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同級生宅で発掘された小5の俺の作文の話(原文掲載!)

子供の頃から特に秀でた特技もなく、色白ガリガリのまさに貧弱な男の子の見本のような子供だった俺。
この飽食の時代になぜこんな姿に。
蛇口を捻れば嫌というほど水が出るのに、なぜか脱水症状で倒れたこともあった弱々しい小学生時代。

そんな俺がたまに先生に褒められるのが作文だった。

「じょうじくんは変わったおもしろい作文を書くわね!」

お察しの通り女性だった担任の先生にそう言われたことを覚えている。


文章というか、持ってくる題材が少し変わっていたらしい。
1つ覚えているのが、たまに一緒に学校から帰る友達(名前は全く思い出せない)が恥ずかしげもなく人前でオナラをする奴で、下校中も「ちょっと待って!」と何故か俺の注目をしっかり集めてから放屁をしていた。
それを何となく作文にしたら何かのコンクールのクラス代表にされたのだ。
書いておいて何だが、オナラが題材の作文がより多くの人の目に触れるかもしれないと思うと、当時は少し恥ずかしかった。



大人になった今でも正月に地元に帰ると小学校の同級生、男3人・女2人のいつものメンバーが集まる会がもう何年も続いている。
みんなそれぞれ結婚して小さい子供がいてなかなか遊びにも行けないであろうメンバーもいるのだが、その日ばかりは予定を空けて集まる恒例行事になっていた。

まずは近所の居酒屋で飲み、2次会は小学校の頃クラスのボス的存在だった通称・組長(女子メンバーのうちの1人)の家にみんなでお邪魔して、夜遅くまで思い出話や近況を語り合うのだ。
誰が結婚した誰が離婚した、アイツは今何してるアイツはこんな奴だった、、、
毎年同じような話をしている気もするのだが、不思議と飽きない年始のお決まりになっていた。


数年前の正月、いつものように2次会で組長のお宅で語り合っていた俺達。
そういえば!と急に組長が立ち上がり、自分の部屋から一冊の厚い冊子を持って来た。

見るとそれは我々が5年生の時の文集だった。
どこの学校でもやっていたかもしれないけど、毎学期末、学年全員のその年に書いた作文を1つ選出して、まとめて1冊の本にするのだ。

中をペラペラめくるとだいたいみんな内容は一緒。
クラスみんなで頑張った運動会の話、楽しかった遠足の話、
何か行事がある度に感想の作文を書かされるのでみんな同じ題材がほとんどである。
確かどの作文を掲載するかは、担任の先生が勝手に決めていたはずだ。


初々しく、拙い作文を流し読みしていると組長が言った。

「譲二の作文だけなんかおかしいんだよ」


今となっては全く記憶にない、5年生の俺が書いた作文。
どうやらこれを見せたくて組長は文集を持って来たらしい。

自分のクラスのページに飛び、俺の作文を探す。
掲載順は出席番号。うちの小学校は名前順ではなく誕生日順なので、3月15日生まれの早生まれの俺はいつもだいたい後ろから1番か2番あたりなのですぐ見つかった。


題名は「アルバイトをすることになったら」

アルバイト・・・・・?

その瞬間思い出したのが、当時小学生だった俺の高校生になったいとこがアルバイトを始めたことを家で親戚に話している場面だった。
アルバイトという聞いたことあるような無いような言葉に興味を持った俺は、いとこにどんなものなのか色々と質問し、働いてお金をもらうなんて大人だなぁと感じていたのだ。

きっとその時、自分がアルバイトをする時のことを想像して書いた作文なのだろう。
しかしなんの拍子にこんなのを書いたのか。本当に全く記憶にない。


その実際の作文がこれだ。


アルバイトをすることになったら
五年三部 渋江譲二
僕が今一番心配なのは、大きくなったアルバイトをすることになったらということです。
なぜかというと、ぼくは英語が苦手なので、もしセブンイレブンのような店のレジにいて、外国人の人が買い物に来た時に、英語で話されたらどうしようと考えてしまうからです。
だから外国の人が来るところではあまりアルバイトをしたくありません。
もう一つは、ガソリンスタンドとかで、近くにたくさん人が来るような所があって、人に道を聞かれたら、ぼくはそういう説明が苦手なのでどうしようと思ってしまいます。
さらに外国の人に英語で道を聞かれるともっとこまってしまいます。
このように外国の人がこない所がいいです。でも、外国の人がこなくても大変なアルバイトはいやです。時給が高くてそんなに大変じゃないアルバイトがいいと思います。



何作かあったであろう俺の作文の中から、
担任の先生がなぜか敢えて選んだのがこれ。


よく言えば、とにかく素直である。

外国の人と話すのは英語ができないので恐い。
道の説明は苦手なので話しかけられたくない。
時給は高い方がいい。
でも忙しいアルバイトはしたくない。

そういえば少し観光スポットもある我が地元には、時々外国からの観光客が訪れることもあり、公園で遊んでいた俺は何度か外国人にフランクに話しかけられたことがあった。
人見知りもあってか、英語が分からなくて困惑したのか、とにかく話しかけられるのが嫌だった記憶がある。


何より驚いたのは、
大人になった今の俺は、小5の頃から思考がほとんど変わっていないことである。

とにかく心配性でネガティブ。
ナマケモノのくせに楽して徳を得ようとする。

人間的にまるで成長してないということか・・・・・。
呆れてしまったが、今の自分から考えると納得の少年時代でもある。



ネガテイブで色白で軟弱な少年だった小学生時代。
その面影は今も色濃く残っているのだった。



(気になった人もいると思うが、「五年三組」ではなく「五年三部」というのも珍しいらしい。と大人になってから知った。)

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