じいさんの医学書(追記/具体的施術法もどうぞ)

これを読んでとっとと医の知恵を更新せよ


病は精神からくる。

病原菌 ウイルス その他 外から来る要因は、

身体の状態によって、関数的に影響する存在であって、

単一かつ絶対的な「原因」などではない。


細菌やウイルスのことを学び、イメージすることは自然界と人間の関わりについて知ることだから、大変良い事だ。

表在菌、腸内細菌、ミトコンドリア、感染と免疫

命の不思議な現象をたくさん発見できるきっかけになる。

だが、なんでもかんでもすぐに細菌やウイルスのせいにする細菌バカとウイルスバカは、免疫や共生について今一度きちんと知ることから始めなさい。


肉体の状態の良悪を動かす最大の要因は、精神状態であり、次点が過労

多くの人が勘違いをしているが、精神状態のほうが疲労より何十倍も重大な増悪要因だ。

従って、社会設計をする上で、疲労ではなく精神状態から考慮すること。

子供が毎日疲れるまで遊ぶことを見ても分かるように、トレーニングで成長するように、疲労は必ずしも悪ではなく成長要因にもなる。

疲労の目安は、一日寝て回復する範囲が望ましい。

また、慢性疾患は、エネルギーのベースを低下させる

それがさらに老化の促進にもつながる。


突発的な急性症状ばかりが注目されるが、急性症状は多くの場合身体にとって必要な回復過程で起こるものだ。

変調期間が短ければ短いほど、健全であり必要なものと判断すること。

半日程度の変調で医者に駆け込む馬鹿はいい加減これを覚えなさい。


目安として、変調が3日以上続くものは、自己免疫による回復を待つ以外の何らかの対処が望ましい。

我慢しすぎる人は逆にそれを超えて我慢する傾向があるから、そういうときはすぐに医者に行くことね。これも大事


つまり、急性の反応のほとんどについては、病ではない。

急性症状は派手だし分かりやすいから、これを病の概念の中心のように捉える極めて幼稚な認識がいまだに社会に根強くある。

その陰で、人間を蝕む本当の意味で厄介な病、慢性病が広く進行している。

そして慢性病の多くにはいまだに名前の付かない、あいまいで属人的なものが多くあり、対応されないまま放置され、多くの人が苦しんだままでいる。


病気とは、本来、慢性病のことを指すべきである」と認識を改めよ。

その上で、慢性病が進行する流れを、この世で一番簡潔に説明する。

慢性病(症状)の   フローチャートは以下のとおり。

⓪【スピリチュアル的、高次元的な滞り(・・もあるかもね。とおまけ程度に考えておく。あっても、まだ肉体すら十分にどうにかできない人間が手だしできる領域ではない。)】

①精神の滞り

②感情の滞り

③神経系の滞り

④神経経路に接するリンパ系の滞り

⑤神経に近い内臓+細かい深層筋のコリ硬結・痛みの蓄積/リンパ節増悪

⑥伸張反射/バネの消失、可動域の減少、無意識に痛みから庇うことによる姿勢のワンパターン化、悪化

⑦姿勢の癖の硬直化、表層筋のコリ・硬結・炎症・肥大、血流悪化

⑧血液増悪、リンパ増悪

⑨主要な慢性疾患の発症


慢性病は、ほぼこの順で起こる。途中が無くいきなり起こることは無い。

⑤であれば、①~④は全て起こっており、⑨であれば①から⑧が全部ある。

現代では、⑧⑨の段階で何かがおかしいと気づいたり、検査の数値基準に引っかかって、病気と診断され、投薬治療が行われている

健康意識が高い人でも、⑦の状態でマッサージに行ったり運動をしたり。

それから、体の使い方が悪いから、筋肉がこり、神経が悪くなる、などと

因果関係をはき違えた解釈をし、問題の本質から目を背け続ける。

社会に問題はない、人間関係に問題はない、会話に問題はない、声に問題はない、家庭に問題はない、悪意に問題はない・・・

悪いのは 姿勢だよ?運動不足だよ?筋肉だよ・・


そんなことを何百年、何千年と。

あのさあ、、、一つ言わせてくれ。


馬鹿なのか? 死にたいのか? この世を病で満たしたいのか?

病を頑張った証だと、誇りに死んでいきたいのか?

