キョロキョロ伺って態度を決めてねえで、嘘やズルを真っ先に指摘しろ。

だから悪とかズルが何千年も、のさばってるの、いい加減気づいてんだろ?

どこまで「はっきり」したら態度を表明するんだい?

しかも、そのハッキリってのもさ、

論理的な証拠とかじゃなくて、「雰囲気」のことだろ?

雰囲気がハッキリしたら自分も「そうだそうだー」と言い始め、

そうならないうちは、態度を多数派に合わせる。

理由を聞かれれば、「常識的に」だの「根拠がない」だの「証拠がない」だの「〇〇するはずがない」だの・・

そもそも、それ全部、根拠ですらねえだろw

常識?根拠?証拠?はずがない?

んじゃ、なんで逆側から同じように考えないの?

なんで多数派に寄り添う都合のいい立場が有利になるように、論拠を持っていこうとするの?

常識も根拠も証拠も、はずがないのチェックも、全部検証する側のコストが発生するよな? コストと負担をなぜ片側のみが負う?

そしてなぜいつもコストを負えない側のせいになる?


それらのコストを負わねばならんのは、契約による権力を持つ側だよ。

会社であれば経営陣、国であれば政治家と行政。家庭であれば親。


そしてそれが面倒で実現不可能だから、結局指摘が立ち消えになり、いつしか忘れ去られ、煙に巻く手法。

いい加減にしろや。



それらが野放しになって何千年も変わってねえのは、キョロキョロ伺って態度を決め、自己保身とくだらん自己中心的SI・A・WA・SE! しか眼中にない 小さな蛆虫人間の意識の集合体のせいであり、それが巨大な蛆を育ててきたと知れ。

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