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マルコによる福音6:7∼13「シェガレ神父の説教」

B 年間第15主日 
マルコ6,7−13 12人の使徒の派遣  
渋川 2024 

 12人の使徒を宣教に派遣した時にイエスが当時、旅のキットであった杖と履物や下着の着替え以外は、何も持ってはいけないように命じました。使徒たちはその指示通りに行い、何もとらわれずに歩き始め、人々の家に入って、福音を伝えはじめました。
 私はこの話を読むたびに、明治時代、北関東地方の宣教に従事した「歩く宣教師」のことを思い出します。彼らは、まだ教区や小教区がなかった時に、最低限度の荷物しかもたず、町や村を歩き回り、「巡回宣教」と呼ばれる宣教を試みました。当時舗装道路がなくて、盗賊が多く、道が危険に満ちていたが、彼らは何も恐れず、無防備のまま福音を伝え始めました。
 彼らは、二人ずつ遣わされた12人の使徒のように、一人ではなく、必ず日本人の伝道師とペアを組んで、巡回していました。宣教師は日本人の伝道師の協力がなければ、何もできなかったということです。彼らは今日の福音書にあるように、どこかの町や村に着いたら、受け入れてくれる旅館か家を探し、見つけたらそこにとどまり、昼間は街角で「講座」を開いたり、あるいは家庭訪問をしたり、各家の人々の頭の上に手をかざしながら神様の名のもとに祝福を与えてくれました。一ヶ月が経つと他の村に出かけて、同じことを繰り返していました。こうした活動のおかげで、日本の教会は少しずつ蘇り、宣教のネットワークがどんどん広がりました。 
 しかし太平洋戦争が起こり、教会はローマの指導に従って、管区、教区、小教区というような様々な制度が敷かれて、動く宣教師の姿が少しずつ消え、宣教の中心は教会の建物となり、神父は司祭館に閉じこもる傾向があって、教会は人々の生活から少しずつ遊離しはじめたという指摘があります。
 この傾向に対して第二バチカンは刷新を求め、地の塩、世の光であり、教会は建物だけはなく、その中心は生活の場であり、派遣された私たちは社会に溶け込み、立場が弱い人々の側に立ち、世を裁くのではなく、喜びと希望のメッセージを伝えるのは目的だと言われるようになり、司祭だけではなく信徒も宣教に関わるべきだということが強調されました。
 今日、私たちは12人の使徒のように聖霊をいただき、周りの社会に派遣され、時代の変化を意識しながら、福音を伝えるミッションが与えられています。車が多い時代よなり、歩く宣教師の歩き方はできないかもしれないが、出かけて行き、人々との交流を積極的に求め、信仰の証し人となるよう呼びかけられています。教会は家族の崩壊、個人主義の浸透、社会的絆のよわまり、デジタル化社会との対応、多くのチャレンジに直面しています。この状況の中で、私たちは人々と出会うように呼びかけられています。幸に、私たちは一人ではありません。イエスは私があなた方と共にいると約束しているし、同じ信仰を共有している兄弟がいます。そしてイエスから使徒に与えられた癒しと悪霊追い出しの権能が私たちにも与えられています。鬱や引きこもりや依存症など、人のこころを悩ませる現代の悪霊を追い払う力が私たちに与えられています。
 私たちは明治時代の宣教師と伝道師の巡回精神をもって、家庭、職場、学校、病院や老人ホームなど周りの人々と出会い、平和を共に求め、皆の心に神に蒔かれた良き種の成長を祈りたいです。宣教は口先の説教ではなく、神の慈しみを伝え、福音の希望をわかちあうことができるように祈りたいと思います。

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