あるいは病によって愛情をもらいたいのか?


言い過ぎではなく、これがこれまでの世の実態だった。

いつも書いているように、愛や思いやりよりも、

削り合い、殺し合い、落としあいが圧倒的に多かった。

世に満ちた怨念を受け続けた肉体は、それを体現するように年月が経つごとに不自由になり、成長期の異常を引き起こし、病と醜さの土壌を生んでいった。

先人が生んだ病と醜さは、先人の責任で回収されることなく、都合よく自己責任とされ、罵倒や見下しの対象として消費され、次世代へと連綿と続いた。

誰もが苦しみを理解できるはずなのに誰も本気で手を打たなかった。

医学者なら医学の世界で取り組んだ人はいただろう。

術者なら術者の世界で・・ 

だが、なぜ彼らは一緒に自分を救わなかったのだろうか?

自分の根深い問題を救うことをせずに、界隈の技術のみで他人をどうこうしようとばかりしたのだろうか?

自分の問題と社会のそれを本気で繋げたとき、その取り組み方では足りないと気づくはずなのに、だ。

一般人ならなおの事だ。

病を心配するふりをし、病なんてこの世からなければいいと思ってもいないことを口にし、自分がまさか大病になるなんて・・と本当は心から信じてもいないことで驚いたふりをし、

自己破壊的、他人は快適な生活習慣を続け、

手の施しようがないくらい人が痛んでから大げさに心配をし、治療と称して製薬会社の決めただけの、機械的な投薬をし、

見るからに全身ガタガタで、ブクブクで、手の施しようのないくらいに肉体が冒されまくった人間を見ても、何も感じず気づかず、

数値がおかしくなければ何も異常がない目をつぶり、

本気になって自らの体や家族の体、誰かの体を思いやったこともなく、

思いやりといえば、ドラマで見た形だけの「想いやっている風」行為。


冒され続けながらも、「頑張る」ことを強制され、

いつしか限界を迎え、悲鳴を上げた肉体は、「敗者の証」と引き換えに、歪んだ愛情を受け取ることを選択する。

社会は、怨念は、愛されなかった人間は、「敗者の証」でしか他人を思いやることができない。

脱落し、困っていて、自分より下であるならば手助けしてやろう

それでいいなら手に入るのだ。簡単に。誰でも。

もう手遅れになった肉体は、どこかでそれが紛い物だと分かっていながらも、もうそれでいいからと、最後の愛をそこに求める。

患者も術者も家族も本人も、社会も他人も、

それでいい、仕方ない、「収 ま り が つ く」と感じていたのではないか?


どこまで歪んでいるんだこの社会は

なんの収まりだ、それは?怨念の収まりか?


本当に、ハツラツとした人間の在り方を望み、誰かを思いやるならば、

数値や定義で異常がないことが重要なのではなくて、

①精神の滞り②感情の滞り③神経系の滞り④神経経路に接するリンパ系の滞り⑤神経に近い内臓+細かい深層筋のコリ硬結・痛みの蓄積/リンパ節増悪⑥伸張反射/バネの消失、可動域の減少、無意識に痛みから庇うことによる姿勢悪化

この全てでより理想的な姿になることを望むはずだろう?喜ぶはずだろう?

それ以上に喜ばしいことが、人生であるだろうか?ーないはずだ。

自分や大事な人、そこから広がるように人間が

溌剌とした精神と肉体、自分の能力と可能性、運命を全力で受け止め、一日一日をまっすぐ正直に生き、出会った人と交流し、分け与え、自他の幸せを望み、困難に真正面から立ち向かい、必要な援助を受け、感謝し、自分もだれかにそれをする。そして満足して眠り次の日が始まるー

その全ての土台になるのが、真の健康であり、阻害するのが下なんだから。

①精神の滞り②感情の滞り③神経系の滞り④神経経路に接するリンパ系の滞り⑤神経に近い内臓+細かい深層筋のコリ硬結・痛みの蓄積/リンパ節増悪⑥伸張反射/バネの消失、可動域の減少、無意識に痛みから庇うことによる姿勢悪化


ところが、多くの人間は、一定以上の誰かの健康を心から喜ばない。

喜ぶことができない。頭ではわかっていても心が付いてこない。

数値が悪ければ心配するが、不定愁訴は「甘え」であると考え、否定しにかかる。

自分の可能性を開こうとする行為や、不当な抑圧から逃れることも、気に入らない。


それはなぜか?

