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違うということ、多様性。

ちょっとネガティブ日記。

自分のモヤモヤを吐き出したいので、素直に書き綴りたいと思います。


常日頃
私は、自身への自重も含め心にしっかりと決めていることがある。

それは、

「自分の価値観を押し付けない」

ということ。

だって、誰かの正しいは、皆の正しいとは限らないから。


先日、会社の飲み会の席でのこと。

同僚男子が、自身の家庭について話し始めた。


彼には、小さな二人のお子さんがいる。
下の子はまだたぶん一歳くらい。


彼のトークはいつでも「自分の愛しい家族」について。
その日も例外なくその話題。


奥さんのことが大好きで、子供達は本当に可愛い。
子を持つということの素晴らしさ、
それは何物にも代えがたい幸福である、ということ。


いつもはいいんです。

家庭が円満なのは素敵なことだし、

業務中に話してる会話を耳の端っこで聞き流してるだけだから。


でも先日は、その先の彼の一言で

わたしの心はひどく騒ついた。


「子供は居た方が絶対にいい」


彼にとっては、なんの他意もない
ただただ、本心から出た何気ない一言だったのだろう。


でも、わたしの心にはツキンと刺さった。

なかなか抜けないトゲみたいに。


私は結婚して5年。

新婚の頃は 子供を持ちたいと思ったこともあったけど

熱望したという訳ではなく

いてもいなくてもどっちでもいいけど

くらいな曖昧な気持ちだった。


ただ、今月はもしかして!と淡い期待を抱いた月の
「ダメだった」時のあの気持ち。

熱望した訳でもないくせに感じ出す
どこに向けたらいいのかわからない焦燥感や、落胆。


今思えばあれはなんだったんだろう。


みんなが持っているものが欲しい、みたいな
子供みたいなあの気持ちだったのかな。


そんなことが続いて、なんかもう疲れてしまった。


そんなこんなで 今思えば、半ば「逃げる」ようにして
治療とかにチャレンジすることもなく、妊活からフェードアウトした。


いま、

幸いにも私には「天職」と思える
デザイナーとしての仕事があり、それを生業としている。

旅が好きっていう趣味もある。


それでも
やっぱり今でも子供について思うところはある。
可愛いなと思う気持ちもある。


もし、こんなに気持ちがこんがらがる前に
自然に子供を宿せていたら、と思うこともある。


でも、私のこれまでの人生では その機会は訪れなかった。
それも私の人生なのだから仕方ない。


話が逸れてしまったけど、一番書きたかったこと。


「みんな同じ」って、いったい何なんだろう。


年頃になれば結婚する。
結婚したらば子供を持つ。
そうしないのは「なんで?」


なぜ、「そうじゃない視点」で物事を感じれなくなるのだろう。
「そうじゃないこと」に理由を求めるのだろう。


ある人には「愛する家族」との人生が幸せかもしれない。
でも、また別の人にとっては「一人で生きること」が幸せかもしれない。


旅だってそう。


旅好きな人にしたら「旅のない人生」なんて考えられないかもしれないけど
旅に関心の無い人からしたら「大したこと」ではない。


何をもって「幸せか」なんてことは
誰にも計れないし、決められない。


だからいつでも私は
「自分自身以外の目」で視て物事を判断したいと思っているんだ。


ただ、そんなに出来た人間ではないし
いつも最初に「こうすることが正解だ」って思いがちだけど、


でも、それと同時に


「相手にとっての正解」はそこにちゃんと存在していて
自分と違っていたとしても正解は正解なんだと。



それが価値観だし、
それぞれが違う価値観をもってるからこそ
新しい発見もあるし、面白いんだと思いたい。
「違いを受け入れる努力」をし続けていたい。



そんな思いがある中で、彼が放った

「〜の方がいい」

その一言が、どうしても辛かった。


だって、「〜の方」にいない自分を
全否定されたような気持ちになったから。


なんでそうなの、なんでしないの。
なんで結婚してるのに子供を持たないの。


独身でも、結婚してても、母でも、そうでなくても
みんなそれぞれに自分の人生に向き合っていて
正解を見つけようと一生懸命生きている。


正解はひとつじゃ無い。
月並みな言葉だけど「人の数だけ正解はある」


だから、みんなちがって、みんないい。


わたしはそんな風に人と関わっていきたい。
そんなことを思った夜だった。




#日記   #エッセイ   #人生観   #妊活   #多様性   #価値観











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