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イスラエル巡礼旅4🇮🇱イエス生誕の地、ベツレヘムの旅

聖なる地で起きた予想外の出来事

パレスチナのバス停から歩き続けること40分、
いよいよイエスの降誕教会が近付いてきます。

パレスチナの街中の絵を見ると色々と考えさせられます。
ベツレヘムに来た!という実感が湧きます。
この標識を見ると聖書に書かれた場所が非常に身近に感じます。
こちらのカフェも気になりましたが今回は看板を見るだけでした。次回ベツレヘムに来た時にこちらのカフェも訪ねたいです。ちなみに今回本物のスタバはベツレヘムではぱっと見ても見つかりませんでした。

ついにイエスの降誕教会に辿り着きました!誰よりも、何よりも大好きなイエスがお生まれになった場所にりこうさぎがいると思うと嬉しくて思わず笑顔が溢れます。

降誕教会の入口。予想以上に小さな入口に驚きました。
降誕教会の外観
降誕教会の外観。赤い十字架が素敵です。
いよいよ降誕教会に入りました。
写真に映らないように撮影しましたが、生誕教会の中もたくさんの人で賑わっていました。

ついに降誕教会に辿り着き、感極まって建物内の煌びやかな飾りに目を向けていると、一人のアラブ人らしい人がつかつかとりこうさぎに近付いてきました。この人は教会の外でりこうさぎに声をかけてきた人と同じ人です。

「さっき僕のこと無視したよね?君の行動は正しかったよ。外で知らない人が話しかけたら返事しない方がいい。だけど今、君は教会の中にいるから僕の言うことを聞かないといけない。僕は認定されたガイドだから」などと一気にまくしたて、りこうさぎの目の前にカードをつきつけてきます。

なんでもイエスが実際に生まれた場所とされる場所を見るために、長い行列に何時間も並ばなくてもガイドにお金を払えば列を飛ばしてその場所が見れるとのことでした。

よく見ると確かにそれらしいガイドのライセンスカードに見えます。けれどそれが本物かどうかはわかりません。そもそも一人でゆっくり教会内で過ごしたかったし、降誕教会にたどり着いただけで今回は十分に満足したので、ガイドの誘いを断りました。

お金は言い値でいいからと言ったと思えば子どもがいるから料金は100シェケルでいいと言ったり、お金を払わないと列に並んで時間を浪費するだけだの永遠とお金の話ばかりしてくるその人は自称クリスチャンでした。

あなたはクリスチャンじゃないと思う。放っておいて」とりこうさぎが言うとその人は逆上しましたが、りこうさぎはその場から脱兎の如く逃げました。

しばらくガイドをまいて再び教会内見学を楽しみました。
もし人が本当にアドナーイを信じてその御子イエスを信じるなら、そもそもアドナーイとお金の両方に仕えることはできないわけだから必然的にお金のことばかり言わないはず。

教会を出ようとした矢先、"You should believe that photo!"と鬼の形相で例のガイドが、りこうさぎに向かってわめいてきました。要は本物のガイドの写真だから信用して金払えといいたいのでしょうが、その手には乗りません。やっぱり件のガイドの頭の中はお金で占められているというりこうさぎの直感は正しかったです。

クリスチャンと口で言うのは極端な話、誰にでもできます。本当にその人の主がイエスなのかどうかはその人の言動を見ればわかります。自分の普段の言動もアドナーイやイエスの教えに沿っているかどうか、常日頃点検が必要と思い知らされました。

ミルク・グロット教会

気を取り直してミルクグロット教会に向かいます。
こちらがミルク・グロット教会の入口です。

イエスが実際に生まれた場所を見てみたい気持ちもありましたが、列に並ぶのが苦手なので潔く諦めました。その後に辿り着いたミルク・グロットはしつこいガイドも全くいないうえに、教会を訪れた人の素敵な讃美歌が聞けたりして完全に癒されました。

ミルク・グロット教会の内部

ミルク・グロット教会は洞窟みたいな教会で、燦々と照りつける日差しを歩いた後に涼むことができました。こちらの教会もツアー客でいっぱいだったものの、みんな静かに過ごしていて厳かな雰囲気が流れていました。

目に見えない世界は誰にでも関係がある。決してオカルト話じゃない

アドナーイやイエスを見ることは今はできません。けれどイエスはイエスを信じることに関して「見なくても信じる者は幸い」と言っています。

この世界は見える物、手に取ることができる物が価値があるように思えてしまう世界です。けど霊の世界の物は目に見ることも触れることもできないものの、霊の世界の物こそが本当に残る物です。

「霊の世界の物なんてあるわけないじゃん」という意見もあると思います。けどそういう人たちに「思いや感情は目に見える?眠っているときに見る夢を手に取ることができる?」と聞いてみたいです。

「思いや感情も何もかも全部科学で説明できる所詮思い込み」という意見もありますが、そうは思えません。無神論者と主張する人たちでさえも誰かが亡くなったときに何かかしら葬式や儀式をします。思いや感情が存在しないものだとしたら、ネットの誹謗中傷に心を痛めるなんてこともまずないでしょう。

実際に足を運び五感でイスラエルやベツレヘムの空気を味わうと同時に、霊の世界に想いを馳せてアドナーイやイエスの偉大さを感じることができる巡礼旅でした。

最後まで読んでくれてありがとうございます。まだ巡礼旅記録は続きます。
これまでの巡礼旅記録にまだ載せていない写真も別途載せる予定です。ナザレやガリラヤ湖の旅の記録もご紹介していきます。

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