ぐんまのヨセフ

渋川カトリック教会で洗礼を受け 教会の皆様の温かい心と深い信仰心に 励まされています。…

ぐんまのヨセフ

渋川カトリック教会で洗礼を受け 教会の皆様の温かい心と深い信仰心に 励まされています。 シェガレ神父の説教を中心に投稿しています。

最近の記事

マルコ9:30∼37「シェガレ神父の説教」

B年間25主日 マルコ9,30-37 子供を受け入れ子供のようになる 2024     イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」と尋ねたら、彼らは恥ずかしくなり黙っていました。だれがいちばん偉いかと議論し合っていたからです。そこでイエスは彼らに、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と言って、彼らの心を見抜いたイエスは一人の子供の手を取って、抱きしめて、弟子達の真ん中に立たせる行動をとります。  イエスの行動を理解する

    • マルコ8:27∼35「シェガレ神父の説教」

      B年間24主日 マルコ8,27-35 ペトロの告白  2024 「人々は、わたしのことを何者だと言っているのか」とイエスの質問に対して弟子たちは、色々な噂があるが、中には死者から生き返った洗礼者ヨハネだとか、あるいは死んだ後に天に上げられ、この世に戻った預言者「エリヤ」だとかいう人がいます。  弟子たちの答えを聞いたイエスは今度彼らに向かって「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うか」と彼らに尋ねます。3年間ほどイエスと付き合った弟子たちは、突然の質問に対して動揺し、黙

      • マルコ7:31∼37「シェガレ神父の説教」

        B年間23主日 マルコ7,31−37  エッファタ 2021-24-2     人々は長い旅からガリラヤ湖に戻ってきたイエスのもとに, 耳が聞こえず, 舌が回らない人を連れてきて、その人に手を置くようとイエスに願います。聞こえず話せない人は他者とのコミュニケーションは全くできず、自分の苦しみさえ訴えられず、中風の癒し物語(マルコ2,3-12)の人と同様、完全に受け身になって、名前もなく、全てにおいて周りの人々の哀れみに頼っていました。 イエスは耳と舌が回らない人を連れて

        • マルコ7:1~23「シェガレ神父の説教」

          B年間22主日 マルコ7,1−27 食事の前に手を洗うべきか 2024 今日の福音の箇所を読んで、どうしてイエスの弟子たちは食事の前に手を洗っていなかったかという疑問が浮かんできます。農村と漁村出身の彼らが衛生のルールをしらず、食事の前に手を洗う習慣がなかったでしょうか。そうではないと思います。むしろ手洗わない彼らの態度は積極的な意味があり、律法を硬く守り、思いやりのない律法学者に対する反抗のしるしではなかったかと思います。また律法学者とファリサイ派の人々が問題にしていたの

        マルコ9:30∼37「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:63~68「シェガレ神父の説教」

          B 年間21主日 ヨハネ6,60-69  教会離れ 渋川 2024  いままでイエスの言葉に正しい権威を感じていた弟子たちは、「私はいのちのパンである」という言葉に躓き、イエスから離れようとします。これに気づいたイエスはどれほど孤独感を感じたでしょう。やがてそばに残っていた12人の使徒に向かって、イエスは「あなた方も私から離れていくのですか」と質問します。イエスは弟子たちを引きとめる意向がなく、彼らの自由意志を尊重します。自由がなければ弟子になれないからです。そこでペトロ

          ヨハネ福音書6:63~68「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:51∼58「シェガレ神父の説教」

          B 年間20主日 ヨハネ6,51〜58  肉を食べ、血を飲む  2024   イエスはユダヤ人に「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません」と言いますが、今日の福音は難しく、司祭にとっては一番辛い説教かもしれません。ユダヤ人たちは当然この言葉に躓きます。彼らは「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるか」と激しく議論しています。信者である私たちもこのイエスの言葉に躓

          ヨハネ福音書6:51∼58「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ福音書6:41∼51「シェガレ神父の説教」

          B年間主日19 ヨハネ6,41−51 いのちのパン 渋川 2024    今日の福音は先週集まった群衆の後に、「ユダヤ人」が登場します。ヨハネ福音書の「ユダヤ人」はイエスに対して敵意を持つ特別なグループで、イエスが亡くなった後に初代教会を迫害した人たちです。彼らの特徴は群衆の率直と違い「呟き」です。呟きとは何でしょう。  「呟く」はぶつぶつ独り言をいい続け、面と向かわず, 不平不満を漏らすことです。最近SNSを利用して呟く人が多くなってきたような気がします。Xの前に呼ばれて

          ヨハネ福音書6:41∼51「シェガレ神父の説教」

          ヨハネによる福音6:24~35「シェガレ神父の説教」

          B年間18主日 ヨハネ6,24-35 いのちのパンの問答 渋川 2024  今日の福音は先週の「パンの増加」の続きで、イエスと弟子たちは船に乗って宣教拠点のカファナウムに戻ります。「パンの増加」の場所に残っていた群衆は、消えたイエスと弟子たちを探しています。皆がまるで隠れん坊をするかのようです!やがて群衆はイエスを見つけて「先生いつ、ここにおいでになったのか」と質問します。   群衆の人々はイエスの手からもう一度パンを配られ、満腹感を味わいたいのです。しかしイエスは彼らに