自分が苦しんでいるからだ。

自分が不自由だからだ。

自分が抑圧されているからだ。

自分が不健康だからだ。

自分が思いやってもらえていないからだ。


ここで、どこかで聞いたことのある言葉が浮かんでくることだろう。

人は自分で味わったことのある以上の幸せを他人に望むことができない


すべての治療家、医者、親、誰かを育てようとする者よ、聞け。

人は自分で味わったことのある以上の幸せを他人に望むことができない

そこに一切、一ミリの例外もない。

自分の状態を無視して行った、いかなる立派そうな行為や、正当に見える何かも、いつかは自他全てにとってマイナスに転ずる。

可能性があるとすれば、ここに書いたことに気づき、一ミリでも自分をよくしようとした者にだけ、誰かを幸せにできる可能性が宿る。


今日から自分の存在を見直しなさい。


ここまでを十分に腑に落とせた者だけ、以下を読み実践しなさい。

ーーー不調の治し方&点検法ーーー

まずはできるだけ、各フェーズで下の変調を感じ取れるようになること。

①精神の滞り②感情の滞り③神経系の滞り④神経経路に接するリンパ系の滞り⑤神経に近い内臓+細かい深層筋のコリ硬結・痛みの蓄積/リンパ節増悪⑥伸張反射/バネの消失、可動域の減少、無意識に痛みから庇うことによる姿勢悪化

数字が前に行くほど、難しく繊細で自然体でナチュラルな感性を要する。

とはいえ、生まれたことは誰でもある感性なので無理ではない。

自分が今、どの部位がどの状態にあるのか?を知ることが第一歩。

⑥伸張反射/バネの消失、可動域の減少、無意識に痛みから庇うことによる姿勢悪化

から取り組み、徐々に⑤→④→③と上流に向かって改善できるようにする。

⑥、これは見る人が見れば、5mくらい先からでもかなりのことが分かるくらい、行動や様子に出る。

運動をさせてみるとさらに分かりやすい。

ジャンプ、投球、ラケットのスイング、ダッシュなどのバネを使う動きを見れば、全身の筋肉の状態が かなりの部分把握できる。

全身の動きにハリやバネを感じなければ、なんらかの異常があると思ってよい。

また、動いた際に、痛みや動かしずらさを感じた時点で、それは異常である

人体が真に健康であるとき、どの部位をどのように動かしたとしても、自重の範囲であれば気持ちの悪い痛みや引っかかりは起きない

引っ張られすぎたと身体が感じれば、自動的にバネが働いて元に戻る上、その際の感覚では痛みや気持ち悪さではなく、気持ちのよい感じになる。


真の健康体は自ら動き出したくなり、動くことを愛し、その動きが他の人の元気につながり、自他がさらに健康になっていく

芸能、大衆娯楽の根幹・神髄はいつの時代だってそうだろう?

