち入ることを許されない本当の孤独。他者への愛情と自分を同化させたそのさきに、真の幸せがあるとは限らないのだ。自分を抑え、小さい大人であることを自覚するきょうだいにとって、家族という光が強すぎて、残酷な真実を見逃してしまいそうになる。

気付いたら画面の向こう側の自分に、叫んでいた。
その選択は本当に、自分を幸せにするのか、と。

それまで、この作品の表題『ふたり~あなたという光~』の「光」というのは、のぞみから見た、希栄のことだと思っていた。が、違う。家族の強烈な光を見つめ続け、自分の光に気付くことができなかった、のぞみのことを指していると、私は思う。

私たちは、自分の人生の主役になっていい。
崇のもとへ駆けだしたのぞみの背中が、力強くそう語っていたことが、私を救う。そのきっかけが、ほかでもない、希栄自身であることも。

この問題に悪者はいない

この作品は、きょうだいという新しいテーマにフォーカスを当てただけでなく、30分弱という短い時間のなかで、「家族という生き物」がリアルに描かれている点にもぜひ注目してほしい。

娘のケアが日常の中心にあり、のぞみの結婚すら素直に喜べないのぞみの母、家族のことにどこか他人事なのぞみの父、のぞみに障害のある妹がいると知り一転して結婚を反対しはじめる崇の母……。

家族という、計り知れない大量の感情を内包した小さい社会のあり方が、台詞のひとつひとつ、シーンの一瞬にしっかりと込められている。善悪で判断するのではなく、それぞれを共感の対象として、見つめてみてほしい

自分が父の立場だったら、母の立場だったら。崇の立場だったら、そして希栄の立場だったら。きょうだいに係る問題は、「兄姉弟妹なんだから、お前がなんとかしろよ」という乱暴な他人の無関心を解きほぐしていくことから始まっていく。

映画を観るとわかるが、この問題に悪者は存在しない。誰も悪くない。至極まっとうな、人間の感情だけで成り立っている。

作品には、様々な視点が用意されている。この視点を借りて、きょうだいというものがどういう存在なのか、ぜひ皆さんと議論できることを楽しみにしている。さあ、土俵に上がってきて。

直近だと上映会が3月14日にあるようです。HPより事前に予約し、オンラインで観れるので非常に簡単。チケットは700円(3月14日の場合)。ひとりでじっくり味わうもよし、ピザやお寿司をとって、皆で観るのもよし。終わったあとに感想シェア会もご用意いただいているので、その気持ちを共有できる相手が、見つかるかもしれません。

最後に、この映画に携わった関係者の皆様、すべての方々に感謝を述べて、この鑑賞レポを終えようと思う。

世界中の「のぞみ」が、ひとりで死ぬ瞬間に、間違いなく幸せだったと思える世界が待っていることを願って。

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