          ヨハネによる福音6:24~35「シェガレ神父の説教」

          ヨハネ6:1~19「シェガレ神父の説教」

          B 年間17主日 ヨハネ6,1−19   パンの増加 渋川 2024  さっき「パンの増加」という福音の箇所を聞きました。パンの増加は四つの福音書に出る大事なエピソードです。場所は様々な人種が住んでいるガリラヤ湖の「向こう岸」です。群衆はイエスが病人を癒していると聞いて、イエスを追って、人々は5000人ほど集まったと書いてあります。イエスは山に登り弟子達と一緒に座り、目を上げると, 群衆が自分の方に来るのを見ます。そして長い道を歩いてきた人々の飢えに気づいたイエスは、食べ物

          ヨハネ6:1~19「シェガレ神父の説教」

          マルコ6:30∼34「シェガレ神父の説教」

          B年間16主日 マルコ6、30−34  休むが良い 渋川 2024  巡回宣教からイエスの元に帰ってきた弟子達は、興奮しながら活動報告するが、イエスは「今しばらく休むが良い」と休みを勧めます。イエスの指示に従い弟子たちは船に乗って、人里離れた静かな海辺に向かって行きます。しかし多くの人は一斉に駆けつけ、弟子たちの先に着きます。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、彼らのため教えを始めます。マタイ福音の別な箇所でイエスは同じように群

          マルコ6:30∼34「シェガレ神父の説教」

          マルコによる福音6:7∼13「シェガレ神父の説教」

          B 年間第15主日  マルコ6,7−13 12人の使徒の派遣   渋川 2024   12人の使徒を宣教に派遣した時にイエスが当時、旅のキットであった杖と履物や下着の着替え以外は、何も持ってはいけないように命じました。使徒たちはその指示通りに行い、何もとらわれずに歩き始め、人々の家に入って、福音を伝えはじめました。  私はこの話を読むたびに、明治時代、北関東地方の宣教に従事した「歩く宣教師」のことを思い出します。彼らは、まだ教区や小教区がなかった時に、最低限度の荷物しかもた

          マルコによる福音6:7∼13「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書6:1∼6「シェガレ神父の説教」

          B 年間14主日 マルコ6,1−6 故郷に帰る 2024 渋川  歴史学者の推測によるとイエスは20代の頃、多くの青年と同じように自分の力を試してみたいと思って、ナザレの家から遠く離れたエルサレムにしばらく滞在しました。都は知的な刺激があり、革新的な思想を持った先生は古い考え方やしきたりに捕らわれずに、新しい聖書の解釈を試み、様々な運動がりました。エルサレムにいる間にイエスは、ヨハネ福音者によく出る最高法院のニコデモとか、有名なラビたちと議論を行うことができ、死海のほとりで

          マルコ福音書6:1∼6「シェガレ神父の説教」

          マルコ5:21∼43「シェガレ神父の説教」

          年間13主日 マルコ5,21-43  会堂長と出血病の女 渋川 2024  今日の福音の箇所は二人の人物が登場しています。一人は会堂長のヤイロ。会堂長は礼拝の正しさと会堂の管理のルールを守っています。ヤイロは先生と呼ばれて皆から尊敬されていたが、心が優しい父でもあり、謙虚で、律法学者の偽善を批判するイエスを尊敬します。娘が死にそうな会堂長はイエスの足元にひれ伏し、娘の癒しを切に願います。  もう一人の人物は出血が止まらず、悩んでいる女性です。ヤイロと違って名前が書いてあり

          マルコ5:21∼43「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書4:35∼41「シェガレ神父の説教」

          B年間12主日 マルコ4,35-41   渋川  さっきガリラヤ湖の突風を静めるイエスのわざを聞きました。ガリラヤ地方の春は日本と同様、天候が変わりやすく、嵐が起こりがちで、落ち着かない季節です。夕方になり、暗くなった湖は安全ではなかったのに、イエスは湖を渡り向こう岸に行こうと弟子たちに命じています。福音書のいう「向こう岸」とは、神を知らない異教徒が住んでいて、治安が悪かった地方です。弟子たちは出かけないで港に残りかったが、イエスの指示に従い、一緒に船に乗り、警戒しながら沖

          マルコ福音書4:35∼41「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書4:26∼34「シェガレ神父の説教」

          B年間11主日  マルコ4、26−34 小麦とからし種  2024       今日の福音は、小麦の種とからし種の短い喩え話を通してイエスが神の国の成長を語っています。    最初は小麦の種の喩え話です。イエスが「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、人は知らない」と言っています。この言葉にはイエスの驚きが伝わります。現代科学の説明に慣れている今の私たちは全ての生き物のなかに遺伝子があり、その情報に従って小麦は、と葉っ

          マルコ福音書4:26∼34「シェガレ神父の説教」

          マルコ福音書3:20∼35「シェガレ神父の説教」

          B年間10主日  マルコ3,20−35悪霊に憑かれた男  渋川 2024  福音を伝えはじめた時、イエスは群衆に歓迎されたが、身内の人々とエルサレムから来た律法学者が彼の行動に躓き、このイエスは「変になって、悪霊に取り憑かれている」と攻撃を始めます。   悪霊を追い出しているのに、自分が悪霊に取り憑かれていると非難されているイエスは、律法学者に「もし悪霊の力で私は悪霊を追い出すのであれば、サタンの国は分裂するではないかと、皮肉を込めて言い返します。そしてイエスは人々の心に宿

          マルコ福音書3:20∼35「シェガレ神父の説教」