そして動物や子供だってそうだ。

健康のためにいやいや運動したり努力をしたりすることが土台間違っている。ましてや、効果を度外視し努力の意味をはき違え称えるなど、愚か極まれり。


これまでの常識では、関節の可動域だとか、個性とか、そういったあいまいな表現で濁され、「動かし方によっては痛いのが普通」と思われてきた。

それは間違っていて、ほとんどの人間が慢性的なコリや硬結を抱えていたために、人体本来の動きができないでいたために、それらが常識になっただけだ。


もっと具体的にみるためには、触ってみたり、押してみたときの感触を聞くことで、より細かい箇所の特定が可能。

深層筋の悪化からはじまり、徐々に表層筋の異常に進行する。

動きの悪いお年寄り等は、表層筋の段階まで悪くなっている。

そうなる以前の対処が必要。

対処法としては、ストレッチ・マッサージ・鍼・温熱療法(風呂で可)で対応する。

それぞれの使い分けとしては、広い範囲へ薄く広くアプローチする順だと

温熱療法・ストレッチ・マッサージ・鍼 となる。

逆に、細かい箇所に深く効かせる順は

鍼・マッサージ・ストレッチ・温熱療法 の順となり、

症状や予防に応じて適切な方法をとることが必要だ。

初めて施術・メンテナンスをする場合、

温熱療法・ストレッチ・マッサージ・鍼の順で行う

この順で行うことによって、症状が軽い順からほぐれていき、重くて深いものが残る。

それによって、その肉体の傾向や癖、積み重ねてきた病、その性質等を把握すること。

単に症状を軽快させる目的でもこれと同じ方法をとる。

なお、ほとんどの場合、温熱とかストレッチだけでは疲労と軽い萎縮のレベルは解消できても、コリまでは取れない

おそらくそれも、ほとんどの人が誤解させられているはず。

温熱とかストレッチだけで真の健康体を保てるのは、そもそもコリがない人だけだ。

ほとんどの人は、まずコリで全身が埋め尽くされているので、全身のクリーンナップを長い時間をかけて取り組まなくてはいけないだろう。


全身のクリーンアップ法

これは真の健康体を目指すための方法だ。

先程の順で肉体の状態を把握した後、

今度は主に鍼とマッサージによって、根深いコリ等を取っていく。

この際、狙った箇所のコリを的確にとれる技術がないと、この話は成立しないので、少なくとも自分自身の肉体でそれができるように修練すること

ほとんどの治療家、施術者はそもそも土台にすら立てていない。

東洋医学が詐欺扱いされるのは、そういった輩がはびこっているからだと知れ。

マッサージと鍼に共通する最も重要なことは、「痛みと向き合うこと」

昨今では、痛くない〇〇というフレーズで集客する者が目立つが、

痛みと効きはほぼ等価である

そもそも、痛みとは何か?西洋医学はそれを、「痛覚神経の伝達で~~」

などと太々しいツラで説明する。


では質問しよう。 鍼を指した時、痛い点と痛くない点があるのはなぜか?

それも、痛くない点が多いのに、たまに強く響く点があるのはなぜか?

痛覚神経が集まっているのならば、今すぐ医学書を元に説明してみせよ。


これにすら答えられんのが、大多数の医者であり医学者である。

まあいい、答えられんのはいいとしても、知ったツラして嘘を吐くな。


痛みに関する絶対的な解説は私自身もできない。ただしはっきり分かっていることは、痛みにも種類があること。病床に近いほど痛むこと。病が抜けると痛みが消えること等の事実である。

そして、そういった経験をするごとに確信することは、

肉体の痛みとは、溜め込んだ何かであるということだ。

昔から東洋医学がいう、流れが悪い と同義である。

体のコリができる仕組みとしては、

西洋の知で例えるならば、電気回路の抵抗器と似ているといえる。

抵抗器は、電子回路の「電気の流れを妨げる」役割があり、その流れにくさを表した値を「抵抗値」または「抵抗」といいます。 ... 抵抗器と直列に接続された他の部品に流れる電流を調整することができます。 また、別の目的として、抵抗器に流れる電流を調整することで、抵抗に比例した電圧を発生させることができます。

大きなストレスがかかった時、大きな感情的な反応があったとき、

体に流れる電気や信号や、気のようなものが、回路の容量オーバーを防ごうとして、主に近くの筋肉等によって溜め込み、抑えようとする働きが起こると推定される。

一時的に溜めて、徐々に流してもとに戻るなら全く問題はないのだが、

この社会では、慢性的に溜まるように、溜めることを推奨するようにできている。 そのことが問題だ。

臭いものに蓋、何かあれば我慢で対処、そんな風にして問題と向き合わず先送り、他人送りにしてきたことで、

現在人はいまだに慢性病に苦しんでいるわけだ。


それらを一つ一つ、強いマッサージと鍼によって解除していく。

一旦綺麗に解除されても、肉体と精神の癖によって、すぐに戻る箇所も多くあることが分かるだろう。

その場合、治療を繰り返しつつ、その癖を特定しかなくては根治はない。

そこでようやく、考え方、捉え方、無意識との対話、トラウマ、等と向き合う必要性が出てくる。

環境も変える必要があろう。

答えは体が知っており、肉体の症状が解消されたときが、真に問題が解決したときである。

そうして、①精神の滞り②感情の滞り③神経系の滞り④神経経路に接するリンパ系の滞り

これらの表面から捉えにくい問題の上流まで綺麗にしていくことが可能になる